1930年(昭和5)に制定された「秋田県民歌」のことを調べていたら、作詞・倉田政嗣のあとに「修正・高野辰之」とあった。作曲の成田為三は県民なじみのビッグネームだが同じ場所に「高野辰之」という名前も併記されているとは知らなかった。高野は秋田県人ではない。1876年(明治9)長野県生まれ。東京帝大で学び、東京音楽学校教授になり、たくさんの唱歌を作った国文学者だ。その代表作が「故郷」。他にも「紅葉」や「春の小川」といった唱歌も高野の手になるものだ。
 「兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川」という「故郷」は東日本大震災の被災地でもよく歌われた。日本人の愛唱歌のひとつといっていいだろう。この歌詞が書かれたのは1914年(大正3)、秋田県民歌ができる15年ほど前のことだ。
 筆者は戦後まもなくの生まれだが、「兎追い」をした経験はない。昔の子どもたちが野山を駆けまわりウサギを追いかけていたのはいつごろのことなのか、いつから始まった「子どもの遊び」なのか、「故郷」の歌を耳にするたびに疑問に思っていた。
 調べてみると意外なことがわかった。江戸時代は人間のかたわらにウサギはあふれていた。それが明治時代になり、いや正確には日露戦争以降の関東軍の中国侵略あたりから、寒冷地の兵士用防寒具としてウサギの毛皮が重宝されるようになった。そのためウサギは大量に狩猟されるようになる。
 高野のいう「兎追い」とは、この兵士の防寒具、あるいは食料、さらには軍事教練を兼ねた「狩り」の風景をうたったものだった。そのため「残虐きわまりない歌」と「故郷」を批判する人までいる。岩手県の高校では今も全校生徒が山に入ってウサギ追いをする伝統行事が残っている。どうやら「兎追い」は牧歌的な子どもの遊びなどではなかったようなのだ。
 山歩きが趣味なので県内の山中でも時折ウサギを見かける。でも最近は雪山でもウサギの足跡を見る機会はめっきり減った。衣食のためにウサギを狩る必要がなくなり、ハンターの数も年々少なくなっている。それなのにウサギは減っている。なぜなのだろうか。
 高槻成紀『唱歌「ふるさと」の生態学』(ヤマケイ新書)によれば、ウサギがいなくなったのは低山から萱場(かやば)が消えてしまったせいだそうだ。萱とはススキやヨシなどイネ科植物の総称だ。昔、農家には必ず家畜がいた。その家畜のエサとして萱が必要だった。田んぼの堆肥もこれが原料だし、屋根を葺(ふ)くのにも使われた。農業や村の近代化が始まった昭和30年代を境に、その萱場が消えた。萱場はウサギの生活の場だ。住む場所がなくなってしまったのだ。ところで、高野辰之が「修正」した県民歌の歌詞は冒頭の「秀麗無比なる鳥海山」の部分。倉田の元の詞は「秀麗気高き鳥海山」だった。
(朝日新聞秋田県版2015 年5 月20日号より転載)


2月×日 沖縄で遅い冬休み。昨日は国際通り牧志の公設市場にある古本屋「うらら」に顔を出したら日曜で休み。昨夜は12時過ぎまで那覇の出版社ボーダーインクの女子社員たちと泡盛を痛飲。今日はコザ市までドライブ。途中、浦添市で東京ヤクルトスワローズのキャンプ、宜野湾市では横浜ベイスターズの打撃練習に寄り道した。ところでこのところ寝床でよく起きる「こむらかえし」は「身体(足)の冷え」が原因だったことが判明。それを沖縄のホテルで気が付いた。
2月×日 長めの旅から帰ってくると溜まった仕事を片付け、洗濯物を放り込んで、やおら「カンテン」づくり。約2週間分(3棹)を一気に作ってしまう。これが旅の後の重要な儀式だ。
2月×日 2週間ぶりの日曜登山(雪山ハイク)は秋田市の高尾山、ウサギの足跡をたくさん見たが、昔ほどウサギはいない。
2月×日 奥歯の差し歯がとれたので治療中。少年の頃から歯に関しては劣等感ばかり。逆に3年ほど前から就眠前に目薬をさすようになって目は調子いい。問題は耳。TVのCMの言葉がよく聞き取れない。さらに手足からバンソウコウが消えることがない。いつもどこかにバンソウコウが貼られている。
3月×日 2月も終わった。本の注文は例年になく少ない。暮らしから「本の存在」が年々希薄になっていく感じ。
3月×日 二十年前からICレコーダーを使っている。10台以上は買い替えた。今回、インタビュー用長時間録音可能な高性能レコーダーを購入。仕事用だが音質のクリアーさにビックリ。
3月×日 今日から名古屋。寒いのに驚いた。熱田神宮そばに住む取材対象者の元へ3日間通う。夜は名古屋の出版社Fさんに美味しいコーチンの店に連れて行ってもらう。翌日は犬山からJR 広見線で新可児へ移動する。
3月×日 朝のみそ汁の具材で一番好きなのは「じゃがいも」。このところずっとやめていた「ソーセージの醤油焼き」も朝食に復活させた。どちらも死ぬ前にどうしても食べたい一品に入れたいマイソウルフードだ。
3月×日 2週間ぶりの雪山ハイクは西木村の「院内岳」。700mもある山なのでハイキングとはいいかねるハードさで汗びっしょり。
3月×日 東日本大震災4年目の今日、一夜にして秋田は真冬に逆戻り。しまいかけた厚手の下着類を再登場してもらった。
3月×日 新入社員がヤフオクやアマゾンのネット書店にコツコツと出品作業中。昨日さっそくある本が入札。ちょっと嬉しい。最近、新入社員は金土を休んで日曜出社だ。どうもスキー宿の都合でそうなっているらしい。
3月×日 東洋ゴムの免震装置不適合のニュースにはビックリ。1400年前に建てられた法隆寺五重塔は各重が独立して重なり合っているだけだ。これが逆に地震に耐えられる理由だ。五重塔の真ん中には「心柱」がある。その真下に仏舎利。この大事な心柱を雨風から守るため三重や五重の高い建物が必要だった。五重塔はいわば巨大な卒塔婆。これは塩野米松さんの文章で知った。
3月×日 ものすごい出版依頼があった。「自分の本をそちらの出版社で出してやるが、そのまえに10万円を貸してほしい」という。見も知らぬ県外の方だ。驚くより笑ってしまったが、丁寧に御断りの返信。いろんな人がいる。
3月×日 毎週山に入るということは毎週温泉に入るということ。年間50座に登れば50湯に入っている勘定だ。温泉に行くたびに思うのは、よくもこれだけ人がいるもんだという驚き。
3月×日 ここ5,6年、「ほぼ日手帳」を使っていたのだが、今年から「あきた県民手帳」に。毎日3食の食事内容と体重を書き記すだけなのでスペースさえあればどんなメモ帳でもかまわない。
3月×日 ウイスキーにはまっている。晩酌はハイボールだが、外のバーではストレートで呑めるようになった。素直にうれしい。
3月×日 3月は見事にヒマ。これだけ注文が少なかった月は史上初かも。
3月×日 映画『バクダット・カフェ』を観ていたら半ズボンで遊ぶシーンが出てきた。「レーダーホーデンというドイツの半ズボンだ」というが、まるでカウボーイのはく皮前掛けだ。村上春樹に『レーダーホーデン』という中年夫婦の離婚物語がある。ドイツまで夫のために半ズボンを買いに行き、急に夫に嫌気がさし離婚するという話だ。なるほど、こんなごつい半ズボンだったのか。
4月×日 世間で言う新年度だがお役所年度とは無縁だ。でもいやおうなく仕事に影響はある。飲み会が多いのもその一つ。
4月×日 散歩中、自転車に乗った若者3人と小路で出くわした。おだやかにマイクで自分の名前を連呼している県会議員立候補者だった。その控え目さに好感が持てた。彼に投票しようかな。
4月×日 伊豆山・神宮寺嶽・姫神山の大曲にある三山を縦走するお花見登山。けっこうきつくて花見どころではなかった。
4月×日 朝日新聞の死亡欄に「羽柴誠三秀吉」こと青森の三上誠三氏が肝硬変で死去と「異例の」顔写真入り。泡沫候補としての知名度やインパクトはマック赤坂以上の人物だ。青函トンネル工事の土砂運搬で大儲けをした産廃処理業者だが、青森の人たちは彼を複雑な思いで見ていたようだ。
4月×日 飛行機を使うようになった。JALやANAのマイレージも再発行してもらう。1月に香港、9月には台湾に行くつもり。ブラジルも視野に入れてのことだ。
4月×日 Eテレ「ニューヨーク白熱教室」は面白い。「最先端物理学者が語る驚異の未来」というサブタイトルだけでもゾクゾク。
4月×日 札幌に来ている。ホテルも酒場選びも事前にリサーチした。どちらも成功。翌日はレンタカーで夕張へ。夕張の町は予想以上に荒廃していてショック。赤字債権団体になるというのはこういうことなのか。
4月×日 石橋毅史『口笛を吹きながら本を売る』を一気読み。本の主人公である岩波ブックセンターの柴田信さんは自他ともに認める「まったく普通、
平凡であることに自信を持っている」85歳の現役書店人。それがちゃんと面白い本に仕上がっている。
4月×日 テレビ番組「マッサン」でイノシシが獲れたので「シシ鍋を食おう」というシーンがあった。イノシシは北海道にいない。
4月×日 吉田昭治さんが亡くなった。秋田の明治維新史の研究家で、個人的にも尊敬する野の賢者だ。享年85、仕事半ばにしての死は無念だったに違いない。合掌。
4月×日 事務所のトイレのリフォーム工事。35年ぶりにトイレの内装と便器が新しくなる。うれしい。
4月×日 大辞林で「初老」を引いたら「四〇歳の異称」とあった。ひゃぁ。
5月×日 5月になってしまった。用事が目白押し、1年で一番忙しくなる月。節制して体調管理に努めよう。
5月×日 東京・飯田橋の定宿近くにある日巨大なビル。角川書店の本社ビルだった。こんな出版不況の時代にすごいなあ、と驚いた。なんだか、独り勝ちしている出版社の印象だったが実は内部は火の車。2千人いる社員の15%に当たる300人ほどのリストラ(希望退職)が始まったそうだ。
5月×日 山梨県小淵沢へ。サントリー白州蒸溜所へたどり着いたのは午後2時を回っていた。2時半からゲストハウスでウイスキーセミナーを受講。ホテルを清里に移動し、ここでウイスキー・ディナー。京都の友人たちが開催したツアーなのだが講師が輿水精一さん。今年、日本人で初めて英国ウイスキー殿堂入りはたした世界的なブレンダーだ。なんだか草野球選手がイチローから個人指導を受けているアンバイです。
5月×日 今度は倉庫のリフォームがはじまった。2階部分をつぶし、腐りかけている鉄製階段を撤去する。
5月×日 太平山中岳は風雨、ときおりみぞれ。前日亡くなった藤原優太郎さんの追悼登山の意味もあり、風雨がひどくなっても最後まで登り切ろうと決めていた。
5月×日 10年前に比べて仕事量は減っている。なのに読書量も年々落ちる一方だ。他人様に本を読んでもらう仕事なのに、自分が本を読む余裕がないのだから夜郎自大だ。
5月×日 友人や近親者が亡くなると、その夜は一人で行きつけの飲み屋で呑むと決めている。「和食みなみ」の主人は話しかけない限り、自分から話しかけてこない。これはうれしい。静かに藤原優太郎さんを偲ぶ。
5月×日 雨が続いている。でも雨は嫌いではない。
5月×日 仙台出張。5月から私立大学で「地域社会論」の講義。PCを携帯できるようになって、どこへ出かけてもメールチェックができ助かっている。
5月×日 ウイスキーの肴が何もなかったのでワラビと紀州梅とサンマ缶でチビチビ。ミズのサバ缶鍋ならぬ「ワラビの梅サンマ和え」。うまい。
5月×日 今日の日曜は「山行」なしで町内下水溝清掃。20年以上、側溝のリフト作業は私の役割だ。
5月×日 目の衰えがひどい。遠近両用メガネを買おうかなあ。
5月×日 弁護士がノコノコTVに出て宣伝活動をするCMをたびたび目にする。そのほとんどの出演者がマヌケ顔というかアホ顔に見えるのは小生だけかな? とにかくまともな人相が一人もいない。


*1年間、新刊案内の色が変わらず、間に合ってしまいました。新刊が少ないのがその理由です。申し訳ありません。
*春の間、本は全く動きませんでした。これはうちだけでなく業界全体が直面した動向のようです。
*といいながら、日記を見てもお分かりのように日本中をほっつき歩いています。すみません。
 (あ)