Vol.1120 22年6月18日 週刊あんばい一本勝負 No.1112

丸と平

6月11日 土曜日、一人で大平山(前岳・中岳)に登ろうと準備していたが、遠方から来客があり居酒屋で楽しくお酒を飲んだ。朝起きてみてもまだ酒の気配が身体の隅々に残っている。山行を中止することにした。それにしても酒に弱くなった。このぐらいなら大丈夫、となめ切って過信していたが、もう年だ。無理に山を歩けば事故につながるのは必定だ。青空が恨めしい。

6月12日 一人で大平山前岳へ。駐車場が確保できるか心配だったが、予想外のガラガラ。のんびり、トロトロ、マイペースで登り始め1時間ほどで鈴を鳴らしながら降りてくるO先生と会う。。今年はクマの影が全く見えないそうだ。フンも見かけないから山ではなく里に暮らしているのでは、というのがO先生の見解だった。ヘロヘロになりながら女人堂、前岳山頂へ。1時間40分のけっこうハードな山行になった。このところ優しい山ばかり選んで登っている。ガツンと全身にカツを入れられた気分だ。ここを毎日登っている80代のO先生も「1年単位できつくなっていくわ」とボヤいていた。それでも汗ひとつかいていないのだから驚いてしまう。

6月13日 ゴミ袋を車で捨てに来る人に、うっすらと抵抗感があった。コンビニにゴミだけ捨てに来る学生や若い主婦に対する嫌悪感もある。銭湯に身体を洗わずにいきなり入浴する男を見た時のような気分、とでも言ったらいいのだろうか。まあ人のふり見てわが身を、ではある。昨日の山歩きの筋肉痛が辛い。ギリシャ映画『蜂の旅人』は面白かった。マストロヤンニのセリフがやけに少ないなあと感じたのだが、ギリシャ語が全く話せないので「吹き替え」なのだそうだ。これもすごい話だなあ。

6月14日 布団を干した。今年に入って何回目だろうか。とにかく今年の春は青空が続く。70年生きてきて、こんなに何度も青空を見るのは初体験といっていい。布団を干すと夜は快適だ。併せて冬の間ほこりまみれになった絨毯や毛布、台所マットにリュックサックなどの「大物」をコインランドリーでクリーニング。大型のコインランドリーで大物を一挙に洗えるのはいいのだが乾燥が大変だ。100円玉を15回も入れてようやく湿気を完全に除去することができた。

6月15日 カミさんのアッシー。横手にある県立近代美術館で「堀文子展」。年とともに色遣いが派手になり、ミロのような絵を描く作家の過激さに驚く。無料コレクション展「描かれた気象」は地元作家が主体で、横山大観から金子義償まで、テーマがよくわからないところも面白い。堀文子展にもどると彼女に影響を与えた作家として秋田出身の柴田安子の作品も12作、参考展示されていた。柴田の旧姓は最上で角間川の出だ。この最上家と安倍家は遠戚関係にある。好きな画風だったので身内的にはひと安心といったところ。昼は十文字で三角ラーメン、刈和野の「ギャラリーゆう」にK夫妻を訪ね、家に帰ってきたのは4時。

6月16日 登山靴を買うと予備の靴紐が付いてくる。これはほとんど必要ないよね、という話を山行の車の中で話しているとSリーダーからしっかり怒られてしまった。あれは予備の靴紐ではなく「登山靴には平状と丸状の2本の靴紐がある」のが常識なのだそうだ。丸紐は足全体をキュッと引き締めたい人(結び目が緩んでくる欠点もある)、平紐は結び目が緩くなることはないが、全体的にゆったり安定した履き心地を好む人……という具合だ。こんなこと全く知らなかった。また一つ賢くなった。

6月17日 もう10年近く前、天然秋田杉は伐採も売買も禁止された。天然秋田杉がなくなると困るのはどんな道具だろうか。まあ大抵のものは人工杉で代替可能だ。どうしても代替がきかないのは酒を造る時の「麹蓋(こうじぶた)」ではないか、という人がいた。麹つくりは、名人といわれる杜氏さえ安定的に作るのが難しい。ヒノキやヒバは抗菌作用があり使えない。木目年輪が細かくそろい、赤みを帯び木肌の柔らかい天然杉以外、不適格なのだそうだ。底板は割木でザラザラと凸凹があり正目の間に微小な溝がある。このデコボコで通気性がよくなり、麹菌が活発に活動する。麹を多用する秋田では「麹蓋こそ発酵文化の陰の立役者」だという。天然杉の麹蓋が消えると発酵の国の技の消失にもつながりかねないのだ。
(あ)

No.1112

こども地政学
(KANZEN)
船橋洋一編

 地政学という言葉をよく聞くようになった。「地勢学」のほうが正しいと思い込んでいたのだが、英語では「ジオポリテクス」と訳されている用語なので「地政」のほうが正しい。なぜか私のPCでは「ちせい」と印字すると「地勢」と変換されてしまう。地政学はもともと戦争などの研究に使われる用語である。いまもその延長にある使い方がオーソドックスのようだ。でもなんだか耳新しいのは、第2次世界大戦でGHQは日本人がこの学問を研究することを禁じたからだ。戦争のための学問なので、アメリカは不必要と判断したのだ。ということは戦前、日本では地政学研究はけっこう盛んだったということだ。
 「国家は生命力を維持するために必要な生存権(領土)を確保しようと膨張するもの」というのが20世紀の世界の常識だった。そのため領土拡大(他国侵略)は、第2次世界大戦までは戦争の正当化に使われてきた。昔のヨーロッパでは、すさまじい植民地主義を続けることに躊躇がなかったのは、こうした「前提」によるものなのだ。なるほど、そういうことだったのか。本書では現代日本が直面する韓国や中国、ロシアとの領土問題にも多くの紙面を割いている。なるほど、基本的理解もしないまま、時事問題として知ったかぶりをしていたのが恥ずかしくなる。

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