●鐙啓記〔地産地消コリアンレポート〕
 7年前、当時は秋田県農業短期大学の先生だった谷口吉光さん(現・秋田県立大学助教授、環境社会学)を中心に、友人たちと作った「地産地消を考える会」の韓国ツァーに行ってきた。3泊4日のあわただしい旅行だったが、しんしんと底冷えする初冬のソウルでそれなりに楽しんできた。
「地産地消」とは地域で産するものをその地域で消費しようという考えで、昔からある言葉だが忘れられていた言葉でもある。だがここ数年、我々が会の名称にしたことをきっかけに全国で多用されるようになり、急に有名になった言葉でもある。「身土不二」や「スローフード」も同じような意味合いを持っている。
 さて、韓国ツァーだが儒教の国、赤くて辛いキムチの国での「地産地消」の一端を見に行こう、というところから企画されたもので、約150人いる会員の中から21人が参加した。航空機の座席予約の関係で、秋田空港から17人、仙台空港から4人と2組に分かれて出発することになった。私は仙台組だ。

11月24日(土)
仙台空港で乾杯
 仙台空港から搭乗するのは私と秋田県農業試験場で野菜花卉(かき)の研究をしている加賀屋博行さん、秋田県庁で循環型農業の担当をしている長谷川敦子さん、神岡町で酒屋を経営している秋元浩さんの4人で、私の車に同乗して仙台に向かった。仙台空港に到着したのは午前11時30分。チケットを受け取り早速レストランで旅行の安全を祈願して乾杯だ。松島地ビール、牡蠣フライ、牛タンなどの仙台名物がテーブルに並ぶ。
 韓国仁川(インチョン)国際空港まではアシアナ航空を使った。秋田組は大韓航空の利用となっている。アシアナ航空は格安チケットで知られた航空会社で、当然ながら機体も古く機内食にも期待できない。それでもビールを飲みながら昼食をつまみにして窓からの景色を楽しんだ。猪苗代湖、阿賀野川、新潟や富山の海岸線、能登半島、隠岐島などが良く見える。およそ2時間半のフライトで仁川国際空港に到着し、先に着いて到着ロビーで待っていた秋田組と合流。秋田組とは15分くらいのタイムラグだったようだ。

ようやく着いた仁川国際空港
 そのままマイクロバスでソウル市内に向かい、宿泊するハンヤンホテルまではおよそ1時間。ホテルはかなり古くはっきり言ってボロ。どのガイドブックにも掲載されていないようなホテルなので期待はしていなかったが「ちょっとこれはひどいね」というのが本音。谷口さんは「異国情緒のあるホテル」とうまいことを言っていた。今夜からの3泊は秋元さんと同室だ。
 部屋は変に広く、風呂場も寒々としている。ベッドはセミダブルとシングルという代わった組みあわせ。ベッドの上で急いで荷物をとき、皆とマイクロバスで夕食のためレストランに向かう。ホテルはソウル市街地の北東に位置していて、反対側の市内西部にある焼肉レストラン「新羅カルビ」までは時間が結構かかる。我々が団体のため予約を取るのが大変だったとガイドさんは言っているが、いつも日本からの観光客を連れて行くなじみの店、という感じだ。
マッコリと初対面
 店では広さが20畳くらいの部屋に通される。床はオンドルになっていてとても暖かい。ビールで乾杯して、さあお楽しみの韓国料理だ。まずは韓国のドブロク「マッコリ」をどーんと頼み、カルビ、ミノ、タン、生タコなどを焼く。モツには血で固めたスンデのような詰め物が入っていてとても美味。次はキムチだ。白菜、大根などのほかカニのキムチ・チョンガが出てきた。キムチにワタリガニを漬け込んだもので、殻までやわらかくなっている。殻を押すと身がするっと口の中に飛び込んでくるのは快感だ。
 ユッケ、ユッケビビンバ、冷麺、チジミと楽しみ最後は石焼ビビンバだ。どの料理もなかなかの味だった。しかし値段もなかなかだった。割り勘にして1人あたり7,000円とはいくらなんでも高すぎですよ。韓国の飲食相場からゆくと2〜3倍の値段だったという実感だ。果たしてどのくらいガイドさんや旅行会社に謝礼が回ったものか知りたいものだ。

初日夜の宴会風景
アカ擦りに挑戦
 仙台組の4人に秋田大学生の佐々木茜さん、女子中学生の谷口光希さんの6人が韓国式アカ擦りに行くことになり、他の人たちは南大門市場(ナムデムンシジャン)を徘徊すことになった。アカ擦りは食事をした所と同じビルの2階に入っている。1人8,000円という値段は安いのか高いのか分からないが、おそらく高いのだろう。完全にガイドさんのペースにはめ込まれてしまったようだ。中には「汗蒸幕(ハンジュンマク)」という韓国独特のサウナがある。コーヒー豆の袋のような麻袋を頭からかぶって入るサウナだが、男風呂のほうは床に置いている袋が汚いようでかぶる気はしなかった。何種類かのサウナに入った後、ようやくアカ擦りが始まった。ビニール張りのベッドに寝せられ、専用の布でアカ擦りをしてくれる。かなりの力をいれてゴシゴシ擦られる感覚は、痛いと気持ち良いの中間というところだ。アカが驚くほど出てくる。  
 私の体のどこにこんなにアカがあったのか。その後オイルマッサージ、キュウリパックとやってもらい終了。全体で1時間30分ぐらいのコースだった。終わってみると体が軽くなったようでかなり気持ちがいい。
 しかし我々が終わっても女性たちは出てこない。休憩ロビーで朝鮮人参ジュースなどを飲みながら待つこと1時間、ようやく女性たちも出てきた。3人とも入る前より確実に色白になっていて美人度アップ。話を聞くと女性たちが受けたサービスのほうが男よりかなり良かったようだ。「汗蒸幕」の麻袋もきれいなのが用意されていたらしく充分楽しんできた様子。秋元さんは男女差別のサービスが納得できないとしばらく愚痴をこぼしていた。
 サウナに入りせっかくの酒が冷めてしまったので加賀谷さんと2人、ホテルの近くで飲み直すことにする。地下鉄のヨンシンネ駅に向かい歩くこと数分、大きなテント張りの怪しげな飲み屋があった。思わず入ってみると手前で酒を飲ませ奥のほうでバカラ賭博をやっている。飲みながら見ていると現金がどんどん賭けられている。これだけおおっぴらにやっているところをみると合法的な遊びなのだろう。

テキヤがやっているような怪しげなテントの飲み屋
 ホテルに戻ると秋元さんはベッドでガイドブックの「地球の歩き方・ソウル篇」で見所を探している。私は最初の店からペットボトルに入れて持ち帰ったマッコリを1人でちびちびやる。今回の旅行で初めて飲んだマッコリはドブロクに似ているが少し甘めだった。この後、何種類か飲みマッコリにもさまざまな味があることを体験することになる。                

11月25日(日)
お粥の鮑はどこへいった
 朝食は朝の8時、ホテル1階のラウンジでとることになっている。メニューの種類は少なく私は「鮑のお粥定食」を頼む。お粥にキムチ、ワカメの辛味噌あえ、海藻、韓国海苔、ドングリ入りこんにゃくなどが付く。こうして書くとなかなかおいしい朝食のようだが実際はたいしたことがない。私にはドングリ入りこんにゃくは忘れられたのか付かなかったし、鮑もいくらお粥をかきまぜても一片も姿を現さなかった。匂いも味もしなかった。鮑の何が入っていたのか皆で検討したが結局分からなかった。
 出発前にホテル近くのセブンイレブンにフィルムを買いに行く。フジフィルム36枚撮り・ASO100が1本日本円で320円と安い。3本買い求め、ホテルを9時に出発し「ソウル市農水産物市場」に向かう。東京の築地市場のような所で仲卸と小売の市場があり、ソウル市民に大量の農水産物を供給しているらしい。

「ソウル市農水産物市場」の主役は白菜だ
 今日のガイドさんは昨日と違う人で金(キム)さんという40歳ぐらいの女性だ。若いころ日本文学を専攻していて、日本にも20回以上行ったことがあるという。なかなかのインテリで楽しい人だ。
 金さんは戸数15戸という小さな田舎の村で生まれたらしい。都会の人とは違う環境で育っているため我々にはうってつけのガイドさんにみえる。田舎での生活の思い出、大都会ソウルでのご主人の両親と一緒に住む苦労、キムチを漬ける話と興味深い話が小気味良くぽんぽんと出てくる。

キンジャンキムチのための唐辛子の山
これがキムチの材料か!
 卸市場は日曜日のため卸部門は休みだが、一般客向けの小売市場は開いている。ちょうど今、韓国では「キンジャンキムチ」といって一冬のキムチを大量に漬ける大事な時期らしい。残念ながら「キンジャン」の意味は聞かないでしまった。そのため市場には白菜をはじめとしたキムチの食材が大量に積まれている。
 小さなチョンガ大根(日本ではネズミ大根?)、生でもバリバリ食べられる太い大根、ニンニクなどが並び、魚市場にはキムチの隠し味に欠かせないアミ、子エビ、小魚、イワシ、イカなどの塩辛や唐辛子が山積みになっている。
 果樹の売り場にはリンゴ、カキ、ブドウ、ミカンなどが並んでいた。リンゴ農家の渡辺さんは品質や価格などが気になるようで、しきりにリンゴを眺めている。金さんの話しではこれらの野菜や果物にはかなりの中国産が混じっているそうで、日本と同じように産地を偽って販売し、逮捕されるケースが多くなっているらしい。韓国の野菜の良質なものの一部は日本に輸出、安く大量に消費するものの一部は中国から輸入というのが現実のようだ。
臭いは旨い
 魚市場に並ぶ塩辛をつまみ食いしてみる。子エビはかなり塩がきついが旨味も充分ある。イワシは1年ほど漬かっていてどろどろに溶けていて、しょっつる状態だ。舐めてみるといい具合に熟成していてとても旨い。このどろどろを日本に持って帰るのは困難なので子エビの塩辛を買う。両手に山盛りぐらい分けてもらい200円とかなり安い。翌日、ロッテデパート地下のキムチ売り場で見たら、同じくらいの量で10倍の2000円という値段になっていた。

キムチの味を決める小エビやアミの塩辛
 魚売り場に並んでいたハタハタを見て、早速値踏みや品定めが始まった。「安いが、色が白くてうまくなさそうだ」というのが一致した評価。なかでも男鹿の北浦が出身地という大場さんの評価は厳しい。さすが秋田の人のハタハタを見る目は違う。市場を後にしてソウルの中心部から南に40kmほど行った所にある水原(スウォン)に高速道路を使って向かう。途中の畑は一面のビニールハウスになっている。金さんの話しでは、ハウスの中はで焼肉を包んで食べるサンチュという包菜やホウレンソウなどの葉物を育てているという。韓国の人のサンチュを食べる量は半端でないため大量に栽培されているが、このサンチュも安い中国産がどんどん輸入されていて農家は大変だそうだ。
 水原は李氏朝鮮時代の18世紀末、大規模な城郭が築かれた歴史の町で、京畿道の道庁所在地だ。その郊外の農村を訪ねようというもので、金さんが良い所を案内してくれるという。実は今回のツァーだが、皆の希望から土日をはさんだ日程になっている。しかし韓国はキリスト教徒が40%もいることもあり、日曜日は農家も含めほとんどの人が仕事をしない。当然のことだ。そのため実際に働いている現場を見ることができない。そのことは事前に分かってはいたがやはり残念だ。
韓国で縄つくり
 水原郊外はとても穏やかな雰囲気を持った水田地帯で、畑も点在していて日本の農村地帯とそっくりだった。もちろん稲刈りはもう終わっている。田んぼに降りた会員たちは稲わらを手にし突然縄を綯(な)いだした。「稲の茎が日本の品種より長いな」とか、口々に特徴を言い合いながら縄を綯っている。農家出身の金さんもなかなか上手だが、大潟村の早津さんが一番だ。

大潟村の早津さんは縄綯いの名人でもあった
 田んぼを一通り見て隣の大豆畑に足を向ける。こちらも収穫は終わっていたが、あちこちに大豆が落ちていて、その大豆も会員たちの即席品評会にかけられる。ここに来たら皆生き生きとして、やはり農家の人たちだなと再認識させられた。
 水原は青磁器や白磁器造りの町でもあるが、その工房がこの近辺にとても多い。せっかくだから磁器工房を見学することにする。日曜のため作業をしている人は少ないが丁寧に作業場を案内してくれた。刃物を使い粘土を削りだす細かな作業や、7層ほどに区切られた登り窯も見せてもらった。土産用に大きな直売所が併設されていて、何人かの人たちは青磁の香炉や茶碗、皿などを買っている。これで午前中の見学は終わり水原の町で昼食だ。

青磁を焼く登り窯
 水原はどういう訳か「骨付きカルビがおいしい町」とされているらしいが、今日は全員石焼ビビンバを食べることにする。金さんが「観光客の行かないレストラン」として1軒の店に案内してくれる。
 実は今回のツァー中この「観光客の行かないレストラン」「地元の人しか行かない店」と言うセリフを何度も聞いた。観光客にしてみたらせっかく行っても味は日本人向けにソフトになっていて客も日本人だらけ。そのうえ店員がぺらぺら日本語を話すので分かりやすいが異国情緒に欠ける。しかも高い。こんな店はいやだという声を多く聞き、先のキャッチフレーズが出てくるようになったのだろうが、敵もさるもの一枚上手だ。そう言いながらちゃんと提携している店に連れて行く。これを避けるにはパックツァーを止めて自分の鼻と感で店を探すしかない。当然苦労する分いい店に行き着くし、さらに探す過程を楽しめる。
 石焼ビビンバの店も当り障りの無い店だったが、突き出しがおいしかった。小皿に何品もキムチや漬物などが付き、いくらでも追加してもらえるのが韓国のお決まりだが、豆つきのモヤシがシャキシャキしてやたらとおいしいので何回もお変わりした。これが一番良かった。店を出ると変な親父がルイ・ヴィトンのコピーバッグを売りつけてくる。あまりにそのしぐさが胡散臭くておかしいぐらいだ。でもこんな程度は韓国ではかわいいほう。ソウルの街中に行くとこの何倍もの胡散臭さを楽しむことが出来る。この親父さん売れないとみるとどんどん値を下げだした。こんなことをするから信用されないと思ったが、もともとコピー商品ということをお互い知りながらの駆け引きなのでどうでもいいか。それでもなんとか1〜2個売りつけに成功したようだ。
 水原の中心部に残る水原華城(スウォンファソン)はユネスコの世界遺産に指定されている史跡だ。李氏朝鮮22代正祖王が築城したもので、ヨーロッパの築城技術を導入し1796年に完成した東洋で最初の西洋風城郭。歩いて一周すると約2時間かかるという城壁のうち、代表的な城門のひとつ「長安門」しかいけなかったのが残念だった。

長安門の衛兵は立派な顔をしたおじさんだった
薬食同源の「参鶏湯」
 そろそろソウルに戻る時間となった。今夜は自由行動となっていて、秋元さんを除いた我々仙台組の3人は、ソウル大学で植物栄養学を研究している金さんと落ち合って一献傾けることになっている。秋元さんは一人で「ナンタ」を観に行く。これは太鼓を使った韓国の民俗音楽「サムルノリ」をベースにしたミュージカルで、舞台上で激しい包丁のアクションで料理を作ってみせるもの。日本にも何度か公演に来ている人気のショーだ。
 金さんとはホテルで落ち合い「土俗村」という「参鶏湯(サムゲタン)」の専門店に連れて行ってもらう。参鶏湯は幼い鶏の腹の中に朝鮮人参や餅米、栗、銀杏などを詰め込み煮込んだもので、韓国ではよく食べられている。「百歳酒(ペクセジュ)」など何種類かの薬酒も頼み、その味を楽しむ。体が温まる参鶏湯と薬種に加え、床はオンドルになっているのでたちまち体はぽかぽかだ。

これが滋養の王様・参鶏湯(サムゲタン)だ
 金さんはソウル大学から東大に留学し博士号を取得したという才媛の美人。日本で学会があったとき秋田県を訪れ、加賀屋さんや長谷川さんと知り合ったそうだ。植物栄養学という野菜などを育てるのにどのような栄養を必要とするか、という研究をしているそうだ。野菜に詳しくいろいろなことをレクチャーしてくれる。
 食後、腹ごなしをかねて仁寺洞(インサドン)通りをぶらつくことにする。この通りは道の両側に骨董品屋を始め書画、陶磁器店、本屋、土産物屋などがズラリと並びちょっと文化的な匂がする。道端で焼き栗、お茶、カボチャ飴、蚕の繭(まゆ)を煮たポンテギなどが売られていて、長谷川さんと金さんは次つぎと買い込み、歩きながら味わっている。まるで大好きなお菓子を買ってもらった子供のようにはしゃいで楽しそうだ。
 仕上げにソウルタワーに連れて行ってもらうことになった。海抜265メートルの南山山頂に立つタワーで、先端のテレビ塔まで全て足すと高さが503メートルもあるらしい。海抜400メートル近くにある展望台までエレベーターで登ることができ、ソウルの夜景を堪能することができた。

ソウルタワーから見たソウルの夜景
 南大門市場は日曜の夜のためほとんど店じまいしていたので残念ながらパス。4年前に来たとき、いやと言うほど楽しんだので今回はまあいいか。タクシーを使わず地下鉄でホテルに戻ろうということになったが、切符売り場に行って困ったことに気付いた。だれもホテル近くの駅名をおぼえていなかったのだ。しょうがないため駅員さんにホテルの名刺を見せ、どうにかこうにかヨンシンネという駅名を教えてもらい戻ってきたが楽しい経験だった。
ソウルの夜はマッコリで
 ホテルに戻ったもののすっかり酒が冷めてしまったため、昨夜に引き続き加賀谷さんと2人で駅近くの盛り場に繰り出した。手ごろな食堂を見つけ早速マッコリで乾杯だ。たちまち1本飲んでしまい追加すると、店の女の子がたどたどしい日本語で「これはお店からのサービスです」と言って土鍋のような容器に入ったマッコリを持ってきた。我々の飲みっぷりに気を良くしてのサービスらしい。このマッコリはなかなかの味だった。食堂で働く女の子は日本語の勉強中とかで「まだあまり上手に話せません」と恥ずかしそう。
 ああ今夜もマッコリとともにソウルの夜は更けていく。

自家製マッコリをサービスしてくれた食堂のお姉さん

11月26日(月)
東大門を徘徊する
 今日の昼で秋田組は帰ることになっている。1泊多い仙台組は明日午前中の帰国だ。秋田組とは朝ホテルで挨拶し、我々は朝食を食べに外に出る。地下鉄のヨンシンネ駅近くの飲食店街を4人でうろつき、1軒の食堂に入る。そろそろ韓国の赤い食事に飽きが来ていたのか皆でうどんと海苔巻を頼んだ。韓国式のうどんが来ると思ったが、日本のうどんと変わりがない。海苔巻は中の具が韓国独特のものでこれはこれでおいしい。
 ホテルに戻り今日の行き先について作戦会議を開く。今日一日、仙台組は完全自由行動のためだ。当初、秋元さんの希望は北朝鮮との国境にあるオドゥ山統一展望台の見学だったが月曜の見学はお休み。そこで板門店に行こうかという話も出たが、ほとんど1日費やされるので国境ツァーは止めにしてソウル市内をぶらぶら散策をすることにした。
 タクシーで東大門市場(トンデムンシジャン)まで運んでもらう。韓国のタクシーの乗車料金は安く、日本の5分の1くらいの感覚だ。ホテルからここまで30分近く乗って日本円で1000円もかからない。
 南大門市場と並びソウルを代表する巨大市場が東大門市場だ。ここは衣類を中心とした卸と小売の市場で、各地からやってくるバイヤーのために数千軒の店がひしめき、24時間営業をしている。眠ることのないエネルギーのかたまりのような市場だ。秋元さんは地元の神岡町で女子サッカーチームの監督をやっているため、メンバーへのお土産にワールドカップ韓国応援団の赤いTシャツをここで買おうと張り切っている。

東大門市場は日本のコピー本の山でもあった
 ここでも長谷川さんはお得意の食べ歩きに精を出している。びっくりするほど大きなイチゴや焼き栗などが、手品のように長谷川さんのストールの下から出てくる。皆でかじりながら迷路のような市場を冷やかして歩くのはなかなか楽しいものだ。
 私は路上の骨董屋で古い錠前を買い求めた。魚をモチーフにした20センチほどもある大きなものでずっしりと重い。最初、日本円で約3000円というのを値切り、どうにか2000円で買うことができた。このやり取りがなかなか楽しめる。
ソウルで私も考えた
 ソウルには4年前に1度来ているが、町の雰囲気が微妙に違ってきている。町に秩序が生まれ出しているようだ。4年前、東大門市場の路上には楽しくもインチキな露天商が無数にいた。それが今回はグット少なくなっている。以前多かったリヤカーに山のような荷物を積んで車の間を走る人びとも見られず、町もきれいになった。市場周辺に大きなファッションビルも増えている。サッカーのワールドカップを開催したことや、韓国経済が順調になってきたことが大きな理由だろう。
 ソウルの魅力は混沌としたエネルギーが集中した都市、というところにあった。そこから混沌さが少なくなってきているのだ。これではソウルの魅力は半減だ。
辛いは旨い
 そんなことを考えながら歩き回っているとたちまちお昼になった。ちょっと傾向の違う韓国料理を食べたいね、ということで東大門市場の新しいシンボル、ファッションビルのドゥサン・タワー近くの新しい食堂に入った。近所のオフィスビルのOLや女子大生が多く入るようなこぎれいな店だ。キムチがたっぷりと入ったスープ無しの真っ赤な麺ビビムネンミョンやコチュジャンそば麺、キムチチゲ、ギョーザなどを頼み、その辛さを楽しむつもりが、あまりの辛さに全部食べるのがやっとという情けなさ。隣のテーブルでは若い女の子たちが、真っ赤な料理を次つぎに平らげている。

毎度毎度の辛くておいしい料理の数々
 赤く辛い料理でほてった身体をソウルの乾いた冷気で冷やしながら、昨晩も行った仁寺洞(インサドン)通りに向かうことにした。秋元さんが昨夜来れなかったためだ。夜とは違い昼の仁寺洞は明るく、観光客や学生が店先を冷やかしそぞろ歩いている。小路には喫茶店や居酒屋などが建ち並び、ソウルの芸術家や文化人の溜まり場という雰囲気だ。
 だんだん歩くのが億劫になって来たため、1軒のモダンな喫茶店に入りティータイムにする。ビール好きの加賀谷さんはバドワイザーだ。ゆったりとした店内に体が沈み込むような大きなソファー、おいしいコーヒーをゆっくりと飲みながら、壁にかかっている現代アートのリトグラフやポスターを眺めているとソウルにいることを忘れてしまいそうになる。
 仁寺洞から通りを1本はさんで曹渓寺(チョゲサ)という寺院がある。韓国仏教の最大宗派、大韓仏教曹渓宗寺院の総本山となっている。そこを見学しようということになり足を向ける。途中、見上げるようなガラス張りの高層ビルが目に入った。「あのビルの上にあがりたい!」と長谷川さんが一声。お供の我々を引き連れエレベーターで最上階まで一直線。着いた所は前面ガラス張りの高級レストランだった。
 ソウルの町を見下ろす窓際のテーブルに席を取り、サンドイッチをつまみにビールを楽しむ。黒い陶器のジョッキには生のドラフトビール、窓からは高層ビルの向うに沈む真っ赤な夕日とおびただしいネオンの数々。これもソウルのひとつの顔なのだろう。

天上の高級レストランでくつろぐ秋元さんと長谷川さん
 大変な美人のウエートレスさんに見送られて、当初の目的だった曹渓寺に向けぶらぶら歩く。とっぷりと日が落ち、寒さが一段と厳しくなってきた。曹渓寺周辺にあった坊さんグッズを売る店でメイドイン・イタリア(もちろん韓国か中国製)とラベルがついた、カシミアのように暖かいマフラーを買った。値段は約200円。これがソウルの魅力です。
なんと!ロッテデパートはキムチ博物館だった
 最後にキムチを買うためロッテデパートの地下に降りてゆくと、広々とした売り場の半分くらいをキムチが占めている。一角は30種類ほどのキムチを並べ、キムチの歴史、韓国各地のキムチ、キムチの作りかたなどを展示したミニ・キムチ博物館となっている。その種類、材料の豊富さにしばし唖然。これぞキムチの実力。どうだ恐れ入ったか、と言っているようだ。

ロッテデパートの地下は実はキムチ博物館でもあった
 ここでそれぞれお土産や自分用にキムチやウニの塩辛、パック入りの参鶏湯(サムゲタ)などを買い込む。野菜コーナーを回ると日本にはないさまざまな野菜や、韓国でちょっとしたブームになっている雑穀が並べられていて見るだけでも楽しい。しかし、ここはお土産買いには便利だが一般の韓国人には縁のない所。質が良い分値段も高い。観光客が主体という特殊な空間だ。
 長谷川さんの提案で重厚な赤レンガと石で造られたソウル駅を見学してから、ソウル一の繁華街・明洞(ミョンドン)で旅の打ち上げをしようとタクシーに乗る。駅近くの広場を通ったとき、運転手さんが日本語をまるっきり話せないのに、ワールドカップでソウル市民が何十万人も集まり、大変な盛り上がりをみせたのはこの広場だと誇らしげに教えてくれた。
 明洞では民俗酒場という少し大きめな居酒屋に入った。韓国の民芸品で店内を飾り、料理も酒も韓国の代表的なものはだいたい取り揃えている便利な居酒屋で、ソウルにはこのスタイルの店が何軒もあるらしい。オンドルで床が暖まった一角に陣取り早速料理の品定めが始まる。「海鮮鍋(ヘムルタン)」と「キノコの鍋」と鍋料理を中心にした料理を頼みビールで乾杯、その後すぐマッコリに移る。

民俗酒場の海鮮鍋。中で踊るはタコやエビ
 韓国では「トンドンジュ」と呼ぶマッコリは米で造った濁り酒で、日本のドブロクにそっくり。アルコール度数が6〜9度と低いため、料理を食べながら長時間飲みつづけることができる。店によって、またメーカーによって味に違いがあるのが楽しい。今回飲んだ中で1番おいしかったのが2日目の夜、ヨンシンネ駅近くの食堂で飲んだ自家製のドブロク、次がこの民俗酒場で飲んだもの、3番目が最初の夜に焼肉屋で飲んだものだった。市販のペットボトル入りも飲んだが、味が弱くさらりとしすぎで私の好みではなかった。

これが韓国のドブロク、マッコリだ
 ドングリの粉を入れた冷奴(ムク)の野菜和えも秋田でよく食べる「エゴ」のような食感でなかなか好評。鍋は量が多く、さすがに2鍋は完食できなかった。明朝はホテル出発が7時前と早いため今夜は珍しく2次会は無し。行儀良く早寝をしようとホテルにまっすぐ戻る。

11月27日(火)
朝も早よから買い物か
 朝6時過ぎに起床し迎えの車で空港に向かう。外はまだ薄暗い。朝早いのと車内が狭いため皆むっつりしている。さらに不快なことに空港近くのキムチ屋に車は立ち寄り、地下にある店に連れ込まれ、お土産用のキムチや韓国海苔を買ってくださいときた。これだからツァーはいやになる。それでも小1時間店内にいて、お茶を飲んだりお土産品を見たりしているうち目もさめ、気分が良くなってきた。
 空港での出国手続きは全員スムースに終了。ティールームに入りコーヒーだけ頼み、コンビニで買ってきたおにぎりや巻き寿司、サンドイッチを出し遅めの朝食にする。搭乗まで1時間ほどあったので、それぞれ免税店をぶらつき残った韓国ウォンを使い切ろうと買い物に精を出す。私も娘たちへの海外お土産の定番となっているベルギーのゴディバのチョコレートを買う。これが一番喜ばれるし、なににするか悩む苦労がなくありがたいお土産だ。
 飛行機は2時間ちょっとで仙台空港に到着。仙台は快晴で春のように暖かい。空港の駐車場から車を出し、そのまま秋田に向かう。しかしこの好天も長続きはしない。東北自動車道から秋田自動車道に乗り換える当たりから天気が悪くなり、秋田自動車道は雨また雨。ひどい天気だ。はっきり言ってこんな天気の秋田には帰りたくない、というのが本音。県境のあたりは雪が多いが、車は順調に秋田自動車道を走り、夕方、無事秋田に到着する。
 3泊4日の短いソウル旅行だった。それでも仙台組は秋田組より1泊多く、少し得をした気分だ。韓国の地産地消を見学する、という目的はそれなりに成果はあったが、時期や参加人数、コースなど一考を要する課題も残った。でも今後も行うであろう外国での見学会に対するノウハウはそれなりに培った。韓国やあるいは別の国で再度行う場合、参加者は事前の勉強を充分にする必要を痛感したし、現地コーディネーターも高度な知識を持った人を探したいものだ。
 だが、初めての海外研修としては成功だったと言ってよいだろう。ソウルでは思った以上に中国野菜が市場を席巻していることが確認できた。韓国独特の料理やキムチ、酒などの加工食品は健在のようだが、その材料はどこの物わからなくなってきている。焼肉の牛や豚の一部は外国から入っているかもしれないという。日本のように世界中からの食品輸入に頼る国にはなって欲しくないものだ。
 参加した皆さん、ご苦労様。ソウルの仁川国際空港をトランジットに使えば、秋田からでも海外は楽に行ける時代になった。特にアジアは近く、日本と関わりも深いのでいろいろ勉強になる。次に行くのは日本や韓国に大量に農薬つきの農作物を輸出している中国かな。


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