Vol.419 08年9月27日 週刊あんばい一本勝負 No.415


9月ももう終わりか……

ずっと青空の日が続いて、こうも雨が降らないとすぐに不安になってしまうのだが、天気がいいと活動的になるのはまちがいないようだ。例年に比べても忙しい月になった。新刊が3点出て増刷も2点、本を出すのだけでアップアップで、1冊1冊の販促がおざなりになってしまった観も否めない。新聞の取材を受けたり、ひんぱんに打ち合わせがあったり、この月末も出版パーティーや結婚式が待っている。でも、お祝い事はいくつあってもうれしいね、この年になると。
週末は相変わらず山行だが、参加している「山の学校」の活動スケジュールがこのところ若干不安定になっているので、ほとんど自分勝手に行動できる単独行か、気の合った友人と二人で出かけるケースが増えている。9月だけをとっても団体行動は一度もなし。真昼岳、八幡平(焼山)、姫神山(岩手)、胎蔵山(山形)、三ツ森山とほとんどが一人か二人。一人で登るのは気軽で、いつでも引き返せる安心感もあるのだが反面、難しい山にいけない、熊や事故が怖い、ペース配分が難しい……といったマイナス面もある。団体と個人のお互いのよさを組み合わせながら秋から冬の山を楽しみたい。
先週、ちょっと変わった会に出てきた。十文字の居酒屋で毎月定期的に開かれている「蕎麦打ちの会」で、友人に誘われて出席。会員が勝手に蕎麦を打ち、その傍らで店のご主人のキノコ鍋や鹿刺しを食べ、最後に各打ち手の名前がついた蕎麦を賞味する、というなんだかよくわからない会だが、会費3千円は安い。本物の蕎麦屋さんから公務員まで出席者は多士済々で、誰も名刺交換したりしないのもいい。若い外国の男女も来ていた。蕎麦が好きで、自分で打ちたい人たちの親睦会なのだが、ウンチクも酷評も見栄っ張りもない、なかなか雰囲気のいい会で、次回も参加しようかな。
(あ)

No.415

ゆらゆら橋から(集英社)
池永陽

 最近あまり本を買わない。読みたい本が少なくなった。年をとって興味の範囲が狭まってきたのだろうか。本屋に行くことがめっきり少なくなり(ないんだけど)、新聞の書評や広告を見てネットで本を買うのが常態になった。そのため本のまとめ買いもほとんどなくなった(1冊単位でいつでも買えるから)。読書は寝る前の数時間なのだが、たまに読む本がないことに気付いてうろたえることがある。そんなときは買ったはいいが読まずに「つんどく」しておいた本を書棚からとりだす。そのときの気分にあった1冊を選ぶくらいのストックはある。未読とはいっても、買った時は「面白そう」と信じて買った本だから、そう外れることもない。本書はそうした「つんどく」本なのだが、ヒットだった。こんな面白い本をなぜ読まずに「つんどく」させていたのだろう。たぶん買ったはいいが、もっと興味のありそうな新刊のほうに心奪われ、そのまま機を逸してしまったものだろう。 著者の作品はこれまでもいろいろと読んできたが、そんななかでも本書は上に位置する作品集だ。一人の人間(著者)が生まれてから小中高、大学、社会人、そして家庭をもちリストラされ、故郷に帰るまでに経験した8つの恋物語を連作短編にしたものだ。個人的には第4話の「空っぽの愛」に共感を覚えた。大学時代の奔放な女子大生に翻弄される話だが、似たような経験あるよなあ。

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