Vol.366 07年9月15日 週刊あんばい一本勝負 No.362


インターネット的な秋?

 気がつけば秋。朝夕の冷え込みを感じるようになった。
 今年3回目になる「愛読者のためのDM通信」送付の時期だ。早いなあ。3カ月にいっぺんだから7,8月は何をしていたんだろうと考えてみたら、ほとんど新聞や書下ろしの原稿書き。事務所にこもっている。
 週末は山歩きで、うまくストレスを発散できていたので、原稿書きもそれほど苦痛ではなかったのだが、本業の仕事のほうは低調でヒマ。
秋からは少しずつ忙しくなる予定だが、ここ数年の傾向として仕事の好不調の波がくっきりしてきた。
 本の売れ行きが劇的に好転するということはありえないだろうが、目に見えない新しい波のようなものが、すぐ近くでうねっているような気もするのだが、それがどのようなものなのか、皆目見当がつかない。

 ずっと前に読んだ糸井重里著『インターネット的』(PHP新書)を再読してみた。2001年に読んだ時、あまり意味がよくわからず印象に残っていなかった本だが、妙に気になり6年後に再読、やっぱり、にらんだとおり示唆に富んだ言葉が満載の「すごい」本だった。6年前の自分がアホで内容についていけなかっただけだ。
 ネットの可能性やビジネスとの相性といった下世話な話は皆無だ。ネットを自家薬籠中のものにすることで、自分と周りの仕事や暮らしがどのように変わるか、「難しくない哲学」として論じている。今読んでもまったく古くないどころか、逆に今だから「目からうろこ」のエピソードが詰まっている。コンピュータやインターネットと言う武器を手に入れた時、糸井は、これで大きな組織にぺこぺこ従属するようなイヤな仕事をしなくてすむ「場所」を手に入れることができるかもしれない、と感じたという。その場所が「ほぼ日刊イトイ新聞」なのだが、糸井はもう一つ「消費者のクリエイテブ」という哲学も披露している。ネットのバラ色の未来を脳天気に書いているバカ本とまったく違い、ドッグイヤーといわれる進歩の激しいネット社会の本質をやわらかく描き出している一冊である。
(あ)
いい本ですよ
岩手山の中腹で

ピンボケですが東京猿楽町のうまかったイタリア食堂

No.362

多賀城焼けた瓦の謎(文藝春秋)
石森愛彦(絵)工藤雅樹(文)

 この本は面白い。担当編集者の長女が、夏休みの自由研究の課題にしたことから生まれた本だそうだ。「大化の改新」や「律令国家」「蝦夷」や「東北」という言葉のルーツがよくわかる。絵本形式の物語なのだが絵と文章のバランスがいい。定型化した絵本ではないところが魅力だ。 ところで最近、北東北各地ではJRの観光キャンペーンで「もう一つの日本 北東北」という幟がいたるところにはためいている。本書を読んだ人ならば、この口当たりのいいJRの宣伝コピーに確実に違和感を覚えるはずだ。
 「もう一つの日本」=蝦夷=北方の蛮人=「まつろわぬ人々」……坂上田村麻呂も源頼朝も徳川家康も朝廷から「征夷大将軍」を拝命した武将である。当時の権力者にとって、朝廷に服従しない人々のすむ東北は「征伐」の対象でしかなかった。「もう一つの日本」という言い方には、古代からの権力者が同じ列島に住む異邦人への強烈な蔑視の歴史が込められている。いわば「厄介者の住む国」を意味するそのコピーを、征伐された側の末裔として、喜んで口にするのもどうなんだろ、とそんなことを考えさせてくれた本である。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.362 8月18日号  ●vol.363 8月25日号  ●vol.364 9月1日号  ●vol.365 9月8日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ