●アイルランド舎員旅行日記

アイルランド 街めぐりの旅(後編)

10.Castlbar(キャッスルバー)
 スライゴーを出て最初に通った街がバラナ(Ballina)。アイルランドの地名はゲール語名を強引に英語にあてはめたものが多いため、綴りを見て正確に発音するのは難しいが、北海道でアイヌ語の地名を漢字にしたようなものと考えれば納得がいく。Ballinaをバリナでなくバラナと読むのは、長万部をチョウマンブではなくオシャマンベ、倶知安をグチアンではなくクッチャンと読むのと同じかも?
 ここもさして大きな街とは思えないが、目抜き通りにはなぜかフランス国旗が飾りつけられ、車や人の往来も多い。昨日通ってきた北アイルランドの英国風の街並と較べると、アイルランド(共和国)は建物の色がカラフルなので、街全体が明るく華やいだ印象を受ける。歳をとるにしたがって"ひやみこぎ度数"が高くなり、景勝地、建造物などの観光スポットは見ても見なくてもいいような傾向が強まってきた。旅の感覚は、何より移動の感覚だ。通り過ぎるだけのsightseeingであっても、車窓から眺めた何でもない街の風景が、いつまでも記憶に残っていることがある。昔見たロードムーヴィーの、忘れられない一場面のように。

フランス国旗がひるがえるバラナの大通り
 次に立ち寄ったのはキャッスルバー(Castlbar)という人口1万人くらいの、アイルランドでは中規模の地方都市。街の中心部にあるスーパーマーケットで、お昼のサンドウィッチを買う。客がパンにはさむ好みの具を選び、パック詰めできるコーナーがある。下手にレストランに入って高くてまずいものを食べさせられるより、こちらのほうがおいしく経済的なのは、食べ物にあまりこだわらない私にも理解できる。
 スーパーを出ると、通りの歩道で中学生くらいの男の子が大粒のいちごを売っていた。家がいちご農家なので家計の手助けをしているのか、それとも単なるアルバイトなのか。私のイメージする典型的なアイリッシュの男の子、といった表情。写真を撮らせてもらったお礼に1パックを買い求めた。

キャッスルバーでみかけたいちご売りの少年
 キャッスルバーの郊外を行くと、芝生のグラウンドでスティックを持った少年たちが見なれないゲームをしていた。最初はクリケットかと思ったが、後で調べたらハーリングというホッケーとラクロス(これもホッケーに似た競技だが)と野球を混ぜたような球技だとわかった。同じようなアイルランド固有のスポーツにゲーリックフットボールがあり、こちらはサッカーとラグビーとバスケットボールを混ぜたような球技(といわれてもイメージがすぐには湧いてこないが)という。どちらもにゲール語の復興運動などとリンクして国民の間で熱狂的に支持され、民族意識を高める役割を果たしているらしい。
 アイルランドはサッカーも強い。昨年日本で行われたワールドカップでの最後まであきらめないフェアな戦いぶりは、緑一色の熱狂的なサポーターの応援風景とともに参加国の中でも特に強い印象を残した。キャッスルバーでハーリングを楽しむ少年たちのユニホームも、やっぱりナショナル・カラーの緑色だった。

11.Westport(ウェストポート)
 昼食はキャッスルバーの先のウェストポートでとることに。ここはコネマラ地方への玄関口となる観光都市で、街の中心には、その名もオクタゴンと呼ばれる8角形台座の塔がそびえる広場がある。私たち4人はこのオクタゴンのベンチ、あるいは階段に腰掛けて、サンドウィッチをパクつく。
 広場の前は花壇になっており、そこから道路が放射状に伸び、こぢんまりした街並ながらも洗練された印象を受ける。某ガイドブックにアイルランドの最古参トラッド・バンド、チーフタンズのメンバーが経営するパブがこの街にあり、演奏レベルのとても高い伝統音楽が聴ける、と書いてあった。アイルランド全土には、こうした有名パブのある街は数え切れないほどあるだろう。全部回るとしたら、何日かかることやら…。

ウェストポートの街並とオクタゴン
 ウェストポートの市街地を出ると、グロック・パトリックという三角形の山が見えてきた。アイルランドに最初にキリスト教を伝えた人物で、この国の守護聖人として敬愛されている聖パトリックが修行したといわれる聖地、日本風にいえば霊山だ。アイルランドでは、こうした独立峰的な山は珍しいので、遠ざかってからも振り返り眺めた。
 ここからゴールウェイまでは、コネマラ地方を縦断する国道を行く。木も生えない泥炭層と石灰岩の山、緑に覆われた草地に放牧された羊の群れ、低木の森林と箱庭のような湖沼…。これら初めて目にするこの世のものとも思えないコネマラの風景は、まさに辺境−Far West−の大地そのもの。あまり適切でない表現かもしれないが、別の惑星へトリップしたような不思議な感覚が呼び覚まされた。

一本道がどこまでも続くコネマラの風景
 途中、ハンドクラフトの看板がかかる土産物屋さんがあったので、立ち寄ってみる。
 私はおみやげを買うという行為が不得手だ。できることなら旅先であれこれ悩むことなく買わずに済ませたい。が、そうもいかないからやっかいだ。昨年の台湾旅行で妻におみやげを買わなかった。いや、旅行中ずっと買おうと思っていたのだが、逡巡しているうち気が付いたら成田に着いていたのだ。それがどんな結果を招いたかここでは言わない。
 今回は昨年のような失敗をするまいと誓ったのだが、それが相当なプレッシャーとなり旅の間中重くのしかかっていたので、ここで是非とも買うことに決めた。迷いに迷ったあげく、妻に羊毛の毛織セーター、海外旅行が趣味の義姉(旅行に行くたびに私におみやげを買ってくる)にも、同じく毛織のショールを買い求めた。フーッ、これで一安心。思うに、私はたぶん、恐妻家なのだろう。
 それにしても、この店を見つけたのはラッキーだった。ハンドメイドの品物が豊富で質もよく、ダブリンと較べると1〜2割安い。店の奥にはコネマラの壮大な風景が望めるカフェもある。レンタカー旅行でなければ寄ることがかなわないからか、某ガイドブックにも載っていなかった。
 アイルランドは鉄道、バスなど公共交通機関がそれほど発達していないので、田舎へ行けば行くほど車が必需品となる車社会の国(その点は日本と同じ)。観光するには、こうした穴場スポットにも出喰わすことができるレンタカーが最適だとあらためて感じた。ただ、国道でも道幅が狭く、歩道がついていないところが多い。田舎道でも平気で100キロのスピードで走っているので、たまに重いリュックを背負ったトレッカーが歩いていたりすると、結構ヒヤヒヤする。当初、私の代わりにこの旅行に参加する予定だったライターの藤原優太郎さんは、数年前にこのコネマラの道を自転車で走破したというから、感心するほかはない。

コマネラ地方の街道沿いにあったハンドクラフトの店

12.Galway(ゴールウェイ)
 アイルランド西部の中心都市ゴールウェイに着いたら、ツーリスト・インフォメーションはすでに閉まっていたので、今夜の宿は自力で探すことになった。
 街はずれにB&B(BED&BREAKFAST)が軒を連ねていたので、一軒一軒あたってみるが、どこも満室(NO VACANCY)。ゴールウェイはコネマラ地方やアラン諸島などへの観光拠点で、夏休みに入った7月のこの時期は観光客が押しかけているのだろう。加えてきょうは週末(金曜日)だ。当初は政府観光庁公認のシャムロック・マーク(シャムロックは三つ葉のクローバーに似たアイルランドを象徴する植物)のついた宿に泊まろう、と考えていたのだが、どうやらそんな贅沢を言っている場合ではないようだ。
 場所をかえて別のB&B街で手当たり次第探してみると、なんとか一軒空いているところがあった。バス・トイレのない部屋だが、今夜は泊まるところが見つかっただけでもよしとしなければ。
 宿が決まって落ち着いたところで、全員で街に繰り出す。
 コリブ川の河口に開けた港町で、大航海時代にはスペイン貿易で栄えたというゴールウェイは、現在はダブリン、コークに次ぐアイルランド第3の都市。ゴールウェイ大学や県立大学があり、街の人口の約5分の1を学生が占めるという学園都市でもある。
 人口は6万人ちょっとなので街自体の規模は決して大きくないが、近年、ヨーロッパ大陸はもちろん世界中から観光客が集まる活気あふれる都市として、急速に発展しているようだ。街の中心部は細い路地が入り組み、ショップ・ストリート、ウィリアム・ストリートなどの繁華街にはパブ、レストラン、ブティックが軒を連ね、バスカーズ(ストリート・ミュージシャン)と大道芸人が見物客を集めている。
 ある案内書に、「ゴールウェイは、かつてのサンフランシスコのようだ」と書いてあった。1960年代後半、"花のサンフランシスコ"と歌われ、世界中からヒッピーを集めたアメリカ西海岸の都市サンフランシスコのように、各国の若い旅行者たちが集う国際都市がこのゴールウェイなのだという。確かに通りを歩いているのは若者が圧倒的に多く、人種も多種多様。ダブリンのにぎわいとはまた異なり、全体に無国籍で猥雑な感じ。人波でごったがえす通りには、開放感と祝祭的な気分があふれている。

ゴールウェイのショップ・ストリートで大道芸人に群がる見物人

ゴールウェイのバスカーズ
 ウィリアム・ストリートにあるパブは、立錐の余地もないほど物凄い混みよう。人ごみをかきわけ、富山さんと一緒に生演奏が行われている店の一番奥にたどり着くと、先に来ていた鐙さんと島田さんがステージのかぶりつきにいた。バンドはギター、アコーディオン、フィドル、バンジョーという編成。バンドを引っ張る女性フィドル奏者の演奏に合わせ、陽気な客たちは奇声を発し大盛りあがり。
 島田さんは客の大男とダンスを踊り、ブンブン振り回される。天衣無縫(?)な島田さんにはいつも驚かされ感心させられる。鐙さんは英語をほとんどしゃべらないのに、パブでは隣の人といつの間にか仲良くなってギネスをおごってもらったりしている。社交的な2人は、アイルランドの夜を制覇する勢いでパブを満喫している。この旅行中、ずっと体調が悪くギネスがすすまない私は、酔えないのが辛い。しらふで最後までつきあうことはとてもできず、ひと足先に宿に帰った富山さんに続いてパブを出る。
 もう11時を過ぎているというのに、通りではバスカーズたちが60年代のフォークソングを歌ったり、タブラを叩いたり、大音量のバグパイプを奏でている。長い間忘れていた若い時分の旅の感情がふいによみがえり、しばらく置き場のない心を抱いたまま、路地から路地へ人通りの途絶えた夜の街をあてもなく彷徨う。
 宿へ帰る途中、前から歩いてきたバックパッカーの若者が突然話しかけてきた。どうやら泊まれるところを探しているらしい。私も旅行者なのでわからない、と言って別れた。こんな時間に空き宿を見つけられるはずもないから、彼は今夜、野宿するしかないだろう。

煌々と明りの灯る夜のゴールウェイ、キー・ストリート
 アイルランド6日目は、アラン島(イニシュモア島)観光の積極行動派−鐙・島田組と、ゴールウェイ残留のひやみこぎ派−永井・富山組の二手に分かれ、自由行動となった。私も初めアラン島へ渡るつもりでいたが、ここまでのあわただしい車の移動と夜のパブ探訪に正直疲れていたせいもあって、この日を休息日とする方を選んだ。
 今夜の宿がまだ決まっていないので、B&Bを紹介してもらおうと富山さんと一緒にひとまずツーリスト・インフォメーションへ行く。ここで紹介してもらえるB&Bは政府公認のものだけだが、それを差し引いても、7月の週末に予約なしでゴールウェイに泊まるのはほとんど不可能のよう。案内カウンターのお姉さんは、周辺地域まで範囲を広げて一生懸 命探してくれたのだが、私がパブのあるところに泊まりたいと希望を述べたら、一瞬、そんなこと言ってる場合かよ? とでも言いたげなあきれ顔に…。
 結局、ゴールウェイ(およびその周辺)の宿泊はかなわないとわかり、それを知らせるため、アラン島に向かっている鐙さんのボーダフォン(国際携帯電話)へ電話をかける。うまく通じるか心配だったが、意外にも簡単に通話できた。いったんアイルランドから日本へつながり、日本から再びアイルランドへ送られる、という仕組み。考えてみればものすごい遠回りで話しているのだが、音声はクリアで良好。地球が狭くなったってこんなことをいうのかな。
 宿は鐙さんたちがゴールウェイに戻ってから別の街であらためて探せばいい。それまで富山さんはゴールウェイの教会探訪、私はゴールウェイの喧騒から逃れ、半日あまりの鉄道旅行に出かけることにした。

13.Athlone(アスローン)
 ゴールウェイ駅から10時50分発のダブリン行きに乗る。目的地はアイルランド島のほぼ中央部に位置する街、アスローン。
 アイルランドの鉄道は一応国営(北アイルランドは別会社)だが、前にも述べたように鉄道網はあまり発達しておらず、本数も少ない。ゴールウェイ−ダブリン間は単線で電化されていないため、ディーゼル機関車が客車を牽いて走る。客車は決してきれいとはいえないが、座席は対面クロスシートで間に大きなテーブルが付いている。窓も大きくゆったりしていて、狭苦しく圧迫感のある「こまち」(JR東日本)なんかよりよっぽど快適だ。

旅行客で込み合うゴールウェイ駅のホーム
 座席に座って列車が動き出すと、気分はすっかりTV番組の「世界の車窓から」。こうした鉄道旅行が昔から好きなのは、列車移動のリズムと速度が私の思考の波長とシンクロし、車窓風景をぼんやり眺めながら旅の時間を味わい反芻することができるから。
 地図を見ると、アイルランド中央部を貫くこの路線は、平野部をほぼ一直線にダブリンへ向かっている。そのため車窓に展開する風景は単調で起伏がなく、昨日通ってきたコネマラ地方とは打って変わって、どこまでも青々とした牧草地が続く。空は厚い雲に覆われているが、遠く地平線と交わるあたりは青空がのぞいて一条の陽光が差し込み、緑の草原を照らしている。そのフォトジェニックな光景に、この国が「エメラルドの島」と呼ばれているわけを実感する。
 ここまで6日間のアイルランド滞在で、くっきり晴れた日は一度もないが、その代わり一日雨模様の日というのもない。晴れたかと思えば雨が降り、降ったかと思えば晴れる、といったふうに、短時間で天気がめまぐるしく変わることもあった。その雨もほとんどの場合、通り雨かこぬか雨。だから雨が降っても傘をさす人はあまりみかけない。アイルランドの人たち(特にダブリナーズ)は、少しぐらい濡れても平気のようだ。
 アスローンまではおよそ1時間。途中、アセンリー(Athenry)、バラナスロー(Ballinasloe)という2つの駅を通過する。バラナスロー駅を出た時、街の家並と教会の尖塔が遠くに見えた。直感で静かで落ち着いた私好みの街のように思えたので、急遽アスローンから1時発の便で引き返し、この街を訪問することに決めた。
 12時ちょっと前にアスローン到着。ゴールウェイ行きの列車時間にまだ間があるので、この街の唯一の観光名所、アスローン城に行ってみる。
 街を東西に二分して流れるシャノン川のほとりに建つアスローン城は、中世にアイルランド中央部の戦略拠点として建てられた城だけあって、城壁がとても高く、いかにも強固な造り。ただ、あまり時間がないので(入場料もとられるので)、内部には入らず城壁に登り眺めるだけにした。
 城内にツーリスト・インフォメーションがあったので立ち寄り、アイルランドの作家が好きだという藤原優太郎さんへのおみやげ用にIrelands Writersのカレンダーを買い求めると、カウンターのお姉さんが「これからどこへ行くの?」と訊いてきた。ゴールウェイと答えると、「Lovely!」とひとこと。これはかわいいとか美しいとかではなく、「それはいいわね=Good」といったような意味か。彼女は私のためにゴールウェイやアスローン近郊の観光スポット(初期キリスト教の修道院跡で有名なクロンマクノイズ)のパンフレットを持ってきてくれた。
 アイルランドではちょっとした観光地なら大抵ツーリスト・インフォメーションがあり、観光案内のほか宿泊所の紹介(手数料をとられるが)、ツアーの手配、おみやげの販売などの業務をこなしている。どこでも親切で仕事熱心な女性スタッフがいるのだが、アスローンのT・Iのお姉さんが私に話しかけてきたのは、ゴールウェイなどと違って日本人(東洋人)の旅行者が珍しかったせいなのかもしれない。
 鐙さんがダブリン市民と旅行者の見分け方について面白いことを言っていた。ダブリンの街を歩いていてぶつかりそうになると向こうから避けてくれるのがダブリナーズ、まっすぐぶつかってくるのが旅行者だというのだ。私はヨーロッパの他の国々のことは知らないが、今回の短い旅で、アイルランドの人々はやさしくてフレンドリーとの印象を持った。旅に出る前は、ヨーロッパではSARSの影響で東洋人は疎まれているという話も聞いたが、7月にはいって沈静化してきたせいもあるのだろう、差別的な態度や視線は全く感じなかった。この国は旅行者にとって居心地のいい、旅のしやすい国ではなかろうか。

アスローン城から眺めたシャノン川とアスローンの街並

14.Athenry(アセンリー)
 アスローン駅に戻り、1時発ゴールウェイ行きの列車に乗る。20分ほどでバラナスロー駅に到着。さあ、降りようと乗降扉に手をかけたが、ない。ドアのノブがない。押しても引いても開かない。もちろん自動ドアじゃない。どうやって開けるんだ! 降りるのは私だけなので、ひとりで半ばパニクッているうちに列車は動き出し、バラナスロー駅のホームから離れて行く…。
 しばし呆然としつつ気持ちを落ち着けてドアを見ると、下の方に何やら注意書きが。それには「ドアの窓を下ろして外に手を出し、外側についているノブを回して開ける」と書いてあるではないか。なんで内側から開けられないんだ! と怒ってもあとの祭り。これでバラナスローは私にとって幻の街になってしまったが、しかたがない。旅にハプニングはつきもの。予定を変更し、終点のゴールウェイのひとつ手前、次のアセンリー駅で降りることにした。
 バラナスローもそうだが、アセンリーもガイドブックなどに全く載っていないため、どんな街か見当もつかない。ひとまず無人の小さな駅を降りて、市街地の方向へ歩き出す。歩いて数分のところにあまり大きくない城門があった。門は車が通れるようになっていて、そこを抜けるとホテル、パブ、商店が軒を並べるメーンストリートに出た。
 街の中心に小さな広場があり、そこに設置されているツーリスト・インフォメーション(案内板)には「Athenry Medieval Town(中世のまち)」と表記されている。案内板のイラスト・マップを見ると、街は城壁でぐるりと取り囲まれた中世の城塞都市だったことがわかる。さっきの城門はその名残だろう。といっても、街自体の規模はとても小さく、人口2000人〜3000人ほどの典型的なアイルランド西部の田舎町といったところだろうか。

"中世のまち"アセンリーの城門

アセンリーのツーリスト・インフォメーション(案内板)
 少しお腹がすいてきたのでホテルに併設されたパブに入る。昼は食事のできるレストランとして営業しているらしく、遅いランチを食べている地元の人たちで結構混んでいる。西海岸に来たからには、好物の牡蠣を食べたいと思っていたのだが、おいてないという。しかなたなく、メニューに北アイルランドのブッシュミルズのレストランで覚えたShrimp(小海老)の文字があったので、それを注文。出てきたのは海老のサラダ(コールスロー)のようなものだが、十分おいしい。一緒に頼んだギネスにも合う。
 店内の他の客が食べているものを見ると、ローストチキン、カレーライス、お決まりのポテトチップスなど。あとは何の料理かわからないが、どれも量が多い。私のような小食の日本人には、誰もが大食漢に見える。
 アイルランド人の大好物がバスケット一杯に盛ったチップス(スライスではなくスティック状の日本でいうポテトフライ)。でも、あんなのを子どものころから毎日食べていたら、太るのがあたりまえ。街を歩いていると、でっぷり太った中年や年配のご婦人方だけでなく、十代後半でもうジーパンから下腹の肉がはみでた娘さんたちをよく目にする。ただし、彼女たちはあまり気にしている風でもなく、わざわざヘソ出しルックで街を闊歩しているのが不思議といえば不思議。これも何事にもおおらかなアイルランドの国民性か?
 私はカウンターよりもテーブル席で、それもひとりで飲むのが好きだ。ほっておいてほしい時に話しかけられるのが嫌だし、何よりカウンターは視界が狭く、視線のもって行き場が限られてしまう。眼で遊ぶ(時間をつぶす)ことができないのだ。こうしてテーブル席で視線を遠くに遊ばせながら飲んでいると、とてもリラックスでき、酔いにまかせた想念(夢想?)の幅も広がるというものだ。
 カウンターにひとりでギネスを飲んでいる中年男性がいる。旅行者かそれとも地元人か。アイルランド人はあまりひとりで飲むというイメージはないから外国人旅行者では。いやいや、それは偏見というものだろう。アイルランド人がすべておしゃべりで気さくな人ばかりだとは限らないのは、日本人がシャイで口べたばかりの人じゃないのと同じことだ。
 パブでひとりで飲む男が出てくる映画を思い出した。それは「スナッパー(The Snapper)」(監督スティーブン・フリアーズ/1993)。映画「ザ・コミットメンツ」で一躍有名になった作家ロディ・ドイル原作の、ダブリン近郊のバリータウン(Barrytown)を舞台にした3部作(「ザ・コミットメンツ」「スナッパー」「ザ・ヴァン」)のうちの2作目(3部作はすべて映画化されたが「ザ・ヴァン」だけ日本未公開)。娘が未婚の母になることを知った父が、毎日決まった時間に通うパブのシーンが何度も出てくる。彼はいつもギネスを1パイント、おしゃべりするでもなくひとりで時間をかけて飲んでいた(ような記憶がある)。
 この父親役をやったのは、「ザ・コミットメンツ」でも主人公の父親役で好演していたコルム・ミーニー(Colm Meaney)という役者。アイリッシュのお父さん役をやらせたら彼の右に出るものはいないだろう。アイルランドを舞台にした映画ばかりでなく、ハリウッド映画でも名脇役として有名作品に出演しているので、知っている人も多いはず。
この人がコルム・ミーニー(20年くらい前の若いころ)
 パブを出て、広場から5分も歩くともう街はずれ。牛や馬がのんびり草を食む牧草地が広がっている。街並が途切れたあたりに、ハイクロスと呼ばれる十字架が立つ無人の教会と、ほとんど手入れされていない廃墟の教会があった。
 アイルランドの墓地では、普通の十字架に円形を組み合わせ、独特の渦巻き紋様を刻んだケルト十字のハイクロスが見られる。この円形は古来の太陽信仰と、輪廻転生の死生観を表しているともいわれるが、本来、キリスト教には生まれ変わりという考え方はないはずだから、ケルト系文化圏だけの独特のキリスト教文化といえる。
 2つの教会の間を小川が流れ、周辺は広々とした公園になっている。いつの間にか低くたれこめていた雲が去って薄日が差し、時折吹いてくる風が心地よい。川岸に積まれた石垣の上に腰掛け、ただぼんやりとする。しばらくすると、なぜか言い様のない寂寥感に襲われた。
 この旅の間中、ずっと滓のようにたまっていた不可解なもの。10代や20代のころに持っていたであろう感性のインプットとアウトプット、それが錆付いてジャックが入らず、心をうまく開放することができない。歳をとるとはこういうことなのだろうか。老いがこんなに早く、しかも急激にやってくるとは思いも及ばなかったよ…。         
 今、私はどこにいるのだろう?

アセンリーの廃墟の教会

無人の教会とハイクロス
 アセンリーから4時50分発の列車でゴールウェイに戻る。午前のダブリン行きよりずっと混んでいて、そのほとんどは旅行者のよう。バックパッカーや家族連れの姿が目立つ。
 アラン島から帰る鐙さんたちとの待ち合わせ時間にはまだ間があるので、ゴールウェイ・フィルムフェスティバルが開かれているタウン・ホールに行ってみた。パンフレットの上映リストを見ると、新作の知らない作品が並んでいるが、きょう(12日)はロバート・アルトマンの「Short Cuts」、明日からはヴィム・ベンダースの「Paris, Texas」など旧作も上映されるようだ。
 ゴールウェイではこの映画祭のほかにも、ゴールウェイ・アートフェスティバル(芸術祭)など国際的に知られたフェスティバルが毎年開催されている。こんなところも、世界中から観光客が集まる要因となっているのだろう。

ゴールウェイ・フィルムフェスティバルの会場(タウン・ホール)

「パリ,テキサス」のポスター
 タウン・ホールから待ち合わせ場所のケネディ・パークへ行く途中、エア・スクエア・センターというショッピングモールに入ってトイレを探す。ぐるぐる回ってようやく見つけたら、コインが必要な有料トイレ。30セントを入れて開けたら、後ろから若い男がスルリと一緒に入ってきた。出る時も内側からドアを開けると入れ替わるように数人が入ってくる。ウーン、さすがみなさんよく考えていらっしゃる。
 日本と違って海外では公衆トイレが少ないため、今回の旅行で持病を抱える私が一番危惧していたのは実を言うとトイレ。ただ、少ないといってもレストラン、カフェ、ホテル、ショッピングモールなどには必ずトイレがあり、T・インフォメーション、GSなどでも付設しているところがあったので、心配していたほど困ることはなかった。

30セントの有料トイレ
 ショッピングモールを出て、ウィリアム・ストリートを歩いていた時、ある奇跡が起こった。後から考えてみれば、今回のアイルランド旅行でこの偶然が一番のハイライトではなかったかと思う。なんたって、私はゴールウェイの街角でコルム・ミーニー氏に会ったのだから。
 初めはすぐにはわからなかった。身体の大きな赤ら顔の男が、おばさんと何やら楽しそうに話しながらやってくるな、と思ってすれ違った時、エッ?ウッウッソー! あわてて戻ってみると、確かに「コミットメンツ」「スナッパー」のお父さんではないか! 道行く人びとも気がついたのか、みんな振り返って見ている。
 間近で見たコルム・ミーニー氏は、スクリーンから受ける印象より大柄で、いかにもアイリッシュらしい田舎くささ漂うおっさんという感じ。顔が赤かったので、どうもパブかなんかで一杯引っかけてきたようだ。
 今にして思えば、そこで私はあなたのファンです、とか何とか言って握手したり、写真を撮ったりすればよかったと悔やまれるが、その時はまさかという気持ちのほうが強く、ただびっくりあっけにとられて彼を見送ってしまった。
 こんな偶然ってあるんだなぁ。

15.イニス(Ennis)
 夕方6時すぎにケネディ・パークで富山さんと落ち合い、しばらくして到着した鐙さんたちの車に乗り込む。相談の結果、ゴールウェイ泊の予定を変更し、50キロほど南下したところにあるイニス(エニス)という街に向かう。時間は8時を過ぎていたが、B&Bを一軒一軒あたり、そのうちの一軒で紹介されたイニス郊外のB&Bに泊まることに。
 これまで泊まったホテル、B&Bの中では一番環境がよく、奥さんもおしゃべりで明るい人。こんな遅い時間でも飛び込みで泊まれるのは、夕食をつくる必要がないことと、日没が遅いので気分的に余裕があるせいだろう。
 早速、パブ探訪に繰り出すため、タクシーで街の中心部へ向かう。イニスはこぢんまりとまとまった地方都市という印象。オコンネル広場を中心に狭い通りが四方に延び、レストラン、ホテル、商店が建ち並ぶ。通りに花が飾られ、建物はカラフル。そのため街全体が着飾ったように美しく見える。鐙さんは1年前のアイルランド旅行でもこの街に泊まっているので、懐かしそうだ。

イニスの街並
 クイーンズ・ホテルに併設された「クルージズ・パブ」に入る。このパブは17世紀から続く名店というだけあって、重厚な内装に歴史の古さと深さが感じられる。演奏は店内の一番奥で始まっていた。ブズーキ、マンドリン、バンジョー、フルート、スティックスという変則的なユニット。立ち見客であふれんばかりだったダブリン、ゴールウェイのパブと違ってアットホームな雰囲気があり、客の年齢もやや高いようだ。これまで入ったパブの中で一番心が和み落ち着ける。珍しく富山さんもギネスを飲んでいる。私も2杯目をおかわりした。

グルージズ・パブの店内で生演奏に聞き入る人びと(赤い服が島田さん)
 いつものように鐙さんと島田さんを残して、一足先に富山さんと店を出る。通りを歩いてライヴの貼り紙がしてある別のパブに入ってみると、演奏しているのはトラディショナル・ミュージックではなくロック。さすがに聞く元気はなく、すぐに外に出てタクシーを拾う。
 車内で富山さんが「ぼられないかしら…」とひとこと。車が大通りを外れて脇道に入ったところで、急に不安になった小心者の私。運転手にNo!No!と叫ぶ。運転手「?」という感じでとまどいながらも、本社に無線連絡で道を確かめる。どうやら運転手のほうが正しかったようで、ぴたりとB&B前に車を横付けた。こりゃ失礼。「Sorry, You Are Right. Thank You So Much」とあわてて平謝り。運転手さん笑っていたけど、内心プライドを傷つけられて怒っていたんじゃ…。富山さんも苦笑? ウーン、カッコワル、恥ずかしい。

16.Portumna(ポートウンナ)
 おいしいアイリッシュ・ブレックファーストを食べ、快適だったイニスのB&Bをあとにする。アイルランド7日目は、ここから内陸を西から東へ横断し、まっすぐダブリンへ向かう。
 スカリフ(Scarriff)というダーグ湖(Lough Derg)のほとりの街はずれに、かわいらしいパブレストランがあった。アイルランドの旅も残すところ実質きょう一日だけ。明日の朝にはもうこの国を離れなければならない。そう思うとこんなアイルランド的な風景が忘れがたくなる。

スカリフでみかけたパブレストラン
 次に立ち寄ったポートウンナは、島田さんのお母さんが3年ほど前に住んでいた街という。島田さんと島田さんの妹さんの2人の娘を育てあげ、自分の自由な時間をもてるようになったお母さんは、50歳のころ、見ず知らずのアイルランドの田舎町(ポートウンナ)に単身ホームステイ、ここで1年あまり住み、今はロンドンで生活しているとのこと。日本にいた時と比べて、ずっと生き生きしていると島田さんは言う。私はその話を聞いて強く心に残るものがあった。
 私も今、50歳。大きな転換期が訪れていること感じている。このまま、朽ちてしまうのか。島田さんのお母さんのように、新たな道を自分で切り開いて残りの生を実りあるものにするのか…。それができるのか…。
 
 ポートウンナのスーパーですっかりおなじみになったサンドウィッチの具とパンを買い、しばらく車を走らせると、石橋のある川のほとりにベンチがあった。アイルランドでは大雨が降ることがほとんどないので、川岸は手を加えられず自然のまま。いかにも堅固そうな石橋がつくられるのも、洪水がないからこそ。日本ではおそらくお目にかかれない風景を前に、昼食をとる。
 川向に瀟洒なレストランがあり、屋外のテーブルでサンデーランチを楽しむ家族連れでにぎわっている。とても平和でおだやかな日曜日の午後の風景。考えてみれば、アイルランドはメキシコ暖流が流れているおかげで気候はおだやか。緯度のわりには冬も零下になることはなく、雪も降らない自然災害の少ない国だ。それに比べ日本は、毎年繰り返される大雨、洪水、土砂災害。そして地震、台風、豪雪。アイルランドの川のほとりの風景を眺めながら、日本の自然の激しさ凶暴さに思いが及んだ。

石橋とレストランのある川べりの風景。ここで昼食を食べた

17.Kilcock(キルコック)
 アイルランド島の内陸部を西から東へ走り続け、ダブリンへあと40〜50キロ、1時間くらいで着くというところにキルコックという街があった。ただ通り過ぎるつもりで車を乗り入れたら、おりしもサマー・フェスティバルの真っ最中。街の広場でダンス・コンテストが行われており、車を降りて私たちも大勢の観客にまぎれ、陽気なお祭りの雰囲気に浸った。
 仮設ステージ上の生バンドの演奏に合わせ、十数人の男女がペアになったり、3〜4人の組になったりして、アイリッシュ・ダンス独特のステップを踏む。アイリッシュ・ダンスといえば日本公演も行われたリヴァーダンスが有名だが、あれは伝統ダンスをアレンジしてショー風に振付けたもの。たとえは悪いが、わらび座のソーラン節のようなものだ。
 ショー化されたダンスやパブで聴く生演奏とはまた違った、日常生活に根ざした庶民的な音楽と踊り。車での短い旅の最後の最後に、アイルランドの人々の飾り気のない明るく楽しげな姿、アイリッシュ・ミュージックの原点のようなものを見ることができ、本当に感動した。

キルコック・サマーフェスティバルのダンス・コンテスト

子どもたちも見様見まねでステップを踏む
 街を流れる運河に沿ったレストランの前で、高校生くらいの少年少女たちがアコーディオンを奏でていた。軽快なリールのリズムが心地よく響く。7日間のアイルランドの旅で、通りすぎただけなのに印象深い街…ポートラッシュ、デリー(ロンドンデリー)、ドネゴール、ウェストポート…、そしてこのキルコック。できるなら一泊して住人とともにお祭り気分を共有したい。そんな去りがたい思いを抱きつつ、街を離れた。女の子の弾くアコーディオンの音色が、街を出てからもしばらく耳に残った。

アコーディオンを弾くキルコックの若者たち

18.DublinA(ダブリンA)
 5日ぶりのダブリンに到着。宿は前と同じフィッツィモンズ・ホテル。全員でホテルを出て、テンプル・バーのレストランでアイルランド最後の夕食をすませたあと、パブに繰り出す。鐙さん、島田さんはおなじみの「ザ・テンプルバー」に入ったようだが、あまりにも混雑していて見失い、私はひとりでダブリンで最も古いパブだという「ザ・ブレイズン・ヘッド」へ。雰囲気は確かにいいが、演奏はカントリーっぽくてなじめず、ギネスも注文しないで店を出る。
 きょうは生演奏でにぎやかな店より、もっと静かで落ち着いた店で飲みたい気分。グラフトン・ストリートのあたりに、J・ジョイスが通った老舗のパブがあると聞いていたので、行ってみる。が、残念なことに日曜日でお休み。しかたなく、テンプル・バー方面に戻って行くと、通りに面したガラス張りのライヴ・ハウスがあった。観客の若者たちを前にソロ・シンガーが弾き語りで「ホテル・カリフォルニア」を歌っている。ダブリンで演奏されているのは、伝統音楽ばかりではもちろんない。映画「ザ・コミットメンツ」を引き合いに出すまでもなく、ロック、ジャズのギグが売り物のライヴ・ハウスや、ビートをガンガンきかせた大音響のクラブ(注:平行アクセント)も客を集めている。むしろそっちのほうが、ダブリンの若者たちに受けているのが当たり前といえば当たり前。
 アイルランド銀行前まで来たら、観光客を乗せた人力車が信号待ちしていた。赤信号(青信号じゃなく)で渡らないのは、ダブリンでは珍しい。ダブリナーズは赤信号でもおかまいなく横断歩道を渡るのが普通だが、さすがに観光客相手ではそうもいかないらしい。信号付きの横断歩道に、右を見よ!左を見よ! とわざわざ注意書きがしてあるが、これって信号無視を奨励しているようなものでは? そういえば、警察官も赤信号でも平気で渡っていたっけ…。

アイルランド銀行前で信号待ちする人力車

赤信号でも注意して渡ろう!?

19.Heathrow AirportA(ロンドン・ヒースロー空港A)
 アイルランド8日目の朝。フィッツィモンズ・ホテルを6時半に出て、ダブリン空港へ。
レンタカーを返し、出国手続きを済ませたあと空港内のカフェでサンドウィッチの朝食をとる。さすがにこれだけサンドウィッチが続くと、パンが好きな私でも飽きてきた。
 行きと同じく帰りも私だけ別便(VA)で、他の3人はKLM。私の方が30分出発が早いが、成田到着はほぼ同じ時刻。3人と別れ、一足早くロンドン行きのBLMでアイルランドを飛び立つ。
 ヒースロー空港は2度目ということもあって、今度はスムースにターミナル1からターミナル3へ移動。7日前は国際空港でのトランスファーが初めてだったので、サインを見る余裕もないほど緊張していたんだろう。免税店で無明舎の人たちにお土産を買い(実はこれも一苦労)、13時発のヴァージン・アトランティック航空に乗る。
 機内はロンドン帰り(たぶん)の日本人で、ほぼ満席。隣の20代後半とおぼしき女性は、留学生? ワイン、ビールをごくごく飲んでいる。私はトイレに何度も立つはめになるのが嫌なのでぐっとガマン。
 座席のモニターの映画リストを見ると、最近封切られたアメリカ映画「ソラリス」(監督S・ソダーバーグ)があった。英語版なのでセリフは全くわからないが、音楽と映像だけでこの映画全体を支配している哀しみだけは伝わってくる。タルコフスキーの「惑星ソラリス」とは比較できない別の映画。こちらのほうが原作により近いのでは。
 行きの飛行機よりずっとリラックスしている自分に気がつく。これなら眠れそうだ。睡眠導入剤代わりに映画リストにあった「The Hours(邦題・めぐりあう時間たち)」をセットする。これも英語版。映像を見ることなく目をつぶったまま、フィリップ・グラスの映画音楽と一緒に言葉も音楽として聴く。
 「The Hours」は無明舎のHPで舎長の安倍さんが絶賛していたので、それならばと映画館に足を運んで観た映画。近年観た映画の中では最も心を動かされ、私は久しぶりに映画を観て泣いた。この映画を難解だという人がいるのが不思議だ。テーマは普遍的なもの=死で、一見、救いのない内容だが、裏をかえせば生(生きることの意味)を誠実に描いている実にわかりやすい映画だと思う。
 フィリップ・グラスのミニマル・ミュージック風映画音楽が頭の中でぐるぐる回る。回転と反復。これは何かに似てないか? そうだアイリッシュ・ミュージックのリールだ。そういえばアイルランドは円の国だったと思い至る。
 ニューグレンジ古墳で見た先住民族の渦巻き模様、キャロウモア遺跡のストーン・サークル、ケルト人の輪廻転生の死生観、渦巻きと螺旋模様のケルティック・アート、円形の十字架(ハイクロス)、ラウンド・アバウト(円形交差点)、そして音楽とダンス…。古代から現代まで円のようにめぐり連なるThe Hours(時の女神たち)が、あの国を導いている…。
 
20.Komakata(東京浅草・駒形)
 行きと違って、帰りのフライトは快適だった。トイレ回数は3回。数時間眠れた。
 15日朝9時、成田に到着。荷物受け取り所で数分先に着いていた他の3人と会うことができた。あとは一路秋田へ帰るだけだが、おいしいものを食べようという鐙さんの提案で、浅草のどじょう屋へ行くことに。
 首都高速向島線をおり、隅田川沿い、浅草駅近くのどじょう料理の老舗「駒形どぜう 浅草本店」に入る。鐙さん以外は初めての店。私と鐙さんはどぜう鍋定食(2200円)、富山さんと島田さんは柳川定食(2000円)を注文。富山さんは家の近所で捕ってきて食べているどじょうの料理が、2000円もするので驚いている。
 平場に横板と座布団が並んだ店内は、江戸情緒たっぷりの風情だが、十数時間前にいたアイルランドとの落差が激しく不思議な感じ。この違和感は、昨年の台湾旅行から帰って、東京神田の藪蕎麦でせいろを食べた時も感じた。
 そばをおいしいと感じる日本人の味覚は、中国人には理解できないのではないか。どじょうもそう。アイルランド人はこれをおいしいと言って食べてはくれないだろう。そして、江戸情緒に違和感を持つ私にとっても、日本文化(ジャパネスク)と呼ばれているものは、もしかするとアイルランドや台湾以上の、エキゾチックな異文化ということはないだろうか。

どぜう鍋。ネギをたっぷりのせ、濃いめの味付けのタレで煮ていただく
付記:アイルランド舎員旅行の一員に加えてくださった舎長の安倍さん、また、推薦してくださった鐙さんに心から感謝いたします。
(永)


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