No.243
複雑な歴史が詰まった山
[高岳山・八郎潟町・221m 2021年4月11日]
 快晴だ。もうこれだけで儲かったような気分になる青空だ。高岳山(たかおかやまと読む)は小さな山だが、中世、戦国の世に大きな役割を果たした城塞のある場所と隣り合っている。海が道の大動脈であった時代、海が近く、巨大な湖・八郎潟のあるこのあたりは、何かと便利な地勢だったのだ。鎌倉から江戸の始まりまで、秋田の歴史の中で、それなりの役割を果たした歴史の山なのである。標高は低い。急坂をものの30分も登ると山頂だ。山頂にはお世辞にもりっぱとは言いがたいプレハブのヨレヨレの副川神社がある。延喜式にも「最北の神社」として記されている由緒ある神社の風格はまるでない。というのもこの神社には隠された物語がある。もともとこの神社は701年(大宝元)に藤原不比良等が奏請して古代山本郡(現仙北郡)に保喰(うけもつ)神として(保呂羽山の本営という説もある)創建されたもの。古代山本郡とは今の神宮寺嶽(神岡町)のことだ。それが927年、延喜式内社に列せられ、1714年に神仏習合ですっかり廃れていたものを佐竹四代目藩主義格(よしただ)が、この高岡山(当時はこっちの名前だった)に移して「久保田城北門の守護」として再興したもの。こんな時間軸の長い複雑な物語が隠されている場所でもあるのだ。八郎潟の常夜灯(灯台ですね)の石灯籠には「山本郡」とか「秋田郡」といった文字も見受けられるのは、そうした神社の変遷があったためなのかもしれない。

山頂でランチ

急坂の下山が怖い
 でもこの山のハイライトは下りにある。頂上から登り口とは反対側に降りると、薬研堀と言われる谷を境にもう一つの巨大な山、三浦兵庫守盛永の居城が現れる。これこそがここのハイライトといっていいだろう。もともと湊安東家の家来だった三浦が築城した山城で、けっきょくは檜山安東との戦いに敗れて切腹するのだが、中世秋田の重要な歴史の一齣の舞台となった場所でもある。
 小さな山だがドラマのほうこのような山域といってもいいので、まるで退屈しない。

 山は楽しかったが、帰りの温泉がお粗末だった。このへんはまったく日帰り温泉がない。いつもの小倉温泉に行くしか選択肢はない。洗い場も脱衣場も極端に狭く、シャンプーはなし、シャワーはきっかり5秒で湯が止まる。そのくせ入湯料が500円というのだから開いた口が塞がらない。こんなところでも泉質がいいのだろう、地元の人たちでいっぱいなのだからうなだれるしかない。

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