んだんだ劇場2013年3月号 vol.170
No103
母親は記録魔だった

バケツが壊れた
 わが家に1トンの雨水を溜めるタンクがあることは、前に紹介した(「んだんだ劇場」2012年10月号)。タンクの最下部に水道の蛇口を取り付け、そこからホースで水をひいて古いバスタブに水を溜めるようにしてあるのだが、蛇口のパッキンが古くなってきたらしく、ポタポタと漏れるようになった。その「ポタポタ」が朝までに氷柱となって、地面と蛇口をつないでしまった。
 それは私の誕生日、2月9日のことだ。

ポタポタ漏れた水が氷柱になった
 ただし、蛇口から出たしずくがすぐに凍るはずはないから、鍾乳洞で炭酸カルシウムを含んだ水滴が落下したところから石筍ができるのと同じように氷が育ったのだろう。バスタブの水にも氷が張っていた。その氷を、愛用している白い四角の、プラスチックのバケツで割って水を汲みだした。5リットルは入る大きなバケツなので「よいしょ」と持ちあげ、地面に下ろそうとしたら、どういう加減か、バケツがちょっとバスタブにぶつかった途端、縦に亀裂が走って水が流れ出した。
 畑に水を運ぶのに重宝していたバケツなので、私はがっかりした。水を汲んでいつでも使えるように、作業小屋の前に出しっぱなしにしておいたから、紫外線でプラスチックが劣化していたのかもしれない。そこに寒さが加わって、ちょっとした衝撃で壊れたのだろう。

亀裂から水が流れ出すバケツ

バケツの底にあった母親のメモ
 それでバケツを初めて仔細に見たら、底になにか書いてあった。だいぶ薄れていたが、「平成8年10月20日」とか、「生ゴミ用」という文字は読むことができた。油性ペンの文字は、2002年4月に亡くなった母親の筆跡である。
 母親は何にでも購入記録を書き残す人だった。戦後の、物がない時代、父親の安月給の中から生活に必要な品物をひとつひとつ買いそろえて来たのは、母親にとっては記録すべきことだったに違いない。今は動かなくなってしまった母親愛用のワープロにも、そんな記録が書き記されていた。母親は手紙を書くのが趣味とも言える筆まめで、ワープロの使い方を教えてやったらすぐにローマ字変換を覚えて、「私は字が下手だから、これはいい」と喜んでワープロを使っていた。
 写真もたくさん撮った。といっても芸術写真にはほど遠く、何かの集まりがあると写真を撮りまくり、写っている人のほとんどにプリントした写真を配るのである。他人の葬式であまりにも頻繁に前に立つので、その家の人に文句を言われたこともあるくらいだ。だから今でも、母親のアルバムは100冊以上(数えたことがないので、それ以上かもしれない)保管してある。
 家計簿もきちんとつけていいた。父親の思い出話では、「1円合わないと、帳尻が合うまで計算し直していた」そうだ。
 母親は、「記録魔」だったのだ。
 母親が亡くなって、9年後に父親も逝ったのだが、父親の遺品を整理し始めたら、母親の遺品がまったく整理されていないことがわかった。父親は、母親の思い出を整理しかねたのかもしれない。それで、かみさんが1年近くかけて、母親の遺品を整理し、先日、着物などを親戚の方々に「形見分け」としてもらっていただいた。
 バケツの底の文字は私にとって、やはり母親の形見のひとつである。簡単には捨てられない。私はバケツの傷を、丈夫なビニールテープで補修した。水を入れるには不都合だが、剪定した木の枝を一時的に入れるくらいなら、十分に使える。大事に使い続けよう。

無料の鶏糞堆肥
 昨年の11月だったか、かみさんが「ただで堆肥がもらえるよ」と言い出した。養鶏場で、鶏糞とおがくずを混ぜて作った堆肥を無料で分けてくれるというのだ。かみさんが、地域誌かなにかで見つけた。養鶏場はわが家から、海岸の御宿(おんじゅく)へ向かった山の中である。
 もちろん、さっそく出かけた。
 御宿に直接出る道路の途中から右折し、その先の信号を左折する……「これ、勝浦に抜ける裏道じゃないか」。外房の海岸を走る国道は、週末、特に観光シーズンになると大混雑するので、わが家から御宿、勝浦、それに鴨川などへは、地元民なら知っている山の中を走る。まあ、その中でも、御宿と勝浦の中間あたりに出るその山道は、突然視界が広がって海が見えるのが気持ちいいのだけれど、海が見える直前は細くて、曲がりくねっていて、私も数えるほどしか通ったことがない。
 その途中に、うっかりすると見落としてしまいそうな、養鶏場への案内看板があった。わが家からは13キロちょっと、時間では15分から20分の距離だ。かみさんが受付を済ませ、鶏舎のわきを山の方へ上っていくと、巨大な堆肥置き場があった。

山のような鶏糞堆肥置き場。これが無料

市販の肥料の袋に入れてワゴン車に積む
 堆肥を入れるのは、市販の「10s有機肥料」ビニール袋である。受付では、肥料袋の数を申告するだけだ。かみさんが袋の口を開けているのへ、私がスコップで堆肥をすくい取って入れる。鉢植えの草花を育てるくらいなら、市販品の肥料で間に合うが、60坪の畑に施すとなると、市販品では高くつく。以前は、近くにある酪農家から、軽トラック1台分の牛糞堆肥を3000円で買って、春耕の前に畑にばらまいていたのだが、酪農家が廃業してしまった。夏に、家の周辺の草を刈って堆肥に積んでいるが、それだけでは足りない。「無料の堆肥」はありがたい。
 以来、月に1度は養鶏場へ堆肥をもらいにいくようになった。
 で、1月下旬に行ったとき、私らが袋に堆肥を詰めていたら、年配のご夫婦が軽トラックで堆肥を取りに来た。驚いたのは、その容れものだ。両側に手のついた、四角形の大きな布袋に堆肥を入れ始めたのである。ある程度袋に入れると、2人でトラックの荷台に上げ、そこに堆肥を追加して袋いっぱいにする。市販品の肥料の袋だと、輸送中に倒れないようなるべくぎゅうぎゅうに積み込まなければならないが、この大きな布袋なら、それだけで安定しているので積み込み作業が楽だ。
 きいてみると、ホームセンターで売っているとか。その半分くらいの大きさの布袋もあって、「持ち運びには、こっちが軽くていい」そうだ。以来、かみさんが探しているのだが、まだ見つからない。

肥を入れるのに便利な、大きな布袋
 さて、話は戻って、バケツが壊れた凍てついた朝のことだ。
 畑を覆いつくすように、真っ白に霜柱が立っていた。これまでの記憶では、最も長く伸びた霜柱である。

大きく成長した霜柱

堆肥を入れて耕した場所には霜柱がない
 さらに話は戻るが、昨年末、夏の間お世話になったトマトやナスの支柱を私がはずして片づけておいたら、年が明けてから、かみさんが耕運機で耕してくれた。その前に鶏糞肥料をばらまいておいたのだが……耕した場所にだけは霜柱が立たなかった。
 記憶のよい読者なら、「んだんだ劇場 2011年2月号」に収録されている「霜柱の研究」という話を覚えていらっしゃるだろう。戦前、自由学園の女子高生たちが、霜柱はどういう条件でできるのかを研究した話である。雪の研究で知られる中谷宇吉郎博士の『中谷宇吉郎随筆集』(岩波文庫)で紹介されていた話で、彼女らは、関東ローム層に存在する微粒子がなければ霜柱はできないことを証明したのである。
 いつもは畑一面に霜柱が育つのに、堆肥を耕運機で鋤きこんだ場所には霜柱が見られなかった。堆肥を入れることが土壌改良につながるのだと、そんなところから確信した朝でもあった。

年老いた柊
 節分は立春の前日である。「鬼は外」と豆を撒くのは、寒く、暗い冬を追い出し、春を迎える意味がある。その気持ちは日本だけではない。オーストリアのアルプスに近い地域に立春の日、鬼の面をかぶった人々が練り歩いて春を迎える行事がある。その写真を、岩手県北上市の博物館「鬼の館」で見た。ただし、鬼の顔は日本とは少し違っていた。

赤鬼は日本の鬼鬼やらひ 石田波郷


 浜田廣介(ひろすけ)の童話『泣いた赤鬼』は、人間と仲良くしたいというやさしい鬼の話だが、鬼は本来、人間には恐ろしい存在だった。波郷の「赤鬼」は、日本古来の鬼なのである。そして日本では豆撒きだけでなく、焼いた鰯の頭を突き刺した柊の枝を門戸に刺す風習がある。柊の葉の鋭い刺(とげ)で鬼を寄せ付けない、という信仰だ。
 房総半島、千葉県いすみ市の我が家にも、庭の片隅に柊の木がある。6年前に植えた時は、膝の高さぐらいしかなかったのが、今では私の背を越えた。年末になるとたくさんの小さな白い花を咲かせ、芳香を放つ。だが今度の冬、その中に、刺のない、縁の丸い葉が何枚かあるのに気づいた。

刺のない柊の若葉
 これも6年前だが、愛知県豊橋市役所の隣にある豊橋公園(江戸時代の城跡)に行った時、白い小さな花を無数に咲かせている、こんもりした樹形の大木を見つけた。しかし、花は柊だが、葉に刺がない。樹種がわからないので写真を撮り、園芸に詳しい知人に見せたら「香りがあったのなら、間違いなく柊です」と言われた。そして「柊は老木になると、葉が丸くなります。でも、写真をよく見ると、先端がほんの少しとがっている葉があるでしょ。これが刺のなごりです」という。
 若い柊の葉に刺があるのは、動物に食べられたり、踏まれたりしないためで、ある程度の大きさになると、少し葉を食べられても木が枯れることはなくなり、次第に刺がなくなるのだそうだ。我が家の柊も、やんちゃ盛りを過ぎようとしている頃なのだろう。
 若いころはとげとげしかったのが、年老いて丸くなる……柊は人生を思わせる。が、それでも先端に刺の面影が残るのは、若いころの激しい気持ちをどこかに持ち続けなければはいけない、ということなのだろうか。
(このエッセイは、俳誌「杉」2月号に掲載したものに加筆しました)
(2013年2月26日)


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