地方出版と初版部数について書こうと思っていたのだが、ヘンなことを思い出してしまった。
 もう20年近く前の話になるのだが、92年3月6日、友人の工藤鉄治さんが肺炎のため秋田市内の病院で亡くなった。享年76だった。
 工藤さんは「中島のてっちゃ」と呼ばれ、秋田市では知らないものとていない知的障害を持った放浪芸人だった。
 私は35年前、この人の半生をルポした『中島のてっちゃ』という本を出版した(76年)。この本は自分の処女作であるばかりでなく、無明舎出版にとっても記念すべき第一作、デビュー本でもあった。

 この本はよく売れた。販路が秋田市に限定されていたにもかかわらず、短期間に3刷9千部を完売。これに気をよくした結果、出版の泥沼に引きずり込まれてしまうことになるのだが、いずれにせよ無明舎出版と自分の原点ともいうべき本であった。
 取材当時、てっちゃは老人福祉施設にいたのだが、出版後も毎年、てっちゃを施設に訪ねるのが恒例化し、親交は続いていた。が、それも彼の死によって幕が引かれることになった。

 葬儀は数日後、生まれ故郷の秋田市近郊の生家で行われた。
 弔辞は小学校時代の同級生だったという村の長老(文化人?)だった。村を出てから50年以上てっちゃには会ったことがないという。その弔辞を聞いていて、ひっくり返りそうなほど驚き、身体が怒りで熱くなった。
 「あなたを利用して本を書き、20万部も本を売り、大儲けをした許せない男がいます」と切り出したのである。「20万部」「大儲け」「利用した」という言葉は弔辞の間、何度か繰り返された。50数年会っていないよく知らない人物を語るより、私を批判するほうに軸足をおいた、異様な弔辞だった。
 大勢の村人が参列する葬儀で、最前列にいる私は名指しで批判され続けた。
 全く事実とは違う「20万部」というでたらめな数字を前提にしての罵倒だった。 いたたまれなくなり弔辞が終わった後、席を立って帰ってきた。送りにきた遺族は目を伏せたまま、悲しそうに頭を下げた。それが、せめてもの救いだった。

 地方出版にとって本が「1万部」も売れるのは奇跡に近いが、県都・秋田市からわずか20キロほどしか離れていない村では、いつのまにか私の本は「20万部も売れ」たことになっていたのである。
 この弔辞を読んだ人物もたぶん鬼籍に入ったことだろう。もう恨む気持ちもないのだが、無知という名の狭い了見は、ほんとうに怖い。
 もうすぐ、てっちゃは生誕100年をむかえる。「生誕100年祭」は、私一人でささやかに祝うつもりだ。

×月×日 週末は太平山登山。が、どうにも身体が重い。今年に入っての山行はどこも体調が今ひとつ。翌朝、のどが痛くなり体がほてり、ダウン。
×月×日 冷凍庫に入れたものが膨らんでドアがあかない。工務店にも応援を頼んだが、隙間に手が入らない。温めて解凍するしかない。隙間に透明ファイルを差し込み熱湯を流しこむとガタンッと音がしてドアは開いた。一瞬人生が明るくなった気がした。
×月×日 雨飾山登山。長野側(小谷)から登って新潟側(糸魚川)に降りるコース。行きはヨイヨイ帰りはヘロヘロ。信州の山登りの若い先輩(編集者としては後輩)には「もう北アルプス、大丈夫」とおだてられたが、その手には乗らない。自分の力量はわかっている。信州のあの威厳に満ちた山容は眺めるだけでも迫力あるなあ。
×月×日 カミさんが旅行中なので毎日三食自分でつくって食べる。すこぶる快適。好きな食材で好きな料理をつくれるこの幸せ。二人だと必ず晩酌するのだが、一人の夕食ではめったに酒を飲まない。この義務からも解放されたのだ。
×月×日 漢字で書くと「叩き」。これでは意味が分からない。あの柄の先に布や羽根をつけてほこりを払う掃除用具「はたき」。この便利なツールが家庭から姿を消したのはなぜ? 部屋の掃除に使っているのだが便利で重宝している。
×月×日 選挙の話だが参議院のそれではない。ちょうど去年の今頃、元町長が北秋田市長選で買収の罪で逮捕された。その初公判が今日行われる。この元町長、1年たった今も刑務所の中。どう考えても30万円の選挙買収事件の領域は超えている。初公判が逮捕から1年後というのも訳がわからない。背後に何があったのか、この異常な事件に県民のほとんどが関心を示さないのも異様だ。というわけで今日は裁判の傍聴。
×月×日 ドイツの人気者コメディアンが書き300万部のベストセラーになったという『巡礼コメディ旅日記』(みすず書房)。なんでこれがベストセラーなのか首をかしげてしまう。著者が何者なのか翻訳ではさっぱりわからないのだ。「訳者あとがき」に「翻訳は単行本を基に、著者の吹き込んだCD版を底本にした」という意味深なエキスキューズ。
×月×日 朝早くから、ある音楽家の方をホテルに迎えに行き、放送局まで送り届けてきた。仕事ではなくカミさんが主催するある会のお手伝い。アッシー君である。父が日本でもっとも有名な詩人であるこの音楽家の、実は小生ファン。車中、ファンとして接すべきか、一運転手として接すべきか、悩みましね。
×月×日 山から帰って汗と泥まみれの衣類を洗うのが特に好き。洗濯機に放り込まれ、物干し台で風に吹かれている衣類を見ていると「再生」という感覚を実感する。もしかして山登りの「最高の喜び」は山行後の洗濯、、なのでは。
×月×日 誰とも会話しないで1日が過ぎることがある。が、今日のように真逆の日もある。朝から女子高生の「職業人インタビュー」を受け、山仲間のご夫婦が退院報告にきた。連載をしている新聞担当記者と打ち合わせで午前は終了。午後からは六郷に出向き著者と情報交換、途中の十文字では田舎暮らしをはじめたご夫婦と仕事の打ち合わせ。そのまま近所の居酒屋に行き、月1回の「勝手に蕎麦打ち会」。運転中なのでノンアルコール、いろんな人としゃべりまくる。12時間以上しゃべりっぱなし。
×月×日 「人生は一冊の本のようだ」とよく言われる。でも、その本(人生)はいったい誰が読むために編まれたものなの? と疑問がわいてきた。本は人に読んでもらうために編む。とすれば自分の人生を読んでくれる読者なんて、いるのか? 昨日読んだ本に答えが書いてあった。この定番のフレーズの次に、
 「この本を読めるのは風だけだ」
書いた人は私の好きな詩人、長田弘。
×月×日 食器で左手の中指を切る。けっこう深く血が止まらない。身体にわずか1センチほどの傷がついただけで、風呂はダメ、服を着るのも四苦八苦、水仕事はできない、パソコンは打てない。身体のどこにも不具合がないというのは、ほとんど奇蹟みたいなものだ。
×月×日 毎晩、録画したNHK「グレートサミッツ」を観かえしている。NHK社員が実際に世界の高峰にアタックするという企画だ。番組とは関係ないが先日、山で水死した民放記者とカメラマンの事件を思い出す。トムラウシ山遭難の件もそうだが、山はやっぱり怖い。
×月×日 さすがに夏の夜は灯ってないが、寒くなると家の前一面をイルミネーションでキラキラ飾る家が近所にある。岩村暢子さんというマーケティングのプロによると「そのように飾る家ほど家庭内不和が多い」のだそうだ。なるほど、あれは「家庭内不和」のシンボルだったのか。なんとなく納得。
×月×日 お盆休みは13日から18日。
その間一度山行(焼石岳)があるのみで、あとは事務所で仕事。
×月×日 駅前の書店で本を買う。普段はネットで買うのだが書名や装丁の参考のため本屋の棚を見てメモをとるのだ。それが目的なのだが、ついつい本も買ってしまう。
×月×日 円が83円台に突入。みっともない話だが、さっそく銀行に走りトラベラーズチェックを買う。1カ月以上先だが外国に行く予定がある。初めて海外旅行をした30数年前のレートは確か200円台。隔世の感しきり。
×月×日 ブラジル移民のドキュメント映画を撮り続けている0さん来舎。移民の映画を撮りたくてご自身も移民したという熱血ドキュメンタリストだ。
×月×日 ある本を出したら東京の小さなプロダクションや広告関係者から著作の二次使用の連絡。「フリーライダー」といわれる連中である。よそのヒット商品に「ただ乗り」して利ザヤを稼ぐ人たちである。
×月×日 雨が多かったせいか家の周りの草の成長が早い。外から見える場所だけ、とりあえず草むしり。草がなくなったら気分もすっきり。30分で終わるんだから、もっと早くやれよジブン!
×月×日 毎日が暑すぎるので、山行も散歩もひかえている。そのぶん週末は仕事。そのためウイークデーにやる仕事がなくなった。外に出ようにも暑いし、けっきょく無理やり仕事を増やしたり、読書量を増やしたり。
×月×日 散歩の途中に空き家がある。飲食店経営に失敗して自己破産した人が所有者だった家だが、最近よく車が止まっている。家のなかは真っ暗だが、かすかにテレビの光が見える。夜になると誰かが居る気配。毎夜家をのぞくのが楽しみになってしまった。
×月×日 買いものに行き、若い女性店員の無神経な対応にイラついたり頭にきたり説教したくなったり。これって老化現象? 怒りを抑えるため「この子は自分の娘、いや孫だ」と呪文を唱えている。先日はパスポート用写真撮影でカメラに触ったこともないと「豪語」する娘に写真を撮られ、殴りたくなった。
×月×日 運転免許の書き変え。列の前のお年寄りが視力検査で引っかかる。まったく読めないのだ。それでも検査官はなんとか合格にさせてあげようと、いろんな努力をしている。腹がたった。このおじいちゃんは確実に運転不適格者だ。免許をとりあげるべきなのだ。
×月×日 とうもろこしが好きだ。いろいろ産地を食べ比べたが青森・岩木山南麓の嶽キミが甘くておいしい。印刷所が近くにあるのに一度も送ってもらったことがないと、ブログに嫌みったっぷりに書いたら、翌日、無言で(笑)、50本もの嶽キミが送られてきた。
×月×日 久しぶりに泣いてしまった。『孤独の中華そば「江ぐち」』(久住昌之・牧野出版)は、もう名著の域に達したなあ。25年前に『近くに行きたい。秘境としての近所――舞台は〈江ぐち〉というラーメン屋』という書名で出て、10年後、『小説中華そば「江ぐち」』として新潮で文庫化、それも絶版となり、今回が3回目の改題出版である。とにかく面白い。
×月×日 日替わりでノドクロ、サンマ、ソイ、アジ、銀タラと魚三昧の日々。昔から肉派なのだが、舎内は圧倒的に魚派が多く肩身が狭い。
×月×日 予報通り夜半から雨。これで一気に秋だろう。週末の静かな事務所で寺尾沙穂『風はびゅうびゅう』というアルバムを大音量で聴いている。文春新書から『評伝 川島芳子』という本を出した作家でもある。天はけっこう二物を与えてるよね。午後からは山の学校に「クマ鍋」を食べに出かける。
×月×日 北アフリカ・チュニジアで働く友人が来舎。サンパウロ在住の日本人Mさんは鉱山技師。ラマダンの期間は仕事にならないので日本に遊びに来たそうだ。イスラム世界の話は刺激的で、のめり込むようにいろいろ聞いてしまう。
×月×日 パスポートの書き換えで有効期限を「5年にしますか10年にしますか」と聞かれた。迷わず「5年で」。10年後と言えば70代だ。これからは長くても5年単位ぐらいで人生を考えるのが分相応だろう。
×月×日 近所のマジうまコロッケを出す店がついに販売再開! 5月から10月までは「北海道産ジャガイモの都合」で販売中止だったのだが、店の前を通るたび、販売が早まるのでは、と期待していた。それが正夢になった。本当に3週間前倒しで9月10日解禁。初日は6個買い、堪能。来年の5月までは心おきなくコロッケが食える。9月10日をコロッケ記念日にしたい。

*暑い夏でしたねえ。60年生きてきて、こんな暑さは初めてです。
 列島の西のほうから遊びに来た人たちは、「やっぱり北国は過ごしやすい」なんて言うのですが、暑さ慣れしていない我々にとっては「苦行」でした。幸いにも「クーラーつけっぱなしで寝る」状態は回避しましたが、とにかくクーラーには感謝の夏でした。やっぱり秋がいいよね! (あ)