Vol.1013 20年5月30日 週刊あんばい一本勝負 No.1005


パロディも許さない世相は危険だ

5月23日 日課の新聞切り抜きが不調。価値のある記事がないからだ。本もはずればかり。映画もはずれが続いていて「ジョーカー」も「スリービルボード」も「スターリンの埋葬狂騒曲」も今ひとつ緊線に触れてこない。気を取り直して村上春樹の新作『猫を棄てる』で、少し光が見えてきた。この勢いで南木佳士の旧作『急な青空』を再読、やっぱりいい作家の作品は身をすっかりゆだねられる安定感がある。藤原新也『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』も再読予定。

5月24日 総勢4人で矢島町にある八塩山矢島口ルートへ。2か月ぶりの山歩きだ。朝起きるのが少し辛かったが山を歩ける歓びが勝っていた。往路は3時間20分、復路は2時間20分、歩きっぱなしの6時間半。天気は晴天、鳥海山の眺望もくっきり、20度をこす暑さだった。身体は確かになまっていたが、歩くにしたがって調子は上向いてきた。

5月25日 激しい筋肉痛を予想していたが、なんともない。山から下りて家に帰ってから街に出た。市街地はゴーストタウンのようで少し怖かった。タクシーがほとんどつかまらないから、夜の街に出ていっても帰宅が大変、という声も聴いた。日曜日だったので店もほとんど開いていない。開いてる店もスカスカ。これほどまでにひどい状況とは思ってもみなかった。

5月26日 私の住む広面は大学病院のある町。そのため朝から晩まで救急車のサイレンが聞こえる。もう40年以上住み続けているのだが、最近サイレン音のうるささは異常だ。コロナ騒動と「軌を一」にしているのだが、タクシーの運転手に訊くと、「家に閉じこもる年寄りたちが体調を崩して運ばれている」と教えてくれた。

5月27日 去年読んで感動した河ア秋子『土に贖う』(集英社)が今年度の新田次郎文学賞を受賞。うれしいニュースだ。昨日読み終わったのは原田宗典『メメント・モリ』と上原善広『断薬記』。どちらも人気作家のうつ病や薬物使用を赤裸々に描いた自伝的要素の強い本だ。「メメント・モリ」という言葉は藤原新也の専売特許と思っていたが森鴎外や澁澤龍彦がすでに使っていた言葉だった。「広大な大地に向けて降る膨大な雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ」というのは村上春樹の『猫を棄てる』の巻末の言葉。これにしびれた人も多いだろう。今日からは、若桑みどり『イメージを読む』を再読予定。

5月28日 ナマコとかカタクリの根とかを最初に食べた人間はエライ、というセリフは居酒屋などでよく耳にする。でもこれは、飢餓凶作時代の近世の領主たちにとって重大な政治経済問題。各藩には「食べられるものを探す専門の係」があった。言葉の世界に目を転じると、「夜」という言葉を発明した人は天才だ、とあの開高健が言っている。物質として存在するものを名付けるのはたやすいが、自然現象に名前を付けるのは至難の業だ。ある天才が「夜」という名前を付けても、それが万人に理解されるようになるには、さらに何万年もかかったに違いない。

5月29日 ネットニュースで女子プロレスラーのSNSによる誹謗中傷問題がかまびすしい。発端のTV番組も観たことないし、プロレスにもまったく興味はない。私にとっては日本外国特派員協会会報誌のパロディ問題のほうが興味というか強い危機感を感じている。五輪のエンブレムがコロナに見立てられたことに腹を立てた組織委員会が、著作権を持ち出して抗議、取り下げさせたというやつだ。この度量のなさにはほとんど呆れてしまう。明らかにパロディなのだから笑って済ませる話だ。この組織委員会の元首相は「私はコロナが収まるまでマスクをしません」と賜った御仁だ。こういった人の牛耳っている五輪にも興味ない。でも、おふざけの社会風刺を絶対に許さない、とする狭量な世相は、本当に危険だ。
(あ)

No.1005

日々の一滴
(トゥーヴァージンズ)
藤原新也

 あの名作「コスモスの影には誰かが隠れている」の著者だ。本業である写真と、文章が半々の本なので、何かが起きそうな予感がする。著者特有の視点やテーマの設定、切り口は絶妙で、それだけでも十分に堪能できる。昔の本と少々違うのは著者の「立ち位置」が大御所的なポジションになったこと。自分の過去の表現への評価や有名人たちとの交流、画面にぴんぱんに登場する本人に、それを感じてしまう。いやいや、それはこちらの僻みっぽいコンプレックスなのかもしれない。初出である連載が生協クラブ連合会の機関紙だ。たぶん女性購読者が多いので、そこいらの購読者や興味に、サービスで過度に焦点を当てすぎた可能性もある。なんだか、どうしてもあのセクハラ強姦魔として名を馳せた人権派写真家・広河隆一がいろんな局面でイメージがかぶさってしまうせいかもしれない。あの男の犯した罪は重く深い。ひとつの写真に短文という構成だ。硬派で反骨、核心的で執念深い、と言うこちらの勝手な著者への思い込みは健在だ。印象深いのは、高齢化の進む実姉に猫をプレゼントしてやる話だ。独り身で、目も悪くなり、時間を持て余す姉は、その猫と暮らすようになり「10歳も若返ってしまった」という。これはリアリティがある。世界の暗部を抉り出すエッセイより、こうした身辺雑記の文章のほうに説得力がある。

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