んだんだ劇場2012年8月号 vol.163
遠田耕平

No125 トイレのコンドーム

僕の今働いているハノイのオフィスは街の中心にある。そのせいで狭い敷地に古い2階建てのボロ屋を借りている。増築を繰り返しているせいで一階と二階にみすぼらしいが、一応小さなトイレがあわせて5つほどもあって、そこは男女共有である。 同じフロアーにいる男性職員のオチンチンがひん曲がっているのか、その人が使った後はいつも便器の周りがビチョビチョになる。僕は自分が疑われるのは嫌だなあと思い、入るときは不本意ながらいつも便器の周りや床をきれいに拭いている。ところが女性職員たちは犯人が誰だか知っていたようで、ある日「運転免許が必要よ!」と向きあう壁にベトナム語で張り紙が張られていた。 ベトナム女性のジョークのセンスはなかなかのものである。

そのトイレの入り口の壁に状差しが一つ掛かっていている。その中には葉書きではなく、男性用と女性用のコンドームがいっぱいに入っている。この仕掛け人は、HIVの担当の英国人職員で、彼の机の周りにはその男の趣味で、数十種類のコンドームが砦のように積まれてる。コンドームに埋もれているその男はいつも幸せそうにデスクでお仕事し、飄々としてコンドームの普及と宣伝で飯を食っている。それ故、配ったコンドームが使われて減ってくれることが彼の実績ともいえる。 

そんなことどうだっていいだろ、と言われれば、まさにごもっとも。 ただ、わが品性の貧しさ故か、どうもトイレに入るたびにコンドームが目に入ってきて、その減り具合が気になるのである。 別の場所にあるトイレを使っていて気づいたのであるが、その減り方が違う。運転手たちのたむろしている階はあっという間になくなっている。一方、僕の机のすぐ隣のトイレは少しも減らないのである。そもそも僕のいる階には僕も含めて中年男性が4人だけで、あとはすべて13人が女性職員である。

じゃ、女性用のコンドームは減るかと言うと、まったくこれが人気がない。僕は試したことはないが、どう見ても具合のいいもののようには見えない。 そのせいと言うわけでもないだろうが、わがオフィスではベトナムの女性職員の複数が時を同じくして、絶えずご懐妊されている。お腹が大きいのである。僕の秘書のタインさんも6ヶ月の産休から戻ったばかりで元気いっぱい。オフィスの中には凄まじい生産力がみなぎっている。彼女たちは暇さえあればネットショッピングで、子供たちの服やおもちゃなんかを買っている。お互いに情報交換して、初めの子が使ったのおもちゃの交換なんかも盛んにやっているようである。ベトナムの女性たちはいつも実用的である。とにかく生活に忙しく、楽しそうである。コンドームを旦那に持って帰るなんて考えもしない感じだ。 うーん、そうするとコンドームの減少率はひとえに男性職員にかかってくる。

しかし、僕の近くのトイレのコンドームは減らない。マニラにいる同僚のT先生があるとき僕に言ったこと思い出した。「先生、僕はねえ、トイレにあるコンドームの減り方を見ると、どのくらいその階の職員に活力があるか想像できるんですよ。ハハハ。」と。つまり、この減少率はそのトイレのある階の職員年齢と相関しているということらしい。その時は、アホくさい話だと、笑って聞き流していたのだが、どうも気になってきた。 

束になって残っているコンドームを見るにつけ、オカアチャンから日々冷たくされ、自ら手を伸ばしてコンドームを手にすることもめっきり減った男たちの寂しい後姿が目の前をよぎる。ああ、トイレの状差しの中で満々とあふれているコンドームの束を、ちょっぴり恨めしく見ているのは誰?「がんばろう。日本男児。」と秘書に聞こえないように小さく呟く僕。 なんだか枯れていくこの想い、、、。え、僕だけなの?



ポリオワクチンキャンペーン続編


ポリオの生ワクチンは一回では効きが悪いので、必ず一ヶ月後にもう一回飲む。前回、この紙面でもご紹介したメコンデルタのソクチャン県のビンチョウ郡で、2回目の接種状況を調べるために再び向かった。ビンチョウは人口17万人余りの郡でメコン河が太平洋に流れ込むデルタにある。人口の半分くらいはクメール人(カンボジア人)である。フランスがここを植民地にする前はカンボジアの領土だったのだから、その理由はよくわかる。

接種所の外の炎天下で待つお母さんたち

ポリオワクチンの投与を受ける子供
10のコミューンに10の保健所がそれぞれあり、4日間で1万9千人の5歳未満の子供たちにワクチンを接種する。保健所の下には10余の村があって、その村ごとに2−3の接種所が設けられ、保健所ごとに4日間ですべての村でワクチン接種を完了する。


やっぱりてんやわんや、でも工夫いろいろ。。。

前回は栄養プログラムと合わせたために、ビタミンA剤を配ったり、虫下しを配ったり、体重や身長を測ったりと、大混乱だったのに比べると、今回はポリオワクチンだけなのだから随分と楽だろうと思っていたが、やっぱり接種所は混乱していた。 子供の名前を名簿と照合する机の周りは子供を連れたお母さんたちであふれ、ワクチンを受けるまでにお母さんと子供たちは相変わらず炎天下で待たされている。 

困ったなあと思ってみていたが、別な接種所に行ってみて驚いた。お母さんたちは誰も待たされていないし、実にスムーズに流れている。 よく見ると、子供の名前を名簿と照合するのを後回しにして、まずポリオワクチンを子供たちに飲ませているのである。ただ順番を入れ替えただけなのであるが、混乱は収まった。さらに、名前の照合は、ワクチンを飲ませたあとなので、お母さんはひと安心し、スタッフもゆっくりと時間もかけて照合している。その間ワクチン接種後の子供に何か変化がないか観察もできる。 お母さんたちも安堵の表情をしている。

家々を訪ねて子供たちを調べる村の世話役

携帯を使った拡声器
ベトナムの慣例としては、名簿との照合をいつも始めにやることが大事である。名簿に名前がなければ、せっかくやってきてもワクチンを受けられないこともある。キャンペーンの趣旨は「どこでも、誰でも、どんな子供でも」が建前だが、ベトナムでは名簿が先である。そのせいで、子供の数が正確か、調べた数と合っているか、いつも議論になる。そこで僕は「どんな調べも結局は正確じゃないから、調べた数より多くの子供が来てもいいんですよ。接種率が100%を超えてもいいんですよ。これがキャンペーンの意義なんですよ。」と何度も説明する。現場を知っている人たちはみんな納得した表情を見せる。でも、やっぱり数合わせはベトナムでは大事なのである。

ところが僕の見た接種チームはもっと柔らかく対処した。お母さんたちの待ち時間を少しでも減らして、受けない子供の数を減らそうと。賢い。さらに驚かされたのは、拡声器から、クメール語とベトナム語の2ヶ国語でワクチンキャンペーンの説明が接種所内に流れていたのである。他の接種所では拡声器はあっても、誰もちゃんと使わずに転がっている。以前は大きなテープデッキに拡声器をつないで使っていたものだが、最近は面倒くさいのでなにもしない。 音の出所をたどって拡声器を見つけたのだが、そばにはどこにはテープもデッキもない。おかしいなあと思って拡声器の後ろを見ると携帯電話が拡声器のマイクのところに立っている。なんと、携帯電話の録音再生機能を使って繰り返し流しているのである。賢い。2ヶ国語の説明のファイルは郡の衛生部から各保健所に配信されたらしい。ワクチンキャンペーンの当日、お母さんたちの耳から入るメッセージは本当に大事である。


保健所スタッフと村のおばさんたちのチャレンジ

前回いろんな村を歩いて、土地勘もついて、接種率の低そうな村の見当がつく。家から家を訪ねて子供たちの接種状況を訊いて歩く。印象的だったのは村の接種所を手伝ってくれるボランティアと呼ばれる中年の女性たちである。彼女たちはキャンペーンのようなときにアルバイト代をもらって動員される村の世話役のおばさんたちである。クメールの人たちが多いのであるが、完璧にベトナム語を話せる。完全なバイリンガルである。僕なぞは6年間もクメール語を習ったのに、少しもうまく言葉が出てこないのだから実に恥ずかしい。もちろんベトナム語も不完全なまま。この女性たちがさらにすごいのは村の住人を知り尽くしているということである。一軒一軒訪ねるたびにその家の親がどこで働いているとか、ここは留守だからあとでもう一度来るとか、実によく知っている。いい世話役のいる村では接種率も高い。

ワクチンを持って村の家々を回るスタッフ

ワクチン漏れの子供を見つけて家で投与
一方、いい世話役もいないで、貧しい家の多いクメール人の村ではやっぱり接種率が悪い。2回のうちのどちらかしか受けていないか、どちらも受けていない子は半分もいる。多くは、知らせをもらっていなかったとか、いつキャンペーンをやるのか知らなかったとか、そもそもベトナム語がわからない人も多い場所だから難しい。こういうところではやっぱりワクチンをもって家々を回らない限り接種率は上がらない。でも、今のベトナムの法令ではワクチンを家に持って回ることを禁じているのである。保健所の外でワクチン接種した場合に何か問題が起こっては困るという政府の方針である。しかし、54の少数民族のいる国で、保健所のスタッフもほとんど少数民族の言葉のわからない状況では、この法令がワクチンを受けられない子供を多く残す原因になっていることは明らかだ。

ところが、たまたま訪ねたある村で、ワクチンをもって家々を回っている保健所のスタッフと村のボランティアに出会ったのである。接種所にやってこない20%以上の子供たちにはこうしてワクチンを接種するしかないと、自主的にワクチンを持って家々を回っているのである。法令を遵守していないと言われてもこうするしか接種率をあげられないということを理解している。現場の人は何をするべきかを一番わかっている。そして非難も省みずにやる人たちがいる。この努力がある限り、接種から漏れる子供たちは少しでも減っていく。

ハノイに戻って、保健省の予防接種の政府の責任者であるヒエン先生に現場のスタッフたちのぎりぎりの努力を報告した。彼は深くうなずく。ワクチンをもって歩かないと接種できない場所があることは誰よりも知っている人である。 「法令が問題なら、法令をかえればいい。」と、ぽつりと答えた。どこまでできるかわからないとしても、トップのこの言葉はうれしい。キャンペーンの質を上げるためにやるべきことはっきりしている。 この10月と11月には南部を中心に19県の79郡で百十万人の5歳未満の児童を対象にポリオワクチンのキャンペーンを実施することが決まった。さあ、みんな、現場のど根性を見せてくれ。

やっぱりワクチンを受けていないクメールの子供たち

ワクチン、モォー 飲んだ?


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