Vol.1014 20年6月6日 週刊あんばい一本勝負 No.1006


保守主義とは性悪説のこと

5月30日 良いことが続くと、こんな調子いいはずはない、と身構える。悪いことが続くと、そろそろ良いことが待っているはず、と皮算用する。コロナのワクチンや薬ができると、コロナはただのインフルエンザだ。そうなると希望は戻ってくるのだろうか。そんなことを考えながら、好きな南木佳士の本を読み返している。医師でありながら心の病に苦しみ、日常の細部から、心と身体にやさしいメッセージを送り続けるこの作家の作品は時代を越え、胸に迫ってくる。彼の文章に励まされる日々だ。

5月31日「特別定額給付金」の申請書が届いた。散歩の途中、コンビニの郵便ポストに投函したのだがミスをしてしまった。自分の振込先の銀行口座番号を手元にあった銀行のキャッシュカードで確認し記載した。さらに申請書には銀行通帳のコピーも添付してほしいとあったので、念のためコピーした通帳の口座番号とカード番号を照合してみたら、違っていた。カードの番号の前には「ゼロ」がくっついていて、そのゼロも記載してしまったのだ。市役所ではこれが問題となり申請書は無効、と判断されるかもしれない。

6月1日 ヨーグルトがトロンとうまく凝固してくれない。タイミングよくA長老が自作のカスピ海ヨーグルトを持参し、「これが本物のヨーグルトです」とエバって帰っていった。う〜ん、これほど味に差が出るとは屈辱以外の何物でもない。昨夜は南木佳士の長編小説『阿弥陀堂だより」を一晩で読了。だから寝不足だ。

6月2日 アメリカの黒人虐殺事件は、とても対岸の火事とは思えない。最近読んだり観たりしている本や映画も「差別」に関するものが多い。「差別というウイルスはコロナよりも感染力が強い」とつくづく思う。映画『グリーンブック』では、黒人の人気ピアニストが高級ホテルで演奏した後、ホテル内のトイレが使えず、掘立小屋の便所を使うよう指示される。ブレイディみかこ著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、イギリスで黒人と同じ扱いを受ける日系人の子どもを描くノンフィクションだ。どちらも笑いをまぶし、直截的な表現をさけ、上質な作品に仕上げているのが救いだ。

6月3日 このところ見る夢は決まっている。月末の資金繰りで目が覚めるパターンだ。私の夢は約10年単位で定番のシーンが変わるようだ。20代は飼っていたハトのエサをやり忘れ焦ってしまう夢。30代は体育の時間にトレパンを忘れたことに気が付き焦りまくる夢。40代は大学受験の準備を怠って試験がまったく解けず落ち込んでしまう。50代は目の前に巨大な鳥(軽トラックほど)が現れ、その貴重な体験に興奮する。「鳥」というのはフロイト風解釈によれば性の欲求不満ということになる。60代以降はもっぱら会社の行く末を案ずるものが多くなる。

6月4日 運転免許証の高齢者講習のお知らせが届いた。免許証の有効期間が満了する日に70歳以上になる人が受講するもの。受講しなければ免許証の更新ができない。り近くの自動車学校に講習申し込みの電話をしたら、「8月いっぱいまで予約が入っています」と軽く断られてしまった。とんでもない狭き門だった。これでもし予約が取れなければ、免許更新は「なし」ということになる。いやいや冗談ではない。

6月5日 床屋さんなどで剃刀を革砥ぎでシュッシュッと「研ぐ」シーンを映画などでよくみかける。あれをやれば剃刀はもっと切れるようになるわけだと理解していた。でも開高健の『珠玉』を読んでいたら真相は真逆。剃刀はよく切れると危ない。そこで革砥ぎで、わざわざ刃先を柔らかく丸めるのだそうだ。もう一つ、はじめて本で知ったこと。「保守主義」というのは性悪説をとる人のためのものというもの。革新はだから性善説者たちの考え方だ。人は悪いことをする。努力してもそれは変わらない。だから制度の中でうまく回っているのは「正しい」と仮置きして放っておく。これが保守主義だ。「人間はそれほど賢くない」というのが人間観なのだ。基本的には左派とか右派といった政治信条以前の、ものの考え方の根本に保守や革新はある。そうだったのか。
(あ)

No.1006

フロスト始末
(創元推理文庫)
R・D・ウィングフィールド

 ブックガイドなどで面白い小説といえば、この本がノミネートされていたる。いつか読まなければと思いながらも、人が簡単に殺されるミステリーや警察小説、それも海外ものには、なかなか苦手意識が強く、触手が伸びなかった。でもこのコロナ禍、時間は有り余るほどある。覚えにくい登場人物と格闘しながらでも、興味の薄い上下巻の海外ミステリーを読むのも勉強になるのではないか。と気負ってスタートしたのだが、結局2週間ほどこの本にかかりっきり。途中でやめなかったのは、けっこうおもしろかったからだが、読了して「やったぁ」という達成感はない。「やれやれ」という徒労感が強い。やたらと人が殺され、暴力が日常で、意味のよくわからないユーモアや皮肉が仲間内の会話の常とう句。この無駄なユーモアや皮肉やたとえを、会話から省けば本の分量は3分の一で足りるのではないか。やはり海外ものミステリーは自分には無理、背伸びのし過ぎだ。ミステリー用のリテラシーが欠如しているといってもいい。この2週間の夜の読書タイムを返してほしい、というのが正直な気持ちだ。この本との無駄な格闘がなければ、人生が変わるような内外の古典数冊は読めたかもしれない。根っからの貧乏性で、そのために途中でやめることのできなかった自分を責めている。

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