首都圏の女性から電話。施設にはいるので身辺整理をしていたら『写真集 雪国はなったらし風土記』が出てきた。何度か見返したが、どうしても捨てられない。「そちらにお返ししますので、何かの役に立ててもらえないでしょうか」とのこと。「わかりました」と即答したが、長い本屋生活で返品以外の理由で本が戻ってくるケースは初めてだ。本がこんなにも力を持ち、大切にされている。なんだか涙が出るほどうれしい電話だった。
 丸善は明治2年に法人登録する際に信用を得るために「丸屋善八」という架空の人物を「法人名」にしたのが起こりだ。橋爪大三郎『面白くて眠れなくなる社会学』にそう書いていた。差別偏見の塊のようなインドのカースト制が何千年も続いているのは、「奴隷制」を回避するための優れた仕組みだから、とも書いていた。カースト制度には私有財産があり仕事も自由も、結婚さえできる。奴隷制度にはそれらの権利が一切ない。3千年前にインド人が考えた「奴隷回避」の、ものすごいアイデアなのだ。そうだったのか。
 『イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑』澤宮優・文/平野恵理子・イラスト(原書房)には、「やられたなぁ」というのが偽らざる感想。よく調べたものだ。編集者として同じ企画をずっと温めていたので、ちょっぴりくやしい。それにしても「115種」という消えた仕事の収録数はすごい。私の仕事関連(出版・編集)を探してみても「カストリ雑誌業」「新聞社の伝書鳩係」「赤本の出版屋」「文選工」「代書屋」「トップ屋」「貸本屋」「紙芝居屋」と意外に多い。「帯封屋」というのもあった。もっとも面白かったのは「天皇陛下の写真売り」。売る側の行商人も正装姿だったそうだ。
 このところ夜の読書タイムが変化に見舞われている。村上春樹一色に染まってしまったのだ。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』がおもしろかったので一挙に『海辺のカフカ』『ダンス・ダンス・ダンス』『1Q84』と長編小説を読破。GW中もその流れは止まらず、今度は初期作品『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』3部作と、短編小説を中心に読みまくった。執筆順序などまったく気にならない。5月の台湾旅行にも『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』、『ねじまき鳥クロニクル』を持ち込み、移動の合間やホテルで読み続けた。まだまだこの嵐は止みそうもない。

2月×日 近所の道路1キロほどの間に寿司屋とラーメン屋が10店近く営業している。ラーメン店はつい先ほどまで新参Iと古手Mの2強の争いだったが、いつのまにかMから行列が消えていた。Mの客がIにすっかり移ってしまったのだ。劇的なロードドラマを見ているようでワクワクだ。
2月×日 朝起きたら一面が銀世界。20センチ以上積もっていた。
3月×日 天候に一喜一憂しているうち2月終了。2月は忙しかった。いつの間にか1年で一番忙しいのが2月になった。なぜだろう。
3月×日 鼻水が止まらなくなり身体が火照る。夕飯はうどん一杯食べるのがやっと。近所の病院へ。2時間近く待たされた。待っている間に症状が悪化しそうだ。「ノロウイルス」に罹患した男(坊主)が「村のやつらにうつされた」と怒鳴りまくっていた。
3月×日 今日から3日間関西旅行。体調はギリギリ元に戻った。初日は京都のホテルで若いイタリア人シェフの料理。宿に帰る途中、寺町にある三月書房へ。伝説の書店で店主Sさんとは初対面。緊張して酔いもすっかり醒めてしまった。2日目は大阪市内で会食のみなので、サンダーバードで金沢へ。21世紀美術館で書家・井上有一生誕100年展覧会を観る予定だったが、なんと休館日。兼六園入口の大衆食堂で天ぷらうどん。大阪までとんぼ返り。大阪城そばにある佐竹義宣の「大坂冬の陣の陣跡」を見学。夜の寿司屋「原正」はおいしかったなぁ。
3月×日 不思議な映画を観た。1936年(昭11)制作・清水宏監督『有りがたうさん』(出演・上原謙・桑野通子)。邦画には珍しいロード・ムービーで脚本なしオールロケのモノクロ映画。八人乗りの路線バスの中で起きる運転手と乗客、そして追い抜く通行人たちとの交流を描いた物語だ。
3月×日 日帰りで酒田へ。気分転換だ。電車は楽でいい。
3月×日 3月も終わり。メールや電話で「今月で退職します」という連絡を何人かの方からいただいた。そうか、年度末だったか。
4月×日 いつもの酒屋さんから見慣れない焼酎が届いた。白金の露の「栗黄金」という4合瓶。少量の水と氷で割って呑んだらべらぼうに旨い。
4月×日 カミさんがインフルエンザに罹患。アッシー役の新入社員も当然うつされた。小生は今のところなんともない。風邪はもうイヤ。
4月×日 新刊『秋田の村に、移住しました。』が今日の日経新聞夕刊に紹介された。でも当地で夕刊は手に入らない。東京の友人にメール添付した記事を送ってもらう。田舎は不便。
4月×日 男鹿三山「お山かけ」登山。「お山かけ」というのは真山、本山、毛無山の三山を踏破すること。これができて一人前、という地元の謂れからできた行事だ。
4月×日 忙しさは抜けた。自由にどこへ出かけても大丈夫なのだが、どこへも出かける気にならない。
4月×日 言葉は生きもの。「チョー」とか「マジ」とか、そんな言葉を使うことに抵抗はない。ないのだが「学び」とか「気づき」という動詞の名詞化した言葉はダメ。「走り」なんてスポーツ界では定番になったし「ふれあい」も当たり前。でもこのへんは使いたくない。
4月×日 急にジンギスカンが食いたくなった。Sシェフに頼んでシャチョー室で急きょジンギスカン宴会。すぐに実践できるのがスゴイ。
4月×日 日曜山行は「高岳山(たかおかやま)」。登る前に五城目朝市へも。若い人たちの出店が予想以上に多くて驚いた。都会から若者のIT移住が活発な場所なので、その家族が出店しているのだそうだ。
4月×日 BS1で面白いドキュメンタリー番組を連続で観た。ユーコンの犬ぞりレースに参加した日本人女性を追うドキュメンタリーと、セルビアから分離独立したコソボの若い女性柔道家の物語だ。2本とも若い女性が主人公で、その精神力の強靭さにはすさまじい迫力があった。
4月×日 仙台出張。用事を済まし、駅前で軽登山靴を買い、午後3時台の新幹線で帰秋。途中の角館で下車し宴席に。宴席のゲストは小川三夫さん。法隆寺最後の宮大工といわれた西岡常一のお弟子さんで、数々の寺院建設を手掛けた日本を代表する「棟梁」だ。「知識」と「知恵」の違いについて、おもしろい話を聞くことができた。
4月×日 施設に入っていた94歳の義母がターミナルケア病院入院。いよいよ、という気持ちが固まる。
4月×日 もう5年ほどサイフはモンベルのビニール製折りたたみ。安くて軽くて丈夫で使い勝手がいい。毎年、気持ちを切り替えるために買い替える。というと驚く人もいるがサイフの値段は千円だ。
4月×日 モモヒキーズの観桜会。千秋公園前に集合し近くのコンビニでワンカップを買い、公園内散策後、駅前居酒屋に移動し、腰を落ち着けて本格宴会にはいる。
4月×日 大仙市にある姫神山、伊豆山、神宮寺岳の通称「西山三山」登山。小さな山の連なりだがアップダウンが結構きつい。合計五時間以上の縦走になるが、なんといっても花が美しい。
4月×日 いただきものの山菜コシアブラを湯掻いて胡麻和えに。天ぷらも作り、両方の味を堪能した。山菜の美味さが少しわかってきた。
4月×日 義母が亡くなった。満年齢は94歳だが数えは96歳。喪主(妻)の希望で家族だけの自由葬。納棺から火葬、お別れの会まで僧侶なし。「すがすがしい」葬儀だった。息子には「オレの時もこれで頼みます」と伝えておく。
4月×日 早朝、新入社員は鳥海山へ。GW前にオープンする鳥海山5合目稲倉山荘の「無明舎特設書店」への納品だ。電話も郵便も宅配便も届かない、日本で一番遠くて手間のかかる書店だが、ここははずせない。
4月×日 この2週間、書店や取次、ネット書店からの注文がパタリと途絶えた。そうか、熊本地震の影響だ。
5月×日 鳥海山(七高山)登山だったが雨で中止。ここに登って今後1年間の体力を予測するのだが、それができなくなった。無念。
5月×日 GWは好天続きで暑いほど。山行は3回だが、それ以外はどこにも出かけず、ずっと本(村上春樹)を読んで終ってしまった。
5月×日 GWが明けて今日から仕事。「3日にあげず」注文がくるネット書店も、このGW中は「お休み」だった。
5月×日 テレビ局や新聞社などから本の資料(写真など)の転載許可願いが増えた。1点につき1万5千円の掲載料をとることにした。PTA会報であろうが町内会誌だろうが例外なし。「著者や版元が時間と費用をかけて得た文化的な価値は、ただではありません」と前から宣言したかったから、これで少しはすっきりした。
5月×日 月曜日は朝から緊張感でピリピリ。仕事場はこうでなくちゃ。週末の山行も普通通りに決行。汗をかくのは気持ちいい。「運動の後のシャワーの味には、人生で一等必要なものが含まれている」と言ったのは三島由紀夫。「どんな権力を握っても、どんな放蕩を重ねても、このシャワーの味を知らない人は、人間の生きる喜びを本当に知ったとは言えないだろう」。 
5月×日 仙台へ。新幹線の隣は40代のスーツ姿のサラリーマン。ゲホゲホと盛大に咳込み鼻水をすすっているのにマスクなし。車掌に席の移動をお願いしたら別の車両に席を用意してくれた。仙台から翌日は東京に移動。昼には地方小のKさんと神楽坂の蕎麦屋さんで千円ランチ。隣の喫茶店でアイスコーヒーを頼んだら1杯980円だった。午後からは巣鴨に移動。手作りの皮の登山靴専門店「ゴロー」へ。足の寸法を丁寧に測ってもらい細かな要望を聞かれ2か月後には出来上がる。それでも既製品以下の値段だから得した気分になる。東京は暑い。夜は昔のバイト君と六本木で食事。あれほど好きだったブラジル料理のシュラスコ(焼き肉)もピンガ(サトウキビの焼酎)も食べられなくなった。翌日は神楽坂にある東京理科大構内の「近代科学資料館」と「数学体験館」へ。数学の教師をしている元バイト君に連れて行ってもらわなければ一生縁のない場所だ。
5月×日 出張に行くと体重が増える。便通が悪くなるせいだ。どこかにストレスがかかっているのだろう。
5月×日 森に入ってボーっとしていたい。この時期の山の新緑は目に痛いほどで、残雪の白も目にまぶしい。雨の森も風情がある。でも思っているだけで、なかなか実行に移せない。
5月×日 台湾四泊五日の旅。関西の仲間たちとの恒例のグルメ旅だ。メンバーはほとんどが関西のフランス料理や中華、京懐石のシェフたちだ。台北に着き、すぐに新幹線で高雄に移動。高雄を食べ歩き、翌日、新幹線でまた台北へ移動。4日目はひとり故宮博物館へ。博物館の背後には300mほどの山々。たまらず山道に分け入ってしまった。30分ほど歩くと登山道が消え足元にタヌキほどの黒い動物。野犬だった。いやぁ驚いた。
5月×日 帰国したら身体がだるい。台湾では車もホテルも食堂もクーラーが効きすぎ。体調が狂ってしまった。
5月×日 5月も終わり。6月は仙台の私立大学で何度かお話をしたり、山行もとびっきりいい季節に入る。新刊は2本で、なにかと打ち合せが多い。体調管理が問題だ。
5月×日 台湾旅行で体重二キロ増。虚しくなるなァ。


*この通信の合間(春号から夏号)に3回も体調を崩してしまいました。頑丈な身体だけが取り柄なのに、自己嫌悪の日々です。
*熊本地震以降、パタリと本は売れなくなりました。読書どころではないというところでしょうか。昔はこれほど社会的事件と本の売れ筋はリンクしていなかったような気がするのですが……。
*今回も新刊は3点。『北海道「古語」伝承』は出ていますが、『阿古屋の松』は6月15日、漫画『マコちゃんとヒロシさん』は6月20日刊になります。  (あ)