んだんだ劇場2012年4月号 vol.159
遠田耕平

No121 オヤジ、大いにしょげる。これぞ、コクサーイ保健!

我が家の運転手ドゥック君の門出

ドゥック君の結婚式にお呼ばれしたので日曜日のお昼に女房と行ってきた。 ドゥック君に教えてもらった住所に行くと、狭いビルの中で丸テーブルを囲んで人がひしめいている。座れと言われるままに座ったのだが、どうも知っている顔がいない。どんどん目の前に食事も運ばれてくるし、さらに不安になってきた。仕方がない、食べるか、と思ったところに英語の話せる人が「お宅は、隣りのお寺でやっている結婚式じゃないですか?」と言われた。食べはじめないでよかった。。。 周りの人たちに謝って、隣りのお寺に行くと、境内を貸し切って、披露宴をやっている。めかし込んだドゥック君がすぐに僕らを見つけて駆け寄って来てくれた。 

紹介が遅れたが、ドゥック君は我が家の運転手さんである。歳は29歳、僕らの子供の歳である。少しはにかみ屋で、実直で、真面目、清潔でおしゃれで、いまどきの青年である。
 
僕の住まいはハノイの少しはずれにあるため、街の中心にあるオフィスまで車で30−40分もかかる。初めは自転車で通うつもりでいたが、連日バイクの事故を目撃し、車とバイクがぶつかるようにひしめき合う道路事情を見て、すぐさま諦めた。もちろん車の運転も。。。バスの便は極めて悪く、他に交通手段がないため、日本と比べると値段の安いタクシーを使う。この運転がまた乱暴極まりない。さらに料金をだます運転手も多い。僕は多少ベトナム語が話せるのでだまされることはないが、話まくる運転手の餌食になる。さらに彼らは運転中に自分の携帯で大声でおしゃべりをし、お客なんかお構いなし、目的地に着く頃には客ほうがグッタリ。。。

一年近くそのタクシー通いをして、ほとほと疲れ果てた頃にやっと同僚からオフィスで以前に使っていた96年式の中古のトヨタランドクルーザーを買った。 ついでに彼が使っていた運転手も引き受けたのだか、これがひどかった。運転はうまく、それなりに英語を話すのでいいだろうと思ったのだが、寝坊する、休む、やる気がないの三拍子。一番不思議だったのはガソリンがすぐなくなってしまうことだ。給油量と走行距離を記録させて計算してみると、リッター5キロも走らない。ひどい車だなあと嘆くと、「ひどい車ですよ。」と言う。 2,3ヶ月すると、その運転手、朝起きれないから辞めたいと言い出した。仕方がない。それからまた必死で運転手探しだ。オフィスで一番信頼しているドライバーから紹介されたのが若いドゥック君だ。彼の甥っ子だった。 ドゥック君が運転して、走行距離を測ってみるとなんとリッター10キロも走っている。 やられた。。。 

運転手の経験もなく、若すぎて大丈夫だろうか?と少し不安だった。しかし、ドゥックの誠実さと、生真面目さはその不安を見事に払拭した。そのドゥック君、或る日、勉強中の英語で、「給料を減らしてもいいですから、数日休みをください。」と言う。こんなことを言うのは初めてだ。どうしたのか訊くと、婚約をしたからだという。ベトナムでは引き出物を用意して結構派手に婚約式を両家でそれぞれやる。「それはおめでたい。で、相手は?」とつっこむと、二つ年下の女性で保育園の先生だという。ハノイから100キロ以上離れたイエンバイ県の出身でお父さんはお医者さん、お母さんは看護婦さん。良縁らしい。彼がお休みの間、再び僕はタクシーの世界に戻ったのだが、ドゥックが戻ってくれると思えば多少の不便も苦ではない。相手はどんな人だろう?優しいドゥックだからきっと優しい人を選んだろうなあ、と、勝手に妄想。

結婚式場で忙しく走り回りながらも幸せそうなドゥックの隣りに化粧バッチリの新婦を発見。 強そうでしっかりものの典型的なベトナム美人だ。ああ、これで優しいドゥックが尻に敷かれるのは火を見るより明らか。「早く帰れって言われたので、帰らしてもらいまーす。」なんて毎日言われたら困っちゃうなあと、でも、男はもう女のものなのである。 気が強いので、姑(ドゥックのお母さん)からもう嫌われている?ってオフィスの秘書が教えてくれた。。。え、なんで知っているの? ご心配なく。ドゥック君は今日も真面目に変わらず働いてくれていますよ。ありがたーい。
ドゥック君とお嫁さん
ドゥック君とお嫁さんのご両親

オヤジ、大いにしょげる。 これぞ、コクサーイ保健!

「思うように行かない時は、いい時だよ。あとで振り返れば実はいい時なんだ。だから君たち大事にその時を味わってね。」なんて。、これは僕が悩める若者たちにかける励ましの言葉である。 「何が味わってだよ。うまく行かない真っ只中にいる自分が味わえる余裕なんてがあるかっつーの。」これは、今日の僕が僕に吐き出している言葉である。 

ああ、まったくうまくいかない。僕自身がまったくうまく行かないのである。 この2年半、過去も入れると6年以上この国のことを想い、自分も省みず、(省みないくらい。。)一生懸命にやっているつもりなのだが、うまくいかない。  この一ヶ月以上もずっと会議やワークショップ、外からのコンサルタントの世話などで、フィールドで仕事ができないでいた。これはフィールド好きで、フィールドからしか物事を理解できない不器用な僕には実にストレスである。フィールドに出て、麻疹や風疹、脳炎の子どもたちを追跡したい。保健所を訪ねて歩きたい。僕がまた訪ねていないフィールドをもっともっと知りたい。僕にはまだ知らないベトナムが北部にも中部にも高地にもいっぱいある。 僕はそのことをハノイに着任してからずっと保健省のカウンターパートに話してきた。 が、彼らはにやりと笑って、プイと横を向く。あまり興味を示さない。外の人間がいろいろと意見するのを嫌うのはわかる。だがベトナムでの経験の長い僕に対しても同じ態度をする。WHOの医者はオフィスにいて、会議に出て、予算を流して、頼んだ時だけなんとかしてくれたらいいんだよという感じが漂う。患者発生の報告(サーベイランス)や患者の調査、解析はWHOに言われたから仕方なくやるだけで、大事なのは年末のレポートでいい数字が出ればいいんだという感じ。 麻疹の流行も風疹の流行も脳炎の実態も、興味はないという感じに見えてくる。彼らの心配は、病院への対応で、臨床医の批判を受けないようにすること。トーダが下手に動いて、かき回されては困るという感じ。政府のやることには全く問題ありませんよ、という完璧な役人主義。

僕がすでにベトナムで長く働いた経験があることも彼らには歓迎されない要素のようだ。僕がフィールドが好きなことは彼らもよく知っているが、面倒くさいのである。僕の行動に監視をつけようとしているのかもしれない。今回、やっと一週間フィールドで働ける時間が出来たので、麻疹の患者の追跡調査をしたいと、2週間以上前から責任者に話をし、現場の保健省の責任者の了承も得て、言われる通りに必要な書類を全て提出し、WHOオフィス内での複雑な承認も経て、飛行機のチケット、宿、車の手配までした、その出発直前の昨日。突然電話一本で「行けなくなりましたよ。」とドタキャン宣告。パッキングもし、すっかり行く準備をしていた僕の頭は瞬く間に沸騰してピーっと湯気が立つ。それでも、沸騰したお湯を相手にかけるわけにいかないし、、、辛い立場。

保健省の責任者のカウンターパートに、僕は真っ赤な顔をしながら会いに行った。必死で言葉を荒げないように、なんでこうなったのかを説明してもらう。 彼も、普段よりひどく顔がこわばり、息をハーハーさせながら、いろいろ言い訳をする。どうやら、彼も申し訳ないことをしたと少し思っているらしい。彼のすぐ下の部下(僕とのコミュニケーションが最も悪い女性スタッフ)が、自分の独断で、時間的余裕が少ないということでレターを勝手に破棄したらしい。もちろん彼は自分の部下をかばう。逆に僕の秘書の連絡が悪いということにされた。 そして、僕はもちろんそれ以上に責めることは出来ないのである。ああ、よそ者の辛さ。沸騰した煮え湯は僕が自分でかぶるしかないのである。ああ、アチチチ。。。。

「こんな思いをしても、あなたは本当に途上国でなんか働きたいですか? 20年以上働いていてもこんなもんなんですよ。」と、だれかれともなく言ってやりたくなる。日本では国際保健学科を標榜する大学も教授も増えているらしいが、わかっているのかなあ? 僕にすれば、国際なんてせいぜい、"コクサーイ"だ。この臭さを嗅ぎ分けたことのある人、この自己不完結性と他者依存性の情けなーい泥沼を味わったものにしかその辺の領域の話題を共有することは到底無理に感じるのです。

ああ、思えばただフィールドに一回行けなくなっただけのことかもしれない。でも、僕には一番応える「いじめ」である。これまでも実は、彼らの意向でフィールド行きが中止されることは何度かあった。それでもこの2年半、彼らをサポートする中で彼らとの関係も深まり、もう大丈夫だと思った矢先だった。 2ヶ月前から若く優秀な小児科医のT先生が仕事を手伝ってくれているのであるが、彼女には未だに本当のフィールドの仕事を見せてあげられないでいる。 申し訳ないなあ。こんな世界しか僕は若者に見せていないのだ。いいのかなこれで?

やりたいことをやらせない。考えたいことを考えさせないほど、人間に辛い仕打ちはないかもしれない。人間の思考の向かう自由な方向をことごとく遮るとどうなるか。特に僕のような不器用で、動いてみないと考えが形として見えてこないような人間にはとても困る。 そんな人間をいじめるのは簡単である。僕は、いとも簡単にしょげ返るのである。来月56歳ですよ。この歳でしょげてるオヤジなんてなんともさまにならない絵である。 つまり他人にはそんなことをしてはいけません、ということです。

僕のやっている仕事の根本的、構造的な問題は、自分ひとりではまったく仕事が完結しないことである。つまり、フィールドでは、病院を訪ねようが、保健所に行こうが、村に行って患者の家を訪ねようが、絶えず現地スタッフの介在とサポートが絶対必須条件であるということだ。自己不完結。一人ではまったく何も出来ないのである。なんと他者に依存し、なんと他者に助けられる仕事であろうか。完全他者依存。これを仕事と呼べるだろうか。うーん、わからなくなる。 思えば20年前のベトナムから始まって、インド、バングラ、ネパール、ミャンマー、カンボジア、いずれの地でも素晴らしい現地のスタッフたちによって見事に支えられたのである。 彼らの顔が今僕の目の前にまるで走馬灯のように流れていく。僕の仕事のように見えるものは、全て他者である彼らの力そのものなのである。  

それじゃ、今ここでは他者が助けてくれないかというと、実は全くそうではないのである。ドゥック君をはじめ、オフィス、あの気難しい保健省のスタッフに至るまでも、ほとんどの人たちは、なんとか助けてくれているのである。つまり、僕のお話のつたない結論は、
「こんなことくらいでめげるんじゃないよ。」ということなのです。
「しょげるんじゃないよ。オヤジ、いい歳をして。」ということなのです。 ああ、ただ今日だけは布団を頭から被って、思いっきりしょげたいオヤジなのです。すみません、こんな情けない僕で。。。。。

本当に君はこんな情けなーいオヤジのやっているコクサーイ保健をやりたいの?  やりたくないよな。やりたいわけがない。 でもでも、これぞコクサーイ保健! 覚えていてね。


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