No.245
元の名前は「雄鬼骨山」とはしらなかった
[東鳥海山・湯沢市須川・777m 2021年5月09日]
 朝起きたら、もうれつに腰が痛い。GW中、毎日のように県内の山城を訪ね歩いた疲労だ。理由がわかっているので、これ以上は悪くならないはずと決めて山行を決行。湯沢市須川にある雄物川と皆瀬川に挟まれた奥羽山脈の先端部にある、なだらかで穏やかな登りの続く好きな山だ。
 予想していた通り、久しぶりに気持ちのいい山歩きだった。登りが1時間40分、下りが1時間20分なので3時間のリラックス・タイムだ。実は山頂手前の奥宮のある場所で雨がひどくなり、もう15分も林道を歩けば頂上というところでランチ、そのまま引き返してきた。だから山頂までは行っていないのだが。登山道が広くて歩きやすい。道端に紫のカタクリ、白いイチリンソウ、黄色のオオバキスミレが咲き誇っていた。でも私以外の連中は山菜に夢中で10分おきに登山道をそれ獲物目指して森の中に突進していく。

山頂そばにある奥宮神社

山頂近くにはまだ雪が残る
 ちょっと気になったのは奥宮にあった標柱だ。菅江真澄の句が記されているのだが、「木々はみな冬枯はてて水鳥のをしこほね山神のさひにけり」とある。この句の中の「をしこほね」の意味がわからない。これはどんな意味なのだろう。もともと東鳥海山という山名がよくわからない、という疑問があった。本当にこんな露骨な換骨奪胎ふうの名前を地元の人たちは容認したのだろうか。あまりにベタだし、地元のプライドのようなものが感じられないからだ。10数年前、仕事で院内に来た時も翌朝ひとりでここに登っているが、地元の人は東鳥海山といっても怪訝な顔をして「ああ、権現山のことか」と言っていた。地元の人は権現様で通っているのだ。家に帰ってから平凡社の『秋田県の地名』で調べてみると、中世のころ、横手城主小野寺遠江守が天正元年にここに登り、南西に見える鳥海山から「こっちは東の鳥海山だ」と言ったことから、その名が付け、とされている。さらに気になって菅江真澄全集5巻の『雪の出羽路』には「東鳥海の岳はいにしへ雄鬼骨山(おしこほねやま)といひし地にして」と書かれている。さらに「(山頂付近に)塚あり。みな白骨、二つの塚におさむ。何の骨なる事をしらす。うべも雄鬼骨山の名そしられたる。」とある。なるほど、地元の人は、古代から雄鬼骨山と呼びならわしていたもののようだ。地名辞典では「雄子骨山」と書かれているが、「鬼」のほうがなんだか信ぴょう性がある。山のガイドブック『秋田県の山』では「山頂に鳥ノ海という窪地があるから」などとちょっとピンぼけだが、この窪地が「塚」だったとも考えられなくもないか。

 温泉は湯沢市内のある「ゆざわ温泉」。自分の通った中学校のすぐそばに昔からあった温泉だ。でも入ったのは初めて。宿泊や宴会もできる多目的ホールになっている。

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