飴がひとつリビングのテーブルの上に置いてある。もう8ヶ月近く。置いたのは私。
飴をなめる習慣がない。自分から欲したこともない。だから、お金を払って飴を買ったことは一度もない。
小さい頃祖母がよく飴をくれた。祖母に限らず大人たちは飴をくれた。ありがとうと嬉しそうな声色でお礼をいうが、心から嬉しいと思ったことはない。かと言って嫌いなわけでもない。くれりゃ口に放り込む。これが幼少期からの飴に対する私のスタンスだ。
大人になると飴をもらう機会はグンと減る。お年玉と一緒で、もらう立場からあげる立場になるのだが、飴を持ち歩いたことがないため、人に飴をあげたこともない。
8ヶ月前。茹だるような暑さの阿佐ヶ谷駅南口ロータリー午前4時。一時間後の始発を待つ老若男女の酔っ払いがロータリーにひしめきあっていた。私もその中の一人。午前4時だというのにすでに30度を超えている。Tシャツはビショビショ。その不快感と酔いの勢いもあり、思わず天に向かって「あちー!!」と叫んだ。ロータリー中の人の目が一瞬私に向く。すると近くで寝ていたホームレスのおっちゃんがムクっと起き私に近付き、「これでもなめて落ち着きなニーチャン」と飴をひとつ手渡してきた。ありがとうと言って受け取ったが、とても飴などなめる気分ではなかった。そのままポケットにいれて家に持ち帰った。そうしてリビングのテーブルにその飴を置いてから8ヶ月がたつ。先述したとおり、飴をなめる習慣がない。捨てるのも忍びない。この飴とは8ヶ月間毎日目を合わせているのだが、なめようという気は微塵もおこらない。
いつまでこの膠着状態が続くのか。
なめるか、なめないか、それが問題だ。
(M)