発足当時の無明舎
 無明舎出版の成り立ちは1972年(昭和47年)、秋田市にある秋田大学教育学部の前にできた十坪に満たない古本屋がスタートでした。大正時代に建ったという白い洋館風の一軒家を借り(家賃2万5千円)、一階が古本屋と喫茶室と四畳半の事務所、二階が子供たちに勉強を教える塾という布陣で、「古書・企画・出版・無明舎」という看板をかかげて産声を上げました。名前の中に企画とうたってあるのは舎主の安倍甲(あんばいこう)が学生当時からアンダーグランドの演劇や映画、市民運動の講演会などのプロデュースのまね事をしていたことからです。出版というのはタウン誌に毛の生えた程度のミニコミ誌を発行していたという理由からです。
 舎主の安倍は1949年秋田県湯沢市生まれで、秋田大学教育学部を中退後、無資本でボランテアの仲間たちの力を借り、無明舎を立ち上げました。
 1976年(昭和51年)、安倍が仕事の合間に取材執筆した『中島のてっちゃ』(秋田市の名物放浪芸人の半生をルポ)を自舎で出版、これを機会に出版専業の有限会社『無明舎出版』に改組しました。
 この40年弱の間、年間20〜30点の本を発行しつづけ、これまで1000点をこえる出版物を世に出してきました。
 舎員は舎主を入れて4人(舎員3人・嘱託1人)で、40年前に無明舎を立ち上げた時に関わった人間がそのまま残っているという骨とう品のような会社でもあります。
 社是は「いばらず、卑屈にならず、ボチボチいこう」という情けないもので、舎名の由来もよく聞かれるのですが、舎主のいうことには「若気の至り。難しそうな名前だとエラくみえそうだったから」とのことです。ちなみに舎の平均年齢が五十をこえた今、あらたに舎名を付けるとすれば「なかよし書房」か「こばと書院」といったあたりがいいそうです。
 新入社員を一切採らず、年々、年をとるばかりのローカル、ロートル、時代遅れの会社ですがどうぞよろしくお願いします。
現在の舎屋

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