Vol.496 10年4月10日 週刊あんばい一本勝負 No.490


バタバタ、アタフタの日々です

3月も終わってしまったなあ。
あれよあれよという間に、恐怖の4月も1週間が過ぎてしまった。
何度も書いているので恐縮だが、今月は増刷も合わせると7冊ほどの新刊が集中して出てしまう。できれば数点は5月連休前ぐらいまで延びてほしいのだが、それは叶わぬ夢だ。GWは印刷関係も当然お休みなわけで、彼らは突貫工事で意地でもGW前に仕事をすべて仕上げてしまおうとする。必然的に多くの仕掛かりの仕事が5月GW前に「出来上がってしまう」、というわけである。みんなが遊んでいるGW中に仕事をさせられるのは誰だって嫌だもんね(私はそうでもないが)。だから私の管理・調整不足だけが、集中刊行の原因ではないのだ(!)。って誰に弁解しているのやら。

新刊ラッシュの時期は毎日が緊張とストレスとの戦いでもある。本にミスはないか、内容的に問題をはらんでいないか、流通はスムースに行くか、予想通りの販促が出来るか、メディアの反応は、読者たちは……と心配はきりがない。
こうした新刊ラッシュが終わると、今度は次の本の「仕込み」作業に入るわけだが、準備はすでに始まっている。5月以降の編集作業の目玉は「イザベラ・バード」と「鳥海山」。どちらのテーマも複数の本を予定している。遅れに遅れてしまったが、夏から秋の小社の目玉になる本なので、この編集作業に忙殺されることになりそうだ。

それにしても今年は刊行点数が多くなりそうだなあ。例年より少しだが売れ行きも上向いている。書店の力は年々弱くなっているのは間違いないが、その分、こちらが販売網エリアは広がっている。広げないとやっていけないのだ。書評にとりあげてくれないメディアには何回も電話するし、とりあげてくれそうなところには丁寧に手紙を書く。著者の講演会には必ず本を売りに行くし、関連イベントでの本即売も積極的に参加する。とにかく書店をアテにしていたら、こちらも共倒れは必至。売る場所をせっせと開拓していくしか希望はない。
これからは積極的に自分の本のプロモーションの出来ない著者は、企画段階ではねられるような事態もくるのかもしれない。著者も出版社や本屋任せは許されない時代に入ったのだ。
(あ)

No.490

偽書「東日流外三郡誌」事件
(新人物文庫)
斉藤光政

 この事件に関する本はいろいろと読んだ記憶があるのだが、最前線で取材を続けた新聞記者の記録があるとは知らなかった。今回の文庫化で初めて知ったのだが、この臨場感はやはり現場至上主義の記者でなければ書けないなあ。推理小説を読む以上に面白い。この「謎の古文書」やそれを「発見」した和田喜八郎については、文献の真贋問題以前にその言論や風貌の、あまりのいかがわしさに、ほとんどの人がうさんくささを感じたのではないだろうか。津軽の風土だからこそ出た人物だし許されたキャラクターではないのか。失礼ながらそう思ってしまう側面もある。ある日突然、この詐欺師がわが秋田の田沢湖町に登場。そこでは古文書論争の当事者ではなく立派な詐欺師として町をだまし、後は知らぬ存ぜぬ、その面の皮の厚さの違いを見せつけた。「かなりアクの強い津軽人特有のキャラクターをもつ狂信的な老人の犯罪」といった印象を秋田県民に与えた。そういった意味では津軽人のイメージを、強烈なほどマイナス方向に振ってしまった人物の代表である。この和田氏に見事にひっかけられた地元の出版社や郷土史家とは、仕事柄親しい。だからもし自分が彼らと同じ立場だったらどうしたろうか、と考えながら本書を読むと、本書は推理小説ではなくホラー小説に思えてくる。怖いなあ。

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