Vol.1086 21年10月23日 週刊あんばい一本勝負 No.1078

メリノウールって何?

10月16日 急速に「冬」が間近に迫ってきた。急いでモモヒキをはく。はいただけで心持はすぐに春先の気分に。私たちの山歩きグループは「モモヒキーズ」(小生が命名)という名称だが、女性陣には大不評だ。薄汚れたオヤジを連想させるからだろうがアンダーパンツと気取るのは勇気がいる。暮らしにも山歩きにも「モモヒキ」は欠かせないアイテムだ。年をとると寒さが一番身体にはこたえる。その寒さの芯はまちがいなく下半身にある。モモヒキでいいじゃないですか、ねえ御同輩。

10月17日 最近、散歩コースをちょっと変えた。駅前折り返しコースから、秋田大学キャンパス経由で手形町内散策だ。けっこう新鮮な発見がある。特に大学と千秋公園の際(キワ)のあたりが面白い。歩き疲れると大学に戻ってキャンパスのベンチで一休み。ランチもできる(学食ではなく手形食堂というのだそうだ)。先日、のどが渇いたので学食で味噌汁だけ注文したら値段は33円(!)。カミさんの実家のある千秋公園横の北の丸の住宅地も迷路のようで面白い。ところどころ20代の頃にもあった古い建物が残っている。

10月18日 週末は雨で山行もナシ。なんだか「気ぶっせい」な気分のまま土日を過ごしてしまった。「気ぶっせい」という言葉は確か幸田文のエッセイでしった。気が塞いで、くさくさするときに使うのだが、調べてみたらなんと関東地方の方言だった。今日の朝の天気予報で、気仙沼の海で「気嵐(けあらし)」が発生したと報じていた。これも初めて聞く言葉。冷たい空気が河川を通じて海に流れ込み、その温度差で発生する霧のことだ。正式な気象用語では「蒸気霧」というらしい。これも北海道留萌地方の元々は方言だった。

10月19日 もてあましている。夜は森繁の社長シリーズをアマゾンプライムで見まくっている(といっても1日1本限定)。同じものを何度見ても面白い。なぜこんなに社長シリーズが好きなのか、自分でも不思議だ。ここで描かれる世界観にまずはワクワク、ドキドキしてしまう。サラリーマン世界やセレブたちの浮ついた日常、昭和30年代の躍進する大都市と、その華やかな風俗や文化……。同じ日本でも雪国の田舎で10代を過ごしたものにとっては、都会の昭和30年代は「驚異の未知の世界」だ。幼少時代、身の回りに自動車もネクタイも高級ホテルも飛行機も外国人も存在しなかった。ところが同じ時代に同じ空気を吸いながら、「こんな人たちが東京では暮らしていた」という純粋な地域格差への驚きなのだろう。

10月20日 月曜日だったので行けなかったのだが二ツ井・七座山の山行で、友人たちがクマと鉢合わせしたそうだ。まだ大きくはない若いメスではないか、というのがSシェフの見解だ。私の持論でもあるのだが一人で山に入るのは危険な時代だ。でもクマはイヤだけど、シカには合いたい。でもシカのほうはとんと姿を見せてくれない。先日テレビのドキュメンタリーで、高速道路の高架下に夜な夜な群れるシカの映像が流れていた。道路凍結防止のために撒く塩化ナトリウムの塩分を求めてシカが寄ってくるのだ。山中よりも高架下というのが可能性が高いのか。目からウロコだ。

10月21日 山城を歩くようになってから「中世の日本」の本を読むことが多くなった。その複雑さや面倒くささを含めても、すっかりとりこになってしまった。天皇を中心とした摂関、院政、公家や武家といったいわゆる当時の権門の構造がわからないと、中世の彼らの行動原理はまったくの意味不明で理解不能になる。一般的に、藤原一族を母としない後三条天皇の即位(1068年)から、織田信長が入京(1568年)するまでの500年間を「中世」と歴史家はいう。天皇(当時は誰もそんな名称は使わず、王家という表現が一番妥当のようだ)と武家が暗闘を繰り返し、しかも日本の文化や伝統のほとんどがこの時代に胚胎している。貨幣経済や宗教(浄土宗)に目覚め、禅や能をうみ、個性あふれる日本人が育った稀有の時代でもあった。知れば知るほど奥深さに吸い込まれていくのが怖い。

10月22日 写真家・石川直樹の本を読んでいたら「靴下にはこだわりを持っている」と書いていた。山歩きにはコットンの靴下はダメ、メリノウールがいい、と力説している。メリノウール? ミーハーとしてさっそく調べてみたらオーストラリアやニュージーランドのメリノ種という羊の毛で、肌触りがよく保温性に優れ、防臭力の高いアウトドアに適した素材だそうだ。ネットで3足セット3500円のものを取り寄せてみた。確かに足元がポカポカ、肌触り良く、履き心地はいい。山では汗をかくと急速に足が冷えて往生したことが何度かあるが、この靴下なら通気性も高いので大丈夫なのではないだろうか。期待はふくらむばかりだ。
(あ)

No.1078

「日本の伝統」の正体
(新潮文庫)
藤井青銅

 池内紀さんいうところの「置き本」だ。比較的新しい時代に「発明」された「伝統」が、さも大昔から存在するかのような事例は数多くある。最近では「江戸しぐさ」なる教科書にも載っている「大ウソ」が暴かれたばかりだ。それ以外にも「季節にすりよる伝統」や「家庭の中の伝統」「京都マジック」や神社仏閣、祭りや郷土芸能、演歌や武士道、目からウロコのことわざのウソなど、まな板に上がる。「日本の伝統」はいつ、いかにつくられ、どのようにありがたく受け入れられてきたのか。典拠を明らかにしながら小気味よく「暴いて」いく良書だ。例えば「正座」。昔からの日本人の正しい座り方だと思っていたら、江戸三代将軍の参勤交代の頃から決められた所作だそうだ。昔の日本人は胡坐か立膝だったのだ。アロハシャツも日本人移民の着物や浴衣がその原型になったと思っていたが偏見だった。アメリカの宣教師がカメハメハ大王の頃、ズボンの上に出して着る「1000マイルシャツ」を持ち込み、それがハワイ風にアレンジされたのが「パラカ」。この服を日本人移民たちが自分たちの着物や浴衣で作り直してシャツにしたのがいわゆる「アロハ」だ。いやあ、この本は本当に勉強になる。

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