Vol.282 06年2月5日 週刊あんばい一本勝負 No.278


あわただしい1週間でした

 1月末日にようやく「冬の愛読者DM発送」を終えた。ぎりぎりセーフ。秋号が10月だったから、これ以上遅れると春号になるところだった。DMは年4回出すのだが、このために新刊案内やチラシを数万枚作り、印刷代や郵送料など1回数十万円の費用がかかる、小舎にとっては大きな販促イベントで、売れる本も金額ベースで200万をこえる。東北の各新聞に全3段1面広告を打っても波及効果は知れたものだが、このDMの愛読者というのは文字通り「本好きの全国の東北出身者が多く、無明舎ファン」といったカテゴリーに属する人たちなので購買パーセンテージが圧倒的に高いのだ。
 2月にはいると父の1周忌。あれから1年たったのか。去年のこの日のことは1時間刻みですべて脳裏に刻まれている。東京の国立公文書館でずっとある復刻本のための調査と申請をしていた。法事は、子ども時代の家のまん前にあった料理屋さんで板前さんも経営者も幼馴染。建物も当時のまま。子ども時代の風景と還暦近くなったいまの自分の間にある「時間」のギャップがなかなか埋まらず、複雑な気分だった。仕事に戻ると、1日がかりのISOのサーベランス(定期審査)が待っていて、これも緊張で疲れる。サーベランスは年2回、担当責任者のSが2人目を身ごもったこともあり、将来の状況(継続)はかなり厳しくなりそうな予感がする。
 2月2日には晶文社の中村勝哉さんの「偲ぶ会」が神楽坂の出版クラブであり、これだけはどんなことがあっても出たかったのだが、父の法事やISO審査と重なり断念。晶文社は一番影響を受けた出版社であり、学生時代から今に至るまで尊敬の念がまったく変わらない憧れの存在だ。社内にも知り合いが多く、自分の本まで出してもらい、中村社長とも懇意にしていただいた。いまはひたすら出版社の存続を願うばかり。合掌。
 明るいニュースは、高齢化の進む事務所にH君という20代の若者が新戦力(アルバイト)として出入りするようになったことだろうか。秋田大学中退で、山チャリで廃道探検を趣味にしている変わり者。「廃道」研究をライフワークにしたいフリーランスなのだ。彼が戦力になると無明舎にも少しは活気がよみがえるかも。でも年寄りに囲まれて、がみがみお小言を言われるのは大変だろうな。
(あ)

土曜の朝は市民市場へ

 私は結構な市場好きなので、市場を見つけるとつい車を止めてしまいます。特に魚市場が好きで、東北でのお気に入りは青森駅前に並ぶ市場群、八戸の「陸奥湊市場」(ここの太陽食堂はお薦めです)、また八戸の「八食センター」は普通の魚市場とは雰囲気が違いますが、大きくて安いうえ貸し七輪もあるので、買い物と同時にビールと焼き魚などが楽しめます。あとは宮古の「魚菜市場」、大規模な塩釜の「水産物仲卸市場」(素人向けに小売もしてくれます)、秋田県八森町の「八森観光市場」あたりです。いわき市の「いわき・ら・ら・ミュウ」は近くを通ったことはありますが、まだ入ったことがありません。こうしてみるとやはり魚種が多い太平洋側に良い市場が多いですね。ここであげたような市場がある所に行くときは、車にクーラーボックを積んで出かけるのが習慣になっています。
 遠出しないときの土曜日は、朝のうちに秋田駅前にある「秋田市民市場」にブラリと出かけます。90軒近い店が並ぶこの市場では、山菜、キノコの時期はその売り場が魅力的ですが、普段はやはり魚屋に足が向くときが多く、今朝も魚売り場をあれこれ冷やかしてきました。この季節は魚の種類が少なめですが、1月中旬からようやく秋田沖でもマダラが揚がり始め、マダラと一緒にだだみ(マダラの白子)やマダラの腹子も主役級の扱いで並べられていました。アンコウも結構多かったのですが、大きさはいまいち。そんななか幅を利かせていたのが淡水魚です。八郎潟のゴリやワカサギ、おそらく青森の小川原湖から来たと思われるチカ、もう少しで旬を迎えるサクラマスも揚がり始めたようで、それらはかなりのスペースをとっていました。今日は陸奥湾で取れたばかりのセグロイワシ、15センチくらいの大きさのチカ(キュウリウオ科でワカサギの仲間)、刺身用のだだみ、湯がいて包丁でたたくと粘りが出る海藻のギバサ(ホンダワラ科のアカモク)、同じく海藻のエゴノリからつくったエゴ、漬物のふかしナスなどを買い込みました。なかなかシンプルな食材が揃い、今夜の晩酌が楽しみです。
(鐙)

市民市場の魚売り場

トレイの上が生のギバサ。小鉢の中が湯がいて包丁でたたいたもの

No.278

志ん生一代(学陽書房人物文庫)
結城昌治

 まだ30代になったばかりのころ「週刊朝日」の連載を読みかじった記憶がある。そのとき以来4半世紀が過ぎたが、落語そのものに興味がないせいか、文庫になっても(朝日文庫)食指は動かなかった。その後、文庫本ははやばやと絶版になり、しばらくは「幻の名作」になってしまったようだが、このたび学陽書房の人物文庫の1冊として再刊された。読んでみようと思ったのは、年齢の影響もあるのだろう。これからは少し落語でも聴いてみようかな、と思いたったからである。なぜか小生の母親は大の落語好きである。東京に行くたび、自分は興味がないのに落語のCDをせっせと買い、母にプレゼントしている。おまけに息子もなぜか中学時代から落語ファンで、修学旅行では新宿の末広亭にひとりで行き、中学校の問題になったこともある。弟の長男もまだ20歳前だがやはり落語好き。こうした身近な人と親しく会話するためにも、ちょっと落語を聴いてみようか、と思っていた矢先の「再刊」だったのである。落語そのものを聴く前に、本を読んで予備知識を仕入れておく、というのも本本主義者のやるせない性である。それにしても人間として見るなら、志ん生という人物はほとんど間違いのないクズ、ゴミ人間である。著者の書き方がそういった印象を読者に与える嫌いがある、といってもいい。全体の4分の3が「ダメ人間」のエピソード、というのはちょっと救われないが、実際に聴く志ん生の落語はぴしゃりと糊がきいている。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.278 1月6日号  ●vol.279 1月13日号  ●vol.280 1月20日号  ●vol.281 1月27日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ