Topics 2001年7月15日
安倍 甲
No.2 「出版」の混沌

出版「界」とはなにか?
 毎月のように御茶ノ水のホテルに泊まって東京や神保町の空気を吸ってくるのがルーティンワーク化していたのだが、このところ東京への興味が急速に薄れてしまった。なぜなのだろうか。東京とりわけ神保町へ行くのは秋田で孤立無援の作業を続けていると、時折無性に孤立感にさいなまれ、自分は情報砂漠に置いてきぼりにされているのではないか、唯我独尊の裸の王様になっているのではないか、といった焦燥感があわ立ってきて、同業者の群れの中に入りたくなってしまうからである。群れの中にいると安心するのは「弱さ」の露呈である。そのあたりがこのところ微妙に変化してきたのである。もっと具体的に言えば、佐野真一さんの「本を殺すのは誰か」が出版されたあたりから「もう、どうでもいいや」という心境になリ、同業者が群れたり神保町へ行くことへの興味が一挙に薄れていったのである。これは佐野さんの本に対する出版界の人たちの過敏ともいえる反応に「逆ショック」を受けたためのようだ。個人的に佐野さんとの付き合いが長いので、あのぐらいの事を書かれるのは最初からわかっていたし、書かれる側も当然そうした批判や疑問に対し日ごろから反論の牙を研いでいるものとばかり思っていたのだが、意外にも出版業界は蜂の巣をつついたような騒ぎになり、結果として「今まで何も考えていなかったこと」があらわになってしまった。私個人は以前から地方出版という、巨大な中央の出版システムの外側にいた(いざるを得なかった)ため、その恩恵も受けていない代わりにシステムの崩壊とも無縁の立場にいたこともあるだろうが、ここまでボロボロになるまで何の対策も講じて来なかった業界の内部事情はわかっていたものの、あらためて佐野さんに欠陥を指摘されて、これほど身も蓋もなくあわてるとは思ってもみなかったのである。もっと大人だと信じていたし、こうした醜態をさらすほど人ごとだと思っていたのかとがっくりしたわけである。その一方ではとても出版界の擁護や弁護をする気にはなれなかったのも事実で、これほどまでに一般的な社会認識とかけ離れた業界であったことも再認識したというのが正直なところである。

地方出版はどうなるの?
 未曾有の出版不況の中でいま地方出版が個別にニュースとして取り上げられる機会はほとんどない。しかし私の実感としては出版不況の波をもろにかぶっている一番の被害者は地方出版である。地方の版元は規模が小さく企業として認知されていないところが多いので、不渡りや銀行取引停止、倒産という目に見える形で報道はされないのだが、実際、開店休業状態の版元はかなりの数に上っているのは間違いない。本を出さなければ、土俵に上がらない相撲取りと同じで、負けることもなければ記事になることもない。人口130万弱の沖縄に30社を越す出版社があるのは、実はその9割の版元が年に1冊か2冊の本しか出版しない、いわば「失業の一時避難所」的な「片手間職業」として使われているからである。無職よりは出版社の肩書きがあったほうが世間体がいい、という理由で出版社を立ち上げる人が多いだけの話なのである。たぶん、こうした沖縄と同じ現実が、これから数年、本土の地方出版にも波及するのではないだろうか。専業として本を出し続け討ち死にするのか、年に1,2本の本を出しながら景気回復を待ちつつ出稼ぎするか、この2つの極に地方の版元は分解され、生き残る専業版元は全国でも片手で数えられる程度のものしかなくなるようなきがするがどうだろうか。地方の版元は、誰にも知られず静かに撤退していくか、しゃにむに独自の戦略を打ち出して生き残りに賭けるか、2つにひとつしかない岐路に立っているのは間違いない。

地域の中の出版経営
 10年程前、ようやく経営が軌道に乗り始め、本もそこそこに売れていたただなかに、大きな疑問と不安が頭をもたげてきた。本が売れ、黒字経営になったとはいうものの、これから子育てが本格化する社員の昇給や退職金、老後のことなどを考えると目先の黒字程度では将来すぐに企業としてはパンクしてしまう脆弱な土地の上にいることがはっきりした。地域という狭い市場で、不安定な書店売上に依存して生活することから脱却しないと将来はないのではないか。書店が消えていったら私たちはいったいどうなるのか。本の売上だけでは「生活者としての編集者」は狭い地域の中で成立しないのではないか、ということが頭をもたげてきたのである。編集というスキルを武器に「自分たちの作りたい本を作る」だけの甘ったれただだっ子のような出版社でない、独自の生き方や金の稼ぎ方があるのではないか。いや考えたというのは正確でない。そうせざるを得なかったというべきであろう。以来10年、本を出す以外に地域の中で「編集剣客商売」として仕事の幅を広げることに腐心してきた。ここ数年でその努力が実を結び、どうにか黒字経営を維持できるところまできた。皮肉なことに出版業界は私たちの動きとは正反対に不況地獄のなかでのたうちはじめたわけだが、それは私たちとはまた別の物語りの始まりである。請われて、自分たちの出版社としての構造改革の実践を他の版元へ話しに行くことが多くなった。しかし話を聞いてはくれても、無明舎の構造改革を自分の会社で実践に移すところはほとんどない。ほとんどの地方出版社は企業というよりもボランティア団体か市民運動の延長として地方の出版をとらえているからである。もちろん私は自分たちの実践が唯一無二の生き残り策だとうぬぼれてはいない。が、少なくとも小さなマーケットで好きな本だけを出して食べていけるほど現実が甘くはないこともしっかりと知っている。そのためには何らかの手を打たなければならないのに、相変わらず「いつか本が売れれば一発逆転・・・」などとわけのわからない賭博的希望にかけている版元がほとんどである。 構造改革には確かに血が流れる。そのために会社が一番好調のときにあえて改革を実践に移すのがベターなのだが、多くの版元はすでにその機を逸してしまったようにと私には思える。古きよき時代の地方出版社として姿をけした津軽書房の高橋さんは晩年、あまりの本の売れなさに「地方出版なんていうのは幻想だったんじゃないのか」としきりに嘆いていた。彼には直感的にわかっていたのだろう。なにはともあれ、市場の限られた地域の中で編集者や版元として生き残るのためには、これまでの既存の「本」や「編集」、「出版社」といったもののあり方を根本から考え直すことからはじめるべきである。
 ほとんどの地方出版社はこの厳しい時代のふるいにかけられて姿を消していくのは必至である。もし、出したい本があり、地域のなかで残したいと切実に思うものがあれば、いますぐに従来の考え方から離れて自分と会社の足場をしっかりと固める作業をはじめなければならない。もう遅いような気もするのだが・・・。

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