23.  二つの遭難事故から
 御浜小屋(1700m)は雪の下だった。頂上は神々しいばかりに輝いていたから外輪まで一気に登った。あっという間に猛烈な地吹雪となった。スキーの先端が見えないほどのホワイトアウトだ。それでもどうにか下りつづけ、やっと御浜小屋まで戻ったときは、私の周りは咆哮する白い地獄の空間に変わっていた。
 そのとき崖のヘリにでも立っていたのか、スルスルと勝手にスキーが動き出した。あっという間に一回転、雪面に転がっていた。この時に岩に頭をぶつけるか、脚を折るか、顔面を傷つけるかしていたら下山はできなかったと思う。
 幸いというか左足のスキーが転落のショックで2つに折れた。スキーが安物だったのがよかったと思う。片足スキーで、登りのときにつけた目印の赤旗をさがし、やみくもに下りた。地図を出して方角を確かめるか、ザックをおろしてパンでも食べるか、といった余裕はなかった。いや、ザックに入れていたはずの食料がなくなっていたから、ザックが開いていたのであろう。
 どこをどう下ったのかわからない。ただ風の方向から日本海の方角を察知、ほぼ2時間ほど下ったところで吹浦口の清水(1395m)にはためいている赤旗を見つけた。思わず助かったと叫んでいた。ここからは標高差400mの蔦石の大スロープを直降すれば大平小屋だった。ゴーゴーという吹雪に押されるように真っ暗な小屋に転がり込んだ。このときの記録は、号の雑誌「岳人」の応募紀行「ふぶく鳥海=ある単独行」(1963年12月号)として残っている。

 単独行の責任は自分で取れば済むが、裁量不足のリーダーによる雪山の悲劇は救いがたい。2005年3月末、乳頭山(1478m)で起きた秋田市の高齢者登山グループ「山楽会」の遭難は初歩的なミスによるものだった。
 この日は悪天候にもかかわらず、孫六温泉(800m)から稜線にある田代岱小屋(1270m)まで、女性16名を含めた43名の山行だった。
 ランチの後、すぐに下山にかかった。下山予定の孫六温泉の方角と180度異なる岩手県葛根田川に降りてしまった。誰もそのことに気が付かず、正常なルートを下り続けていると疑わなかった。
 翌日、遭難の報が入り私も捜索のため田代岱小屋まで登った。その時点でも彼らは孫六温泉側に下山していたと思い込んでいた。結果的には1晩のビバークの後、翌日の夜から翌々日の未明にかけて、全員が無事に岩手県側の滝の上温泉(680m)で救出された。
 下山途中、一人でも地図とコンパスを出して確認する人がいなかったのだ。
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