Vol.1029 20年9月19日 週刊あんばい一本勝負 No.1021

はやる心は秋の山に

9月12日 左腕の痛みはだいぶ薄れた。歩くと頸部への負担で腕が痛くなるのは相変わらずだが、頭の位置を少し前かがみにすると痛みも消える。原因となった小さな画面(PC)で集中して映画を観るという行為をやめた。高速インターネットへのWi-Fi接続ができる機材を設置し大型テレビでネットを観られるようにした。夜は村上春樹の新刊『一人称単数』。8本の短編を集めた小説集だが、どうもいまひとつピンとこない。

9月13日 不安な時代には新興宗教が跋扈する。TV番組にも「霊」や「占い」などを取り上げるケースが増えてきたようで、うっとうしい。占い師というのは嫌いだ。世界史的には古代から疫病と宗教は不可分のものだった。医学が流行病に無力だった時代、救いを宗教に求める人がほとんどで明治時代に起きた三陸大津波でも、多くの人が「巫女の予言」を信じ、命を失くすケースが後を絶たなかった。疫病が去るまでには時間がかかる。でもいつかは消えていく。この消えていくまでの間、神様にすがって祈り続けた人は、「ほら、やっぱり神様が疫病を退治してくれた」と信じてしまうのだそうだ。時間が解決してくれたのではなく、神様の力で退治できたと思い込んでしまうのだ。

9月14日 地元新聞に「新規開店」の記事が載ると切り抜いておく。最近、足の爪切りをする店が記事になっていた。若い女性がオーナーのようだが、これはコロナで立ち行かなくなった店の人が苦肉の策で始めた商売なのかもしれない。いつも足の爪切りには苦労しているからだ(巻き爪です)、この店には興味がある。と同時に「早くいかないと」いう焦りもある。たぶん数年ももたず消えていく運命にあるからだ。この爪切り屋さん、少しは長続きしてほしいものだ。

9月15日 晩酌のお酒が決められなくなった。ワインも日本酒も焼酎もウイスキーも積極的に「呑みたい」と思わなくなった夜に酒がないのは口寂しい日々だが、「ホッピー」という意外な酒と出会ってから、連日ホッピー一点張りだ。ホッピーの本丸の焼酎はもちろん三重県の銘酒「キンミヤ」で、安い、クセがない、化学薬品風味を感じさせない、という三拍子揃った甲類焼酎だ。

9月16日 「ひろし」という芸人がソロでキャンプをするユーチューブが大ヒットしたことは知っていた。それが昂じてキャンプ用に自前の山まで買った、と聞いて耳を疑った。「キャンプのために山を買う」という発想に一挙にこの男への興味が薄れてしまった。固定した場所に居続ける息苦しさから抜け出すためのキャンプだったのに、いつのまにか金を生み出すロケーション・スタジオとして「山」を考えているのだろうか。安く手に入るから手軽に山野を買う、という発想は実に危険な行為だ。こんなことがわからないのだろうか。。

9月17日 2カ月に一度、散髪に行く。床屋のオヤジは話好きだ。菅総理誕生についてあれやこれや話は尽きない。小生は菅さんと同じ高校の1年後輩だが、まったく接点がなく存じ上げない。ひたすらうんうんとうなずくばかりだ。あの甲子園の金足農業の活躍にもピクリとも心動かされなかった。吉田投手にまるで関心はなかった。もしかすると自分は郷土愛が薄いのかもしれない。全国県別の郷土愛ランキングをネットでリサーチしてみると秋田県人は全国で44番目に郷土愛が薄い、とあった。近くの太平地区には出身国会議員の「生誕の地」という石碑が建っていて、見てるほうが赤面してしまう。この現役の国会議員は石破派で、今回は菅さんに投票しなかったのだそうだ。これも床屋のオヤジから聞いた話だ。

9月18日 しばらく山に行ってない。最近はヒョイと近場の山に一人で登ってくる、ということがなかなかできない。クマが怖いからだ。近くの金山滝から太平山の前岳、中岳に登るのが秋田市民にとってはポピュラーな山登り散歩2時間コースだが、ここは知り合いがいっぱい。「山の繁華街」だ。俗世界を離れて森の空気や緑に全身を浸し、リフレッシュするという感じからはほど遠い。まるで県立図書館で資料を探している気分になってしまう。10月は紅葉シーズンだ。仲間が3人以上いればクマも怖くない。今秋は、このコロナ禍自粛の半年間を取り戻すような山三昧の日々を夢見ている。
(あ)

No.1021

サガレン
(角川書店)
梯久美子

 コロナ騒動で内外にいろんなことがある。気分はふさぐし本を読む余裕もない。どうにか寝る前の読書は本書までたどり着いた、という感じだ。この人のノンフィクションは時間と技術と驚きが詰まっている。こちらも態勢を整えて挑まないと、生半可な気持ちでは挫折してしまう。なんといってもあの『狂うひと』の、今や日本を代表するノンフィクション・ライターの作品である。熊本生まれで北大出身というのもユニークな略歴だ。というか最近北大出身の作家が多いのは何か理由があるのだろうか。サブタイトルは「樺太・サハリン境界を旅する」。サガレンはその樺太・サハリンを意味する言葉。身構えて読み始めたのだが、そのあまりの「鉄オタ」ぶりにまずはビックリ。テッチャンだったのか彼女は。自粛中に読了した沢木耕太郎の『深夜特急』の後なので、なにかとハードルは高い。でも読み進むうち、どんどん面白くなってきた。サガレンは何度も境界線が引き直された島だ。大日本帝国時代には陸の国境線を観に北原白秋や林芙美子らも訪れている。多くの日本人に忘れられた島を、後半は宮沢賢治の行程をたどりながら歴史、文学、文化や鉄道の迷路にさまよいこんでいく。文学者の残された文章を頼りに歩く見事な紀行作品だ。

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