158. 2021年12月3日 横顔の老人
 朝の散歩コースの途中にいつも会う老人がいる。会うといってもこちらが一方的に「見ている」だけで、話したことはない。大通りから一本はずれた静かな道の脇に立派な一軒家がある。その家の一階部分の窓が道から見える。朝8時、その窓からその家の主人であろう老人の横顔が見える。短髪で痩せていていつも一点を見つめ微動だにしない。その姿は、かの有名な正岡子規の横顔の写真によく似ていて、私はその老人をひそかに正岡さん呼んでいた。同じ時間、同じ場所、同じ姿勢。まるで置物のようにいつもそこにいた。
 先日、そこを通るとその老人の姿はなかった。玄関の脇に「忌中」の札が。その次の日も老人の姿はなかった。おそらく亡くなったのだろう。前述したとおり、その老人とは話したこともなければ、目線すらあったこともない。悲しいや寂しいといった感情はない。ただ、いつもの散歩道からいつもそこにいた横顔の老人がまるでろうそくの火をフッと消したように消えた。それは、近しい人が亡くなったときよりリアルに「死」というものを感じさせる。手袋をはずし、そっと手を合わせまた歩き始めた。
(M)