んだんだ劇場2012年6月号 vol.161
遠田耕平

No123 インビクタス、負けざる者

INVICTUS

Out of the night that covers me
Black as the pit from pole to pole
I thank whatever Gods may be
For my unconquerable soul

In the fell clutch of circumstances
I have not winced nor cried aloud
Under the bludgeoning of chance
My head is bloody, but unbowed

Beyond this place of wrath and tears
Looms but the horrors of the shade,
And yet the menace of years
Finds, and shall find, me unafraid

It matters not how strait the gate,
How charged with punishment the scroll.
I am the master of my fate
I am the captain of my soul

by William Ernest Henley (1849-1903)

日本語訳
「負けざる者」

私を覆う漆黒の夜
鉄格子にひそむ奈落の闇
私は神が何であれ、神に感謝する
我が魂が征服されていないことに

無残な状況においてさえ、
私はひるみもせず、叫び声も上げはしなかった。
運命に打ちのめされ、
頭から血を流しても、決して屈服はしない。

激しい怒りと涙の彼方に
恐ろしい死の影が浮かび上がる。
だが、長きにわたる脅しを受けてもなお
何一つ恐れはしない私がいる。

門がいかに狭かろうとも
いかなる罰を課して、苦しめようとも
私は我が運命の支配者、
私は我が魂の指揮官なのだ。


これは、「インビクタス−負けざるもの−」という映画の中で、ネルソンマンデラ役のモーガンフリーマンがつぶやく詩である。

久しぶりの週末に、たまたま見た映画なのであるが、あまりに感動して、しばらくソファーに沈み込んだまま動けなかった。話はマンデラが30年近い投獄から1990年に釈放され、1994年の選挙で南アフリカの大統領となり、その翌年の1995年に南アフリカで開催されたラグビーのワールドカップで弱小だった南アフリカのチームが奇跡の優勝をしたという実話がもとになっている。

黒人と白人の憎しみの応酬に何とか歯止めかけたい、分裂の危機にある国を何とかひとつにしたい、と頭を悩ませるマンデラ。その時、彼が目をつけたのが、一人の黒人選手を除いてすべて白人選手だらけのラグビーの弱小ナショナルチーム。4千3百万人の国民の多数を占める黒人からはまったくの不人気なチーム。このチームがワールドカップで優勝すれば、国はひとつになるとマンデラは信じた。周りはそれを笑う。ワールドカップに出ることすら危ぶまれるチームである。奇跡でも起こらない限り無理だといわれる。

そんな中で、マンデラは自らの大統領オフィスにマットディモン演じるキャプテンのフランソワをお茶に招く。そこでマンデラは、選手にできないことを可能にさせる力はなんだろうか、と問答をする。そこで、自分の場合は30年近い独房での投獄生活の中で出会った一遍の詩だったと話す。それがこの詩である。

マンデラは30年間の独房生活の絶望と恐怖と悲しみの中で、この詩に出会ったことで、絶望と恐怖に支配されることがなかったのだと言っている。詩にある如く、いかなる運命であれ、それを支配するのは自分なのだと。この詩に出会ったとき、マンデラはいかなる運命の闇にも、絶望にも恐怖にも悲しみも屈服すまいと、心に誓ったのだろう。それが不可能を可能にした。 キャプテンのフランソワも、チーム全員もいつか心をひとつにして不可能を可能にする奇跡に向かって進んでいく。そして、黒人も白人も初めてともに抱き合って喜ぶ勝利の瞬間が、国が初めてひとつになって歓喜にあふれる瞬間が訪れる。


心の光と闇

心を覆い尽くす闇ってなんだろう? 押しつぶされそうな恐怖ってなんだろう? 何かにつまずいて、壁にぶつかるとき、深い孤独にさいなまれるとき、それはやってくる。それはまるで光の隣にある影のようにぴったりと光にくっついて離れることがない。実はどちらも僕らの心の中にある僕ら自身である。そして影が一気に光の部分まで飲みこもうとする時、僕らは、その闇の中の恐怖と対峙することになる。そしてそれを克服しないと心は暗闇に飲まれる。それは日本にいたときも、ベトナムにいたときも、インドに行ったときも、カンボジアでも、再びこのベトナムでも、この得体の知れない闇の中の恐怖を感じてきた。そしてその都度、克服してきたのだろう。

僕は、この一遍の詩を聞いたとき、まるでマンデラが自らを奮い立たせたように、僕自身も奮い立ち、恐怖に立ち向かう勇気をもらったように感じたのである。僕の心の中を覆う得体の知れない恐怖、悲しみ、絶望。それはある瞬間、僕自身をあっという間に飲み込んでしまうほどに大きくなる。一方で、そうさせまいとするものがある。それはなんだかよくわからないけど、やっぱりそれも僕自身なんだ。立ち向かってくれる自分自身があるんだと、この詩が教えてくれる。 実際に独房にいたわけでもなく、死に直面したわけでもないのに、大げさな話だと思われるかもしれないが、僕は感じる。はっきりと闇に潜む恐怖を感じる。そして、いつもそんな闇の中の恐怖と向き合い、闇に支配されることのない魂があることを知っている。

自らの魂は絶望の闇と恐怖に支配されないと宣言するこの詩に僕は深く感動する。 この詩を書いたウイリアムヘンレーは、骨結核で両足を切断する悲劇に遭い、それでも創作を諦めなかったと知った。

「I am a master of my fate. I am a captain of my soul.
私は我が運命の支配者、私は我が魂の指揮官。」

光も闇も僕ら自身なのであるから、光の中にあって、自らの魂の指揮官でありたいと思うのである。



ポリオ変異株のその後 −メコンの都、カントーの今−

「チュオン ヌック、チャン ガオ、コンアイ ムオン ディーベーニャー(澄んだ水、白いお米、ああ、去り難しメコンの都)」
これはカントーの人なら間違えなく教えてくれるカントーの諺である。

カントーはメコンの中心の都(西の都、タイドー)。ホーチミンを流れるのはサイゴン川で、メコン川ではない。20年前、1975年の解放後、街は暗く、すっかり元気のなくなったカントーしか知らなかった僕は、久しぶりにカントーを訪れて、そのすさまじい変化に驚いた。 いまやホーチミンに次ぐ第2の南部の都市に成長。以前は何本ものフェリーを使ってやっと辿り着いた街が、いまや何本もの巨大な橋でつながっている。ホーチミン市から3時間半で着くメコンの交通網の中心だ。先月には、なんと国際空港まで開港し、さらに近隣の県をまっすぐにつなぐ新しい幹線道路が今もどんどん開通している。

病院行脚

病院で診察したポリオ疑い(ギランバレー症)の11歳の少女
ポリオワクチンの変異したウイルスによる麻痺患者が出たことは先月号で少しお話しした。 今回はカントーを中心とする各県の県立病院を回り、臨床の先生たちに変異ポリオウイルスによる患者の発生を伝え、ポリオ疑いの患者を徹底的に報告してくれるよう、便の検体を取ってくれるようにと、頭を下げて歩く行脚の旅をした。 パスツール研究所で南部の予防接種の責任者で、友人フオン先生が、「トーダ、ベトナム語で話していいから、自分で説明して頂戴ね。」と投げてよこした。下手糞な、本当に下手糞なベトナム語で、申し訳ないないなあ思いながら、僕はフオンに時折助け舟を頼みながら必死で、何とかベトナム語で話をして行脚を続けたのである。臨床家たちの中には20年前に一緒にポリオ根絶の仕事をした人がいて、僕を覚えている先生がいる。そういう時は本当に懐かしくて、つい甘えて、下手なベトナム語でも気持ちは通じていると思い込んでしまうから困ったものだ。

20年前、カントー県は、ポリオ根絶の大きなネックだった。多くの人たちが大きなボートで暮らしをして、家族とともに移動している人たちが山のようにいたのである。このボートで移動する家族の中にいる子供たちがワクチンを受けていない。そこにポリオの患者が多く残っていることを見つけ出した。ポリオ根絶はその子供たちにワクチンを配らないと達成できない。そこで、ボートを使った移動接種チームを何百チームも作ったのである。ボートチームは家族連れで移動するボートに一つ一つ横付けし、乗り込んでは、子供たちにワクチン接種をしていった。そして、ついにメコンに残る最後のポリオウイルスの伝播を根絶したのである。


水上マーケット

今、ボートで移動する家族たちはどうなっているだろう? どうしても今の姿を見てみたくなった。 朝5時に起きて、眩しい日の出の光を受けて賑わう水上マーケットを見に行くことにした。 マーケットに着くと、野菜や果物を一杯に載せた船が数十艘並んで、忙しそうに荷を移し替えては積みこんでいる。確かに水上マーケットの活気はある。ただそれはまったく昔の比じゃないのである。以前は何百艘も並んでいた。当時、川はまさに物流の中心となっていたのである。まさに様変わりだ。よく周りを見ると、驚くことに観光用の船のほうの数が多く見えてきた。

小さな子供を乗せている船を十艘ほど見つけて、こちらの船をそばにつけて大声で呼びかけ、母親にポリオのワクチンを接種したかどうか聞いてみた。8人の子供のうち、4人は受けていない、2人はわからないという。どうもやっぱり受けていない子はいるのである。が、それにしてもボートで移動する家族は本当に少なくなったのだろうと思い知らされた。

変わらぬメコンの暮らし

水上マーケットの家族
それもそのはずである。これだけメコンの道路が整備されているのであるから物流は完全に陸路になったのである。メコンを縦横無尽に走る運河の横には、いまや舗装されたまっすぐな道が伸びて、街灯が立ち、ガードレールまであるのである。 一方、道路が整備されても、街灯ができても、ワクチンを受けていない子供たちはやっぱりいる。しかも、人の移動が早く、スムーズになった分、皮肉なことにウイルスも人とともに、早くスムーズに運ばれていくのである。カントーはまさにその点でも今も変わらぬメコンデルタの中心の大事な場所なのである。 僕のデルタの旅はまだ続く。

活気のある水上マーケット


無明舎Top ◆ んだんだ劇場目次