野添憲治さんが亡くなった。享年83、死因はすい臓がんだった。ご冥福をお祈りしたい。
 野添さんは1935年、山本郡藤琴村(現藤里町)の農家に生まれた。中学を卒業すると山林労働者として出稼ぎに出た。その後、木材業界紙記者などを経て40歳から本格的な著述活動をはじめた。初期の出稼ぎ体験を綴った『出稼ぎ――少年伐採夫の記録』(1968年刊・三省堂)がデビュー作だ。
 名もなき人々、自分を表現する手段を持たない人たちの思いを聞き書きという手法で記録し、その著書は編共著も含めると150冊を数える。私のところだけでも編共著も含め計25冊の野添さんの本を出版している。
 野添さんと言えば「花岡事件」に関する一連の著作が有名だ。花岡事件は太平洋戦争末期の1945年6月30日、秋田県花岡町(現大館市)の花岡鉱山で、強制連行された中国人986人の多くが蜂起した事件で、419人もの犠牲者を出した。野添さんはこの「近代史の闇」に光をあて、長年にわたって調査、ご自身のライフワークとした。ほかにもマタギ文化や林業史、開拓農民や海外移民、木工職人から地域誌まで、無名の人々や「負の歴史」と真正面から向き合い、その声を丹念に拾い集めたノンフィクション作家である。
 野添さんとの出会いは、出版をはじめたばかりの77年、フォーク歌手・友川かずき(現友川カズキ)さんの本だった。友川さんの本の対談相手として野添さんに登場してもらったのが最初だ。そして80年代にはいると、堰切ったように毎年平均2冊の新刊を10年にわたって出し続けている。その後、野添さんの「書きたい本」と、私たちの「出したい本」の間に微妙なズレが生じ、徐々に関係は疎遠になっていくのだが、野添さんと二人三脚で並走したこの10年は、かけがえのない体験として今も私の誇りである。
 野添さんの著作はそのほとんどが社会性のある硬派のノンフィクションなのだが、83年に出版した『市右エ門の玉手箱』はちょっと毛色の違う著作だった。「市右エ門」とは野添さんの本名である。少年時代や父母のこと、出稼ぎの日々や食べ物、愛読書の話まで、自らの身辺雑記を綴った随筆集だが、書名を決めたのは私だ。その書名を野添さんに告げた時、顔をしかめて無言になったのを覚えている。数日後、「いい書名ですね」と了解をいただいたのだが、「山田市右エ門」という本名には、本人以外にはわからない複雑で錯綜した思いが込められていた。野添さんが生まれた時、両親は「良一」という名前を付けてくれた。しかし祖父は、孫の名前を勝手に自分の父親の名前である「市右エ門」にかえ役場に届けた。国民学校入学まで野添さんは「山田良一」と呼ばれて育ったが、入学通知で自分の本名が「山田市右エ門」であることを初めて知ることになる。『市右エ門の玉手箱』はこうしたエピソード満載の随筆集だ。野添さんの個人史を知る上では欠かせない本なのだが、今は絶版になっている。

2月×日 2月は本当に短い。床屋、歯医者、図書館、取材、町内会の引継ぎ作業に編集上のトラブル2つ。アタフタの1週間がアッという間。
2月×日 「ジャージャー麺」の味噌づくり。台所で集中。週に2回はこれを食べる。家族みんなが好き。
3月×日 朝一番で酒田へ。デザイン事務所で打ち合わせ。昼は友人とホテル・バイキング。鳴り物入りでオープンした秋田市の「タニタ食堂」は撤退だそうだ。はやりものは怖いネェ。
3月×日 「大腿骨頭壊死」は美空ひばりの死因。ようするにアル中の別名です、と小田嶋隆の『上を向いてアルコール』(ミシマ社)に書いていた。
3月×日 ジバサを初めて食べた。男鹿の人たちはこの海藻をよく食べる。ギバサはアカモクで、ジバサはホンダワラ、違う海藻である。
3月×日 財布は「モンベル」製のメッシュを愛用。値段は762円。この同じ財布を4つ持って、ゼイタクに気分で使い分けている。
3月×日 全盲の作家の小説集を編集中だ。視覚障害を持ったアスリートを描いた麻生鴨『伴走者』(講談社)も面白かった。この本を読むとパラリンピックが100倍おもしろくなる。
3月×日 秋田市に昔から「北斗製氷」という会社がある。固くて冷たくて透明で溶けにくい氷は家庭では「絶対にできない」。ウイスキーはプロの氷でないとおいしくない。
3月×日 ずっと雨続き。角幡唯介『極夜行』を読む。太陽の昇らない冬の北極を一頭の犬と命がけで旅をした四ヵ月の記録。彼は探検家であると同時にプロの物書き。行動と文章が幸福な結婚をした、まれなケース。
3月×日 雨が上がった。鶴岡市の松ケ岡開墾場で「西郷どんと菅はん」の戊辰150周年イベントを見に行く。
3月×日 N響アワーをよく見る(聴く)のだが、指揮者や演奏者が譜面をめくるシーンはドキドキ。指から脂っけが抜け、紙をめくれない当方としては、指揮者の指の脂分が気になってしょうがないからだ。
3月×日 鳥海山ろく「冬師湿原」スノーハイキング。湿原を1周すると4時間、重いスノーシューを履いているのでけっこうハード。
3月×日 東成瀬村のルポを昨日から書き始めた。3メートルを越すという村の豪雪を見てきたばかり。
3月×日 TVなどで食事のシーンで合掌しながら「いただきます」。あなたも食事前にそんな合掌しますか? 私は一度もしたことがない。調べてみると宗教的な理由が裏にあるようだ。浄土真宗の強い地域では合掌するし、曹洞宗の強い地域は合掌しないのだ。なるほどそうだったのか。
3月×日 ETV特集「二百年の芸をつなぐ――江戸浄瑠璃清元」は面白かった。7代延寿太夫が後継者に次男の歌舞伎役者・尾上右近を指名し、栄寿太夫を襲名するまでの1年間を追ったドキュメントだ。
3月×日 『小保方晴子日記』(中央公論社)を読む。巻末の著者近影写真は騒動の時よりずっときれいになっている。よく見たら「撮影・篠山紀信」だ。う〜ん、面白い女性ですなあ。
3月×日 周りの友人から「大学院に進んだ」「博士課程の試験に受かった」という報告が相次ぐ。学歴コンプレックスがあるので、「学びなおし」の気持ちはよくわかる。そういえば、内館牧子さんから頂いた名刺の肩書は「東北大学相撲部監督」だったなァ。
3月×日 デブなタレントが劇的にマッチョな肉体美に変身するCMのライザップ(トレーニングジム経営)が出版部門へ積極的な参入を図っているようだ。かなり不気味なニュースだ。健康食品同様の「あやうさ」を感じるからだ。
3月×日 口寂しくなると「あたりめ」を食べる。最近、胸焼けで夜中に目を覚ます。どうやら「あたりめ」が原因のようだ。もう食べないことに決める。
4月×日 南木佳士の新刊『小屋を燃す』を読む。収録の「四股を踏む」が抜群に良かった。南木氏の本名は「霜田哲夫」。本書にも4カ所ほど「霜」という言葉が出てくる。
4月×日 このごろ目がかすむ。白内障だろうか。手術を受ければはっきり見えるよ、とみんなは言うが、今書いている原稿が完成するまでは、このままでいこうと思っている。手術が怖い。
4月×日 町内会総会。一年が経つのは本当に早い。これで「みよしの町内会」副会長兼5班班長のお役目ゴメン。
4月×日 雨で肌寒い。漫画『古本屋台』(集英社)。まったく事件は起きないが、実に味があって面白い漫画だ。久住兄弟恐るべし。
4月×日 コンビニの雑誌売り場の雑誌すべてに「封」がしてあり驚く。立ち読み対策? 数日後、封はなくなっていた。客足が遠のいたのだろうか。コンビニから本が無くなるのも近い。
4月×日 大リーガー・大谷のインタビューボードの広告名は「FUNAI」だ。大谷をマネージメントしているのは、あのコンサルタント会社・船井総研だったのか。
4月×日 Sシェフと伊豆山(神宮寺)。イワウチワが満開。下山して二人で「みなみ」で一杯。温かい焼酎をたっぷり。ストレスがだいぶ軽減できた。
4月×日 GWが近い。新入社員の日程はハードだ。稲倉山荘への納入や遠野への出張、東京の出版社(晶文社)で研修もあり、その準備に大わらわ。
4月×日 スーパーで岩手産カモを発見。家でカモ鍋。濃厚で上品な味のスープは絶品。この時期にカモはどうかと思ったが、「甘酒」の季語は冬でなく「夏」だし、関係ないけど、まあいいか。
4月×日 峰浜地区にある水沢山登山。登山道のない800m峰だ。登りはじめた途端、後悔。30度近い斜面のヤブを漕ぎながら延々と2時間登り続ける。山頂まではとても無理。
4月×日 年に数回、刈和野の「ギャラリーゆう」で作家の塩野米松さん、杜氏の森谷君、こうじ屋の今野さんらと集まって、軽部家の庭を愛でながら一献傾ける会を続けている。昨夜は春の会。楽しかったなあ。
4月×日 いよいよGW。目の調子が悪く、気分は晴れないまま。
4月×日 モモヒキーズのお花見。例年通り公園前にカップ酒1本を持って集合。その後、駅前居酒屋に河岸を変えたら店は「2時間限定」。せかされて酒を呑むのは無粋の極み。
5月×日 インド旅行に行きホテルに帰れなくなる「迷子彷徨もの」の夢を見た。もう30年近く前、農業ジャーナリスト団の一員として北朝鮮を旅した。朝一番でホテルを出てジョギングに出て道に迷ってホテルに帰れなくなった。この実体験が潜在意識に眠っているから、何度も似たような夢をみてしまうのだろうか。
5月×日 安藤祐介著『本のエンドロール』(講談社)は、印刷営業の浦本君が主役。印刷業界からみえる作家や編集者、デザイナーの理不尽やわがままさが描かれていて、面白かった。
5月×日 東京2泊で日帰りで京都旅行。タクシーの運転手がおしゃべり好き。「お客さん、GWはえらく高速がこみましたけど、あれ田植えする人たちって、知ってました?」。田植えの時期は秋田も京都も全国一律なのだそうだ。これは知らなかったなあ。
5月×日 今日から新入社員は東京・晶文社で研修。事務所には私一人。不安でドキドキ、ソワソワ。
5月×日 痛風だ。左足のくるぶし付近がモーレツに痛む。小腹がすいたので事務所で調理して食べたものが悪かったらしく夜中に吐く。なんという不幸続き。のろわれているとしか思えない。
5月×日 歯は痛いし、目はかすむ。左足は痛風だし、激しい嘔吐と下痢症状も。何という1週間だ。
5月×日 おろしたての白いYシャツを着て、友人のお祝いの会に。このYシャツを1週間着続けた。新陳代謝が落ちているから汚れない。それにオーダーメイドは着ごこちがいい。
5月×日 Sシェフから連日のように山菜が届く。ワラビにアイコ、ホンナにタケノコ。それを「煎り酒」で食べる。酒を熱してアルコールを飛ばし梅酢とかつぶしをいれた江戸時代の調味料だ。すっかりはまってしまった。
5月×日 山を歩いていると「妖気」のようなものを感じる場所がある。こういう場所は古代から「何もない真っ白な場所」なので「しろ」といった。仏教伝来により「しろ」の場所に屋根が備えられ「やしろ」になる。神様はそうした場所に時々やってきて何かいいことをして去っていく。それを折口信夫は「まれびと」と呼んだのだそうだ。
5月×日 突然の豪雨。二日間、家に閉じ込められた。ひたすら原稿を書いて気を紛らわせる。
5月×日 事務所の駐輪場にクマ蜂の巣。それをスズメ蜂が襲い、バトルは圧倒的にスズメ蜂の勝ち。そういえば最近まったくといっていいほど鳥のスズメを見なくなったなあ。
5月×日 20年近く通っている理容室(床屋)が町内から移転。急にお上品な美容室風に様変わりしてしまった。まいったなあ。
月×日 東成瀬村の原稿の下書きがようやく完成。これからが本番だ。
5月×日 テレビを見ていたら皇后の養蚕の様子を映していた。「上蔟(じょうぞく)しています」とアナウンサー。「蔟」は「まぶし」と読み、ワラや竹、紙などでカイコが糸をかけやすいようにする仕掛けのこと。知ってはいたが漢字を読めなかった。蚕って面白そう。
5月×日 県内のある町で講演。この時期は去年まで仙台の学校で同じようなことをしていたから、なんとなく引き受けてしまう。



*クロネコヤマトの「メール便」で注文の本を皆様にお届けしているのですが、そのメール便で本を送れなくなりました。メール便はチラシやDMのみで本はダメとのこと。これからは郵便局の簡易郵便を使うことになりそうです。 (あ)