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書店が消えても、誰も困らない?
 東京に行っている間、秋田県の老舗であるJR秋田駅前の加賀谷書店本店が閉店した。07年以降、駅前にはジュンク堂書店や宮脇書店などの大型店が相次いで出店、その影響で客足が減り、売り上げが減少したためである。
 加賀谷書店は1953年に設立、閉店するこの本店ビルは1955年にオープンした店舗である。半世紀以上も「街の本屋」として市民に親しまれてきた。他に市内に東通店、茨島店の2店舗を営業しており、こちらはそのまま営業を継続するという。
 本店の売り場面積は1,2階あわせて528u。売り場面積が2千u以上あるジュンク堂や宮脇書店の出店で、とても品揃えでは太刀打ちできなくなり閉店の決断をしたという。11年度の売り上げは20年前の4分の1にまで減っていた。
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 無明舎が同じ秋田市内で出版業をスタートしたのは1976年。それから20年あまり、秋田県内全書店の売り上げの1割は加賀谷書店一店によるものだった。特に官公庁や学校などの外商売り上げが大きく、「外商の加賀谷」はほぼ独占体制を敷いていた。売り上げもその6割近くを外商が占めていた。
 そのため定価の高い本を販売する時は、加賀谷書店外商部に相談してからでないと出版は不可能だった。外商部の意見を聞き、彼らの見計らいで全体の部数が決まり、営業戦略を立てたほどである。それが常識というか原則だった。「加賀谷書店一店で何冊さばいてくれるのか」が最初にあり、刷り部数が決まり、企画の成否がほぼ決まった。その強大な外商力を生かし、一時は東京の大手出版社と組み、豪華大型本(画集や写真集、全集類)の出版にも意欲的に取り組んでいた。いろんな意味で秋田県のリーダー的書店であり、その突然の閉店は「最後の大物の退場」といったイメージで市民間に受け止められているようだ。
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 地方書店の外商がまさに花形だった時代、出版社は本を売ってもらうため、大手書店の外商員たちを接待づけにする「営業」が日常化していた。1冊が何万円もする豪華本が彼らの手にかかると何千部も売れる。顧客リストが充実していて、公官庁も彼らが「勝手に置いていく本」に全幅の信頼を置いていた。秋田でも確かに本はよく売れた。高額な本ほどよく売れるのが地方出版の特徴といってもいいほどだった。地方出版社の仕事は本をつくることではなく、彼ら外商員を接待すること、といっていい時期があったのである。
 しかし、連日の書店員接待で身体がぼろぼろになったある県の地方出版社主をまじかにみて、「これはちょっと違うぞ」と、遅まきながら気がついた。売り上げの1割強を1社に頼ったり、高額な外商依存の本作りは危険極まりない。
 東北各地の書店で少しでも着実に売れる本をつくらないと未来はないのではないか。徐々に別の方向性を模索しながら、無明舎は外商ラインと縁を切る戦術のほうに舵を取るようになった。                     
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 駅前の一等地にある加賀谷書店本店ビルには、来年(2013年)、居酒屋「和民」が入居することに決まった。いわずと知れた外食大手ワタミ(東京)の秋田県内1号店である。ワタミは秋田、福井、高知の三県を除く44都道府県に計630店舗を展開している。秋田に先駆け今年の11月下旬には福井県には初出店した。意外な事に「和民」のない県は秋田と高知の2県のみ。どっちも酒飲みの多い代表的な県なのに意外というしかない。いやいや書店の話が思わず居酒屋にそれてしまった。この手の書店廃業のニュースが流れるたび「文化の灯が消える」だの「街のサロンがなくなった」といった感傷的なコメントで彩られるが、いまいち説得力がない。嘘っぽいといってもいい。下駄屋さんがなくなるときもワープロが普及するときも、「日本文化が」「手書き文字の味わいが」云々といった一過性の感傷が蔓延したのを思い出す。
 多くの人にとって「あの有名な居酒屋チェーンが、秋田にもようやく出店してくれた」ことのほうが老舗書店の閉店よりも優先順位が上のビッグ・ニュースだ。
 なぜなら書店がなくなっても、誰も困らない時代だからだ。
 生活に直結しているのは居酒屋チェーンのほうなのだ。

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●No.1 何かが終わったのだが何が始まっているのか、わからない

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