Vol.1025 20年8月22日 週刊あんばい一本勝負 No.1017


お盆はバーチャル旅行で大忙し

8月15日 録画していたNHKBS『聖なる巡礼路を行く―カミーノ・デ・サンティアゴ1500K』を観る。3部構成、計4時間の大河ドキュメンタリーで、フランス南部の町からピレネー山脈をこえてスペイン北西部のキリスト教聖地であるサンティアゴ・デ・コンポステーラをまでを徒歩で1カ月をかけて歩く。サンティアゴというのはキリストの12使徒のひとりヤコブのスペイン名だ。映像を見る限り、歩く旅としては四国巡礼のほうがずっとハードなような気がするが、それはヨーロッパの大自然が満喫でき、道路や宿泊環境が素晴らしいからかもしれない。お盆期間中はテレビの疑似旅行で我慢だ。

8月16日 巡礼への道の次は「南米大陸一周165日の旅」。大型トラックで世界から集まった少人数の旅人たちが旅をする。このアフリカ版というのも観たが南米のほうがやはり面白かった。旅人の会話はほぼ英語だが「シイタケに似ている」という会話があった。シイタケが世界共通語なのをはじめて知った。オクラもアフリカ原産野菜だが、英語として定着している。旅人の中に一人日本人がいた。「ノリコ」という若い女性で、彼女が不思議な存在感があってくぎ付けになった。

8月17日 お盆休みの最終日、「深夜特急」全6巻めでたく読了。26歳の時の旅を17年後の40代に本にまとめたというのもなんだかすごい。さて次はどんな本を読もうか。いま難しい医学書の編集に入ったので、思いっきり対その極にある「くだらない小説」を読んでみたいと思っているのだが、そんな都合のいい小説があるかな。

8月18日 「感染症にかかるチャンスが多い」とTVでしゃべっていた医師がいた。先日、友人から「日航機事故からの歳月に感無量」というメール。すぐに「感無量は不適切」という訂正メールが送られてきた。辞書を引いてみたら意外なことが判明した。広辞苑にも明解国語辞典にも「感無量」という言葉がないのだ。エエエエッどうしたの。感無量はいわゆる「感慨無量」という言葉を短くしたもので、正確な日本語ではなかったのである。「感慨」は身にしみて感じること、「無量」はその感慨に浸って何も言えなくなること。会話の中での感無量という言葉は「善いこと」ばかりに使われるイメージがあるが、字義はもっと広く、人間の喜怒哀楽にすべて対応できる言葉のようだ。だから友人の用法は不適切ではないと思うのだが、どなたか「正解」をご存じないだろうか。

8月19日 クマが子牛を襲う事件が報じられている。そのほとんどが県北の鹿角地方での出来事だ。なぜ県北部のこの地域に肉食系のクマが出没するのだろうか。これは仮説になるが、県北部は八幡平で岩手側と隣接している。八幡平の岩手側には多くのニホンジカが生息している。このシカを襲うクマの存在は岩手側では多数報告されている。このクマが県境を越えて鹿角地方に出没し、シカの代わりに人間や子牛を襲っているのではないのか。秋田県側にシカはほとんどいない。クマの生態に詳しい友人の話によると、鹿角のクマは牧場のサイロのレバーを自分で上げ下げしてトウモロコシを食べるそうだ。人間と動物の共生という言い方は美しいが、共生とは棲み分けエリアを持つということで同じ場所で暮らすことではない。

8月20日 ジャガイモを使った料理で嫌いなものはない。一番はみそ汁だが、チンして塩をかけてワインを飲む晩酌も好き。最近はポテサラ作りにこっている。家族も毎日食べてくれるので作り甲斐がある。そして今は肉ジャガづくりに邁進中だ。これはけっこう最後の水分を飛ばすのが難しい。ジャガイモ料理をするたび、アメリカ大統領の多くはアイルランドのジャガイモ農家の末裔(移民たち)だ、という逸話を思い出す。

8月21日 ずっと雨続きだったが、その雨も去って、これからが夏本番。昨日は東北地方最高の猛暑と言われたが秋田は31度だった。関西の方から電話をいただいて「秋田に夏の間だけ住みたい」といわれた。雨が上がったので、ちょっとした用事を作っては外に出るようにしている。川反の酒屋さんから飲食店の現状をうかがったり、若手の陶芸家の個展をのぞいたり、古道具屋を冷かしたり……。人と会話するのはいいリフレッシュになる。久しぶりに出した愛読者のDM通信の注文もポツポツと入り出した。週末はこの事務処理で仕事場から動けない日が続く。
(あ)

No.1017

夢の砦
(新潮文庫)
小林信彦

 すっかり生島治郎『浪漫疾風録』に影響されて、同じ1960年代初頭の早川書房周辺で生きた人たちの、似たようなシチュエーションを描いた本書にも飛びついた。生島の本にも小林らしき人物が確かに登場する。さらにこの同じ時代の舞台裏には常盤新平もいて、彼はこの時代を描いた『遠いアメリカ』で直木賞を受賞している。本書も60年代の青春自伝小説なのだが、生島よりもずっと精緻な時代描写やドキュメンタリー要素の強いリアリティの濃い作品だ。その「あとがき」で、「60年代の「坊ちゃん」」を書きたかったと述懐している。なるほど、そういわれれば雰囲気はそっくりだ。1960年代は私が10代だ。ド田舎の小さなムラ社会が世界のすべてだった。親と教師と同級生と近所の先輩たちが教えてくれる世界が唯一の「社会の窓」といえるものだった。本書では東京の最先端の街の最前線で生きる若者が「ハンバーガー」や「ピッツァ」がどんな食べ物なのか、意味が分からず首をかしげる姿も描かれている。「レジャー」という言葉もアメリカの小説には「時代のキーワード」のように頻出するのだが、誰もその意味がまったく分からなかったという。当時の最先端の東京の編集者たちもこんな程度のことで苦悩していたのだ。なんだかホッとするね。

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