開けっ広げ、キスも悩みも闇両替も |
「見て。サン・マルティンは馬に乗っているでしょ。あれは実は嘘。ロバに乗っていたんだけど、それじゃ格好悪いからって馬にしちゃったってわけ」。ブエノスアイレスのツアーガイドのマギーさんは、アルゼンチン独立の父であるサン・マルティンの青銅の騎馬像を指差しながら言った。アルゼンチン旅行中、たくさんのサン・マルティンの騎馬像を見てきたが、どれ1つとしてロバにまたがった像はなかった。 マギーさん曰く、これはポルテーニョ(ブエノスアイレスの市民)の好む「チャムーショ(chamuyo)」の1つの例。チャムーショとは、嘘を交えながら話を誇張するという意味の俗語。最近の言葉で言えば、「話を盛る」ということだろう。 モンテビデオからバスとフェリーを乗り継いで、旅の起点であり終点でもあるブエノスアイレスに戻ってきたのは2月15日の夕方。夕食は旅のはじまったばかりの頃、ブエノスアイレスを案内してくれたアルゼンチン人のAさんと一緒に。彼女の行きつけのレストランで肉厚のある「ビッフェ・デ・チョリソ(牛ロースステーキ)」をいただいた。 翌日の16日はブエノスアイレス観光の最後の日。午前中にレコレータ地区周辺を散策した。英国紙の「世界の美しい書店ランキング」2位に選ばれた「エル・アテネオ・グランド・スプレンディド」や「エビータ」ことエバ・ペロン元大統領夫人の眠るレコレータ墓地、エル・グレコやゴーギャンの絵画を収蔵する国立美術館などを訪れた。 途中、Aさんオススメのチョコレート菓子店「HAVANNA(アバナ)」の「アルファホール」を食べてみた。アルファホールとはアルゼンチンを代表する非常に甘いお菓子。ドゥルセ・デ・レチェを挟んだクッキーにチョコレートをコーティングしている。 17時から無料のガイドツアーに参加した。サン・マルティン広場からアルべアール大通りを通って、聖母ピラール聖堂の前まで歩く。ガイドのマギーさんはアルゼンチン人の国民性やブエノスアイレスの社会を、豊富なエピソードやジョークとともに解説してくれた。 チャムーショは美辞麗句を並べ立てた女性への誘い文句を意味することもあるという。「ブエノスアイレスでは女性が1人でバーにいると、すぐに男性が寄ってくるわ。『あなたは世界で一番美しい』なんていう言葉とともに」。『アルゼンチンを知るための54章』(アルベルト松本)によれば、ポルテーニョはラテン特有のお世辞言葉、ピローポ(piropo)が非常に得意であるという。 そして、ポルテーニョたちは公衆の面前でキスをすることにためらいがない。公園だろうが地下鉄の電車の中だろうがお構いなし。ある人が熱いキスを交わすカップルに苦言を呈した。「キスをしたいなら、どうぞ部屋にでも行ってくれ」。すると「ブエノスアイレスは大きな部屋だ」と切り返されたという。 次にマギーさんはあるジョークを紹介。「30〜35歳にもなって、精神科医を一度も受診したことがない人は問題がある」。これはマギーさんの「チャムーショ」だろうと邪推した。しかし、後から調べてみるとあながち嘘ではないことが分かった。CNNのウェブサイトの記事「In therapy? In Argentina, it's the norm」(2013年4月28日)によると、「米国ではメンタル・ヘルスの治療は隠すべきことと見られているかもしれないが、ブエノスアイレスでは心の問題について話すことは普通のこと」(筆者訳)とある。アルゼンチンは国民1人当たりの精神科医の人数が世界で最も多い。しかも、そのほとんどがブエノスアイレスに集中しているという。自分の心の悩みを他人に語ることにためらいがないのかもしれない。 ブエノスアイレスの繁華街、フロリダ通りでは、至る所から「カンビオ」という声がかかる。彼らはすべて両替商。公式レートではなく闇レートでの両替を行っている。あるとき、アメリカ人旅行者がマギーさんに「フロリダ通りの闇両替で米ドルをアルゼンチン・ペソに換えてきたよ」と言った。「偽札を掴まされることもあるから気をつけてよ。しっかり確認したの」とマギーさん。するとアメリカ人旅行者が「心配ないさ。闇両替した紙幣を近くにいた警察官に確認してもらったから」。闇両替が黙認されていることを示すエピソードだ。 路上キスに精神科医通い。そして公然と行われる闇両替。ブエノスアイレスは非常に開放的な都市。もしかしたら、その開放感はポルテーニョたちのオープンな性格によるものなのかもしれない。 17日の夕方16時40分頃、ブエノスアイレスの空の玄関口、エセイサ国際空港に到着。それから約5時間後、飛行機が離陸。6週間ほどお世話になった南米大陸に別れを告げた。ここに友人Aとの長い旅が終わった。成田空港に降り立ったとき、日本での平和な日常が待っていた。 |
劇場の建物を利用した書店「エル・アテネオ・グランド・スプレンディド」 サン・マルティン広場
エセイサ国際空港の内部 |
●No.1 リトアニアの3.11 |
●No.2 世界を知らない私と私を知ってくれている世界 |
●No.3 キョーゲン・イン・リトアニア |
●No.4 カウナスという街 |
●No.5 愛しのツェペリナイ |
●No.6 その人の名はスギハラ |
●No.7 エラスムスの日常 |
●No.8 検証:リトアニアの噂 前編 |
●No.9 検証:リトアニアの噂 後編 |
●No.10 プラハで出会った哲学男 |
●No.11 魔女の丘、そして悪魔の館へようこそ |
●No.12 お後がよろしくないようで |
●No.13 ブラジルへの切符を求めてやってきたボスニアのムスリムの話 前編 |
●No.14 ブラジルへの切符を求めてやってきたボスニアのムスリムの話 後編 |
●No.15 時は今?雨が滴しるカウナス動物園 |
●No.16 リトアニアの第二の宗教 |
●No.17 ベン・シャーンとチュルリョーニス |
●No.18 イグナリナ原発に行ってみたら 前編 |
●No.19 イグナリナ原発に行ってみたら 後編 |
●No.20 行きあたりばったりの旅 |
●No.21 牛肉の国 |
●No.22 ガイドは陽気なポルテーニョ |
●No.23 バルデス半島の動物たち |
●No.24 石油の町 |
●No.25 マテ茶との出会い |
●No.26 「世界最南端の都市」のタラバガニ |
●No.27 氷河の味わい |
●No.28 無煙のフィッツ・ロイ |
●No.29 「甘い」話 |
●No.30 ボデガでほろ酔い |
●No.31 激動のチリ近現代史 |
●No.32 インカコーラの罠 |
●No.33 パチャママの怒り |
●No.34 インカの安らぎ |
●No.35 ビール飛び散る聖母の祭り |
●No.36 ガイドの勘 |
●No.37 カファジャテのトロンテス |
●No.38 濡れ鼠にハナグマの襲撃 |
●No.39 「パラグアイの秋葉原」 |
●No.40 ウルグアイの「最高」と「最貧」と「最長」 |