Vol.976 19年9月14日 週刊あんばい一本勝負 No.968


奥田英朗『罪の轍』は今年度ベストワン?

9月7日 この夏、色違いのパンツ(ズボン)を交互にはきつづけた。20年も前に買った山登り用パンツでタン色と紺色の2本。速乾性はもちろん軽くてしなやかではき心地が抜群にいい。腰回りはゴムで、欠点はデブ時代の遺物なのでダブダブ感があること。要するにパジャマ感覚で着られて、女性のスカートもかくやと思う風通しのよさ。さすがに真夏日の夜の散歩は半ズボンに着替えるのだが、一度この山用パンツの「楽さ」を覚えると他のパンツがはけなくなった。

9月8日 日曜登山は「真昼岳」。赤倉登山口からだと4時間なので、2時間で行ける峰越林道登山口から。この登山口には思い出がある。10数年前、下山直前に強烈な「こむらがえし」が起き一歩も進めなくなった経験がある。2,3年前には暑さを侮って下山時に水がなくなり全員がパニックになたことも。木陰がほとんどない「峰歩き」であることを計算に入れなかったチョンボだ。今日も35度近いフェーン現象で猛烈な暑さだったが幸いなことに風があった。山には秋の気配が立ち込めていたが暑さはまだ強烈だ。

9月9日 山から家に帰ったら青森の印刷所から大量の「ダテキミ」が届いていた。もう一つ。アマゾン・ベレンにある日伯協会の「90周年記念式典表彰委員会」から「日系社会および当協会への貢献のあった人物や団体を表彰するなかに、あなたも選ばれました」というメール。表彰やメダルとは縁のない人生だったが、齢70にして地球の反対側からメダルをいただけるなんて、何となくこれも自分の人生らしいな、とニヤニヤしながら床に就いた。

9月10日 奥田英朗の新刊『罪の轍』(新潮社)読了。昭和38年、東京オリンピック前年の男児誘拐事件を描いた犯罪ミステリーだ。あの名作『オリンピックの身代金』の前哨戦を描いた物語だ。「電話」が庶民にとってまだ高根の花だった時代のお話を、いまIT全盛に書くことだけでも作家としては勇気がいる。さらに「方言」「貧困」「莫迦」というマイナーな世界が重要な小説のキーワードになっている。しかしこれが「時代を感じさせずに」無類に面白い。ここで内容を書くわけにいかないが、今年ベストワン小説は揺るがないと思った井上荒野著『あちらにいる鬼』に匹敵する傑作だ。奥田の『オリンピックの身代金』をもう一度読み直してみようと思ったほど内容にも引き込まれてしまった。『身代金』の主人公は貧しい仙北出身の若者。東大を出て一人敢然と国家にテロを仕掛ける物語だ。そして今回は一転、主人公は北海道の漁師見習の「莫迦」と子供たちから呼ばれる知的障害を持った若者だ。600ページもの長編だが、久しぶりに読み終わるのが惜しいと感じてしまった。

9月11日 東京のテレビ局の人から「おたくの本の著者のKさんと連絡が取れずに困っています」と夜遅く電話。Kさんは千葉県在住でメールも電話も不通だという。台風15号の被害のようだ。千葉に住む人の安否を東京の人が秋田の私に訊いてくる、というのもよく考えれば変な話だが、IT通信や情報革命により「距離の感覚」昔と全く違う。半年以上前、うちのごく近所である人が亡くなった。その死亡ニュースを私は京都の友人からのメールで知った。同じ町内の知人の死を関西の人に教えてもらったのである。

9月12日 図書館で借りた本に落丁があり返却するとき図書館側から弁償を求められた、という全国紙への投書が話題になっているようだ。「ようだ」というのは実際の記事を読んでいないからだが、「本を借りるのが怖くなった」という借り手側に同情が寄せられている。商売柄、似たような経験をしているので一概に図書館員を責める気にはなれない。先日、「おたくの本にはノンブルがないのか」とクレームがあった。高齢の女性だが、「そんなはずはありません…」と丁寧に対応していたら、相手は「…アレ、ちゃんとあるわね」と慌てて電話が切れた。「もしかすれば自分の思い違いかも」という一呼吸置く余裕がない人たちがクレーマーになる。誤植や誤字を叱るしつこい電話があったので「代金をお返えします」と言うと「図書館で借りた本だから」と言われたこともあった。「寛容」という言葉はもう死語になったのだろうか。図書館は私たちの天敵のような存在だが本を愛する気持ちは同じ。無料貸本屋ではないという気概を見せてくれた、と正直少し味方したくなってしまった。

9月13日 講談社が2013年に発行した「野菜の本」を回収している、とう情報を昨日友人から聞いた。詳しくネットで調べてみると、食べられる野菜として紹介していた「コンフリー」が、厚生省によって「健康被害をもたらす恐れのある野菜」として認定されていたため回収に踏み切ったのだという。このコンフリー問題はすでに10年ほど前、うちが出した『雑草読本』という本で市民団体から同じ指摘を受け、本が絶版になった経緯がある。だから講談社や編集者(たぶんフリーの人)はそうしたうちの失敗を知っているのでは、と思っていたので、こんな初歩的なミスをした大出版社の「ずさんさ」に驚いてしまった。
(あ)

No.968

坊ちゃん
(新潮文庫)
夏目漱石

 名作といわれる『坊ちゃん』を突然、無性に、なぜか読みたくなった。中学か高校時代に読んだきり、どんな物語なのかもすっかり忘れていた。名作といわれる作品を「うら覚え」はないだろう、と思ったかどうかは別にして、一晩で読了した。こんな物語だったのか。主人公は東京理科大学(の前身)の卒業生で数学教師。少年時代、主人公がどこの大学を出て何の教科の教師かなんてことに興味はないから、そのへんは覚えていないのも攻められない。主人公と山嵐VS赤シャツ・野だいこの対立を描いた単純な筋立てだがやたらとテンポがいい。「坊ちゃん」というタイトルはどうして付いたのかも今回再読して知りたかったこと。本書はありていに言うとお手伝いである「清」へのオマージュである。だから「清」が主人公を呼ぶ「坊ちゃん」という口癖からとったものなのだろう。文中では、2度ほど赤シャツが「あんな坊ちゃん…」と発言する場面があるが、これはたまたまで書名は「清」への哀惜からつけられたもののようだ。意外と短い文章だったことにも驚いた。こんなに単純でたわいなく短かい物語だったんだ。というのが70歳になる令和のジジイが再読した正直な印象だ。本文庫には「坊ちゃん」より5倍以上長い「こころ」も一緒に入っている。ついでだからこの名作も読んでしまった。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.972 8月17日号  ●vol.973 8月24日号  ●vol.974 8月31日号  ●vol.975 9月7日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ