街路樹が美しく色づいた11月中旬、鹿角市毛馬内にある「鹿角市先人顕彰館」を訪ねた。特別展示中の「戊辰戦争の中の鹿角」を観るためだ。都合のいいことに、お隣の「小坂町町立総合博物館郷土館」でも「戊辰戦争・明治維新150年カウントダウン特別展」の「夜明けはまだか―明治の近代化と小坂鉱山」が開催されていた。こちらへも足を延ばしたのだが、ここでは去年まで「落日の英雄たち―戊辰戦争と鹿角」が開催され、今年の展示テーマはそのシリーズの続編にあたるものだそうだ。
 いうまでもなく今年は、近代の幕開けとなり日本史の一大転換点である明治維新から150年の年だ。東北各地にとっては「朝敵」の烙印を押され、悲惨な戦闘を余儀なくされた戊辰戦争から150年の節目の年でもある。そのため東北各地(岩手・山形・宮城・福島)では義に殉じた先人の功績を顕彰する様々な「戊辰戦争イベント」が開かれている。しかし秋田県内は、角館などの一部地域を除けば戊辰戦争への関心は薄い。無念さの中で近代を迎えた東北各地の「朝敵藩」に比べ、関心に大きな温度差があるのはやむを得ないのかもしれない。
 当初、秋田藩は薩長の新政府軍に抗い奥羽越列藩同盟に加わったものの、藩内の勤皇派が主導権を握ると、いち早く同盟離脱を決めた。そして新政府軍とともに盛岡藩や庄内藩と戦うことになる。東北の中でひとり複雑な立ち位置にあり、そのため戊辰戦争を検証するというよりは、明治維新という近代化革命を寿ぐ立場にあるからだろう。だから秋田県内で本格的に、しかも長期にわたって「戊辰戦争150年」の企画展を実現できたのが鹿角だけ、というのも当然の成り行きといえる。廃藩置県により鹿角は朝敵とされた盛岡藩の手を離れ江刺県となり、そして秋田県へ編入された。
 「鹿角の石高は2万石程度だが、郡内の鉱山の価値は10万石に匹敵する。盛岡藩に任せることは、朝廷の損失である。」という報告書や「明治政府は、国家の財政基盤を強化するために、鉱山の官営化を計画している。」という記録(政府への意見書)も残っている。
 「秋田県民歌」の3番の歌詞には「錦旗を護りし戊辰の栄(はえ)は」という文言がある。この県民歌への鹿角の反発は強い。県民歌が制定されたのは1930年(昭和5)だ。時代錯誤も甚だしい、と鹿角の人々に言われれば、秋田県民としてはうなだれるしかない。
 同じ県民の中に戊辰戦争の勝者と敗者がいる。その敗者側の哀切な歴史を知ることのできる資料展示が鹿角市で開催されている。来年3月までだ。

9月×日 身体のいたるところがかゆい。「ダニ」かもしれないと思い、寝室に「ダニ・アースレッド」を盛大に焚く。
9月×日 太平山旭又コース。「大平山を登れれば秋田県内の山はすべて楽勝」といわれるほどハードな山でヨレヨレになった。達成感よりも疲労感。
9月×日 未明にズーンと沈み込むような揺れ。北海道で震度6。来週は北海道のアポイ岳という山に登るつもりだったが、これでは無理だ。
9月×日 TVトーク番組で若い女優が「悪心(おしん)」という言葉を使っていた。悪心(あくしん)ならその読み通りの意味だが、「おしん」と読めば「吐きけ」のこと。知らなかった。
9月×日 歯も目も耳も、さらにダニに腰痛と、体中がすべてヘン。そのうえ持病の「痛風」も目を覚ました。もう医者に行くしかない。
9月×日 若桑みどり著『クアトロ・ラガッツィ』上下巻をようやく読了。自分をほめてやりたい(笑)。今年のベストワンです。
9月×日 生れて初めてウェブマガジンに原稿を書いた。版元が講談社なので原稿料もいただける。ウェブの先には紙の世界とは違う未知の大陸が広がっているのだろうか。
9月×日 北海道地震の死者に「出版関係者」が1名いた。競走馬の専門誌「フューチュリティ」の編集に携わっていた編集者Nさんだ。ご冥福を祈りたい。
9月×日 暑い夏だった。身体を動かすのが億劫になったり、精神的にも落ち込むことが多かった。暑い夏だった。
9月×日 散歩の途中でマクドナルドに入るが、注文の仕方が分からない。一番安いチーズバーガーとコーヒーのセットを頼んだら260円。どうしてこんなに安いの。
9月×日 秋田犬を檻に入れて「触れ合いスペース」が好評との記事。ドイツではもう「ペットショップ」そのものが法律で禁止されている。金魚を飼うのも丸い金魚鉢は「魚が目を回すから」という理由で四角い金魚鉢しか売ることができないのだ。金足農高の吉田投手は日本中のヒーローになったが、世界基準からみれば「Child abuse」(チャイルド・アビューズ=児童虐待)ではと批判する人もいる。複眼でなければ見えない世界がある。
9月×日 火曜夜はBS11で森繁の「社長シリーズ」があり、今日がそのシリーズ放映最終日。社長夫人の久慈あさみが好き。もっと観たい!
9月×日 ラグビー選手を見るとネアンデルタール人を想像してしまう。われらの祖先であるホモ・サピエンスは瘠せて小柄な競馬のジョッキーのイメージだ。ラガーマンはその強靭さと破壊力ゆえ集団化を怠り、コミュニケーション能力に乏しく、それがわざわいして生き延びられなかった。ジョッキーのほうは、その虚弱体質から集団化を選び、言葉や道具の世界に磨きをかけ、結果、生き延びて私たちの祖先になった。こんな認識でいいのかな、最新の科学的考古学は。
9月×日 爪を切るサイクルが年々早くなっている。身体にバンソウコウが途切れないのも恒常化した。これは老化現象なのでしょうか。
9月×日 「雨の森を歩きたい」という欲望を抑えきれずSシェフと二ツ井にある房住山。気持ちのいい雨のハイキング。下山してシャチョー室宴会。
10月×日 今年は災難続き。特に体調は日替わり定食。身体に異常がない日が珍しい。何が悪いんだろう。
10月×日 新聞切り抜きが日課だ。切り抜き用の「一枚刃カッター」の在庫がないことが判明、焦っている。
10月×日 また夏にもどった。天気図は読めないが台風が連れてきたフェーン現象みたいなものなのか。
10月×日 全国から研究者が集まって「クマ・シンポ」が秋田市で開催中。研究者たちはほとんどがアウトドア・ファッションで、背広組はほとんどがマタギたち、というのが面白い。
10月×日 駅前の映画館で『グッバイ・ゴダール』。ゴダールがほとんど自虐の神様、ウディ・アレンのように戯画化され描かれている。家に帰って山田洋次監督の『家族』。ロード・ムービーの秀作だ。当時の日本の時代背景がくっきり浮かび上がってきた。
10月×日 後生掛温泉から焼山、玉川温泉の縦断登山。気持ちのいい紅葉のアップダウンを楽しんできた。
10月×日 決算が終わった。税理士の先生からは「低値安定というところですかね」と言われた。低いところでバランスがとれています、という意味のようだ。同じ日、業界紙「出版ニュース社」の来年3月廃業のニュース。清田編集長、ご苦労さまでした。
10月×日 作家の長部日出雄さんが亡くなった。享年84。長部さんとお会いするときは横にいつも津軽書房の高橋彰一さんが一緒だった。
10月×日 昨夜、あるアイデアが急にひらめいた。どのような切り口で処理すればいいのか十年間(!)悩み続けてきたテーマだ。
10月×日 沢木耕太郎『銀河を渡る』読了。最終章に、うちの著者である故・太田欣三さん(筆名 織田久)への長いオマージュがあった。太田さんは元「調査情報」編集長、若き沢木耕太郎を見出した人で、生前の太田さんに誘われて、私自身も沢木さんと一緒にお酒を飲んだこともあったナァ。
10月×日 15年以上前、はじめてパリに旅行し高価な帽子を買った。山歩きにピッタリのもので以後、何度も洗濯しながら愛用した。去年、再び訪れたパリで、タクシーにこの帽子を置き忘れた。帽子の里帰りだ。昨日、ヤフーの中古品で同じ帽子が半額で出品されていたので購入。うれしくてスキップしたくなる夜だった。
10月×日 今年の種苗交換会は秋田市。駅ナカにあった「秋田米キャンペーン」ブースには米ができるまでの農村風景写真が飾られていたが、大半が美しい「棚田」の写真。秋田の風景ではない。他県の誇る美しい農村風景写真を展示して秋田米の宣伝をする無神経さは、ちょっと問題だよねェ。
11月×日 日曜大工でお父さんが作った棚が、同じくお父さんが作った踏み台の上に落ちた。棚は落ちたけど壊れなかったが、踏み台は落下物のために壊れてしまった。これはどっちがよりダメなのか。これは「矛盾」にかわる新しい故事が「棚踏」(たなふみ)……という新聞連載の4コマ漫画に大笑いしてしまった。
11月×日 新米が美味しい。去年まで農家は減反に協力すれば10アール当たり7500円の補助金がもらえた。今年からそれがない。にもかかわらず日本で最も作付面積が増えたのは秋田県。どういう理由によるものか調べてみる価値はありそうだ。
11月×日 稲垣えみ子『人生はどこでもドア』(東洋経済新報社)は面白い。旅の目標(目的)は「外国で日本と寸分たがわぬ生活をすること」。朝起きてヨガをしてカフェで原稿を書きマルシェ(市場)で買い物、自炊する。それを2週間続けた記録である。
11月×日 ブラジルでもミニ・トランプといわれる極右のジャイル・ボルソナーロが大統領に当選。軍事独裁政権を賛美する元軍人である。世界はわかりやすい「善い人」でなく、アクの強い何かをなしてくれそうな「悪い人」にナダレうっていくのだろうか。
11月×日 駅ナカのスタバで旅行中らしき高齢者夫婦が目の前に座った。男はパソコンを開き、入念にバックを整理整頓。女はすぐに外に出て買い物をしては帰ってくるを何度か繰り返し、小1時間、一度も飲み物を頼まず、そのまま出ていった。お見事。
11月×日 高崎山のサルがエサの減少を理由にストライキしたそうだ。「朝三暮四」は中国の故事で、サルがエサが少ないとクレームを言うので朝四回、暮れ三回のエサを逆にしたらサルは満足した。サルは単純で、この程度で騙せるという意味だ。もしかして高崎山のサルたちはこの故事を知っていたのではないだろうか。
11月×日 酒田市の「土門拳記念館」へ。「秋田点描」という土門が秋田の街角を撮った特別展示をやっている。
11月×日 湯沢市の雄長子内岳登山。下山して増田の真人公園に移動し芋の子汁鍋。調理法は湯沢風で鶏肉に醤油ベース。昼食後はそばの佐々木農園で恒例のリンゴ狩り。
11月×日 散歩中、パトカーに止められた。「Tさんですか?」「違います」「徘徊中のTさんと年恰好が似ていたものですから…」「おれ、徘徊老人?」「いや、あの、年恰好が…」――背筋を伸ばして若者のように歩いているつもりだったが、他人からは徘徊老人に見えるのかジブン……。
11月×日 秋田の老舗の「つくだ煮屋」が作った洋風つくだ煮「リエット」を食べてみた。マグロを玉ねぎと一緒にペースト状にしてオリーブ油や黒コショウで味付けしたもの。うまい。
11月×日 昔バイトをしていた高校教師のH君が来社。秋田で研修会があったのだそうだ。立ち振る舞いがりっぱになっていて驚く。
11月×日 「サンダカン八番娼館」で有名な山崎朋子さんが亡くなった。秋田県のフィリピン花嫁問題で突然事務所を訪ねてきた。いつも全財産の貯金通帳を持ち歩いて取材を続けているというのにはビックリ。通帳には確か「600万円」くらいの残高があった。ご冥福をお祈りします。
11月×日 盛岡で取材した折、大切な資料(本)をどこかに置き忘れてきた。取材場だった喫茶店、居酒屋、駅ソバ屋、新幹線から帰りのタクシーまで電話したが見つからない。痛恨のミス。
11月×日 週日なのに八塩山(矢島口)登山。これで11月だけで森吉山、男鹿真山、雄長子内岳、房住山(縦走)、と五山も登った。

*今回の新刊は2点です。『危険な思想』『秋田藩小事典』とも12月中旬には発売になっています。
*今年最後の通信になりますが、一年を振り返るとなんとも「思い通りにならなかった日々」という感想しか出てきません。シンドイ一年でした。
*もう30年近く年賀状は欠礼しています。皆様にはよいお年を。今年一年ありがとうございました。(あ)