んだんだ劇場2012年3月号 vol.158
遠田耕平

No120 選べなかった子供たち

先月号の話を引きずって、小学校の頃に勝手にいなくなってしまった父親をそろそろ探そうかなんて話しをした。 思えば、実は今この瞬間、この時に、この地球上のいたるところで、世界中で、何千、いや何万、いや何十万、いや何百万もの現役の子供たちと、もと子供の大人たちが、自分の親を探しているのだと改めて気づいたのである。 つまりは、それほど珍しいことでも、取り立ててお話しするほどの出来事でもないのかもしれないと気づいたのである。 いかなる理由があるにせよ、親が誰だかわからない、親がどうなっているのかわからないという人間は意外に多く存在しているのだと思うのである。

今この瞬間にも、戦争や災害などの不可抗力で突然に親から引き離される子供たちがいる。 平和な生活の中でも、自分が知らないだけで、親だと思っている人が実は親でない場合もあるだろう。 一分間に何百件も離婚しているという時代だから、自分の目の前で一方の親から引き離されたり、一方の親が出て行く場合もあるだろう。 他人の精子や卵子をもらって妊娠する時代だから、そんな子供も、もちろん合法的に増えることになる。

いずれにしても、僕がはっきりと感じるのは、いかなる理由でも親を見失ったその子供たちは、きっと人生のどこかで、いつか本当の親を探す旅をすることになるんじゃないかな、という確かな予感だ。 なんでそんなことをするのかというと、それがどうも得体の知れない「血縁」というやつらしい。 隠くれても、逃げても、知らんふりをしても、悲しいかな自分の体の中を流れる血だけは置き換えることが出来ない。 自分の中にはいったいどんな血が流れているのか、どんな人間の、どんな野郎?の血が流れているのか。そして、そいつはいったいどんな人生の終わりを遂げたのか。 気になるのである。 それが、もしかすると、考えたくもないけど、自分そのものかもしれないと、気づいても。。。

「血縁」、人類の20万年の歴史の流れの中で、僕の遺伝子はDNAだろうが、ミトコンドリアだろうが、とにかく綿々と引き継がれてきた。その中には、どうしようもない奴もいただろうし、悪魔のように悪い奴もいただろう、人殺しもいたかもしれない。天使のように純粋な人もいただろうし、愛すべき人もいただろう。ガラス細工のように繊細で脆い人もいただろう。僕が知りえるのはわずかに親と祖父の代の3世代前くらいまでである。ただ僕の中には何万と継代してきた世代のかけらがある。僕に偶然にも血を引き継ぐことになった親といわれるその人はどんな人間なんだろうか気になる。

ああ、この瞬間にも、親を探している僕の仲間たちが世界で蠢いている。そう思うとなぜか、いとおしくて寝付かれなくなる。 自分を探す旅の途中の何十万、何百万という親を見失った子供たち、もと子供たちが、今もあなたと道ですれ違っているかもしれません。お気づきになったら、どうかそっと、いつか彼らの旅が終わるように祈って、後姿を見送ってやってください。


選べない人生を生きる。


僕らは生まれてくる国も土地も、親も、選べない。たまたま日本で、たまたま日本人で、たまたまそこの男女の間に生まれたに過ぎない。生を受けたその瞬間から、まるで母の産道から連続するように、そこから延びて行く遥かな道がある。僕らは、その道を歩いて生きていく。生きていく過程で、一見、僕らの意志で選んでいるように見えるものは、実は何一つ自分では選んではいないのじゃないかと思えてくる。 その意味では、親を知らない子供たちもその状況を選べなかった。ただ、それだけのことである。


先天性風疹症候群の子供たち、その後


その意味では先天性風疹症候群の子供たちもやっぱり選べなかった。 母親がたまたま子供の頃に風疹に罹らないでいて、たまたま妊娠初期3ヶ月までに風疹(三日はしか)に罹った。ウイルスは確実に胎盤を通過し、器官を形成し始めた胎児を侵した。 産まれてくる子供は心臓、目、耳、諸器官に先天異常を持ったまま、生きることになる。選べなかった子供たち。

ベトナムでは一昨年から去年にかけて歴史的な風疹の大流行があったことは以前ここでもご紹介した。 その影響で、ベトナムでは先天性風疹症候群の赤ちゃんが昨年から歴史的な数で生まれ続けている。 その実態を知るために、先天性風疹症候群疑いの赤ちゃんを報告してもらうシステムを新たに作り、去年暮れから、ハノイの国立小児病院、ホーチミン市の第一、第二小児病院の3大小児病院の新生児科で運用を始めた。 運用2ヶ月の実態を見るために2月初めにハノイとホーチミンの病院を訪ねた。 今日現在すでに150件以上の報告が届けられ、その80%以上は血清の検査から先天性風疹症候群と確定診断されている。

ハノイの国立小児病院では3人の若い女医さんが報告を手伝ってくれている。昨年の後半は二つの病室が先天性風疹症候群の子供で一杯なるほどの数だったという。今は少し減ったがまだまだ入院してくる。ふとその女医さんのおなかを見ると妊娠していると気がついた。 去年はたくさんの女医さんが病院で感染して自ら人工流産をした。 その女医さんのお腹の子供が無事であることを祈っている。


ホーチミン市の第一、第二小児病院には、先天性風疹症候群の子供たちがまだ多く入院している。 退院もできないで死んでいく子供たちもいる。 親に捨てられて、病院に置き去りにされていく子たちもいる。 その子を日夜看つづける医師や看護師たちがいる。そして、障害を持った子供が産まれると知っても、わが子を産み、必死で育てる親もいる。そして、その捨てられた子供達を引き取って育てようとしてくれる人たちもいる。 なんと人は選べない人生をこんなにも必死で生きていくんだろう。 なんと人は選べない人生をこんなにも必死で支えあって生きているんだろう。 僕の胸は、自然と熱くなる。生きることの空しさを越えて、生きるものへの、自然な愛おしさで溢れる。 

風疹のワクチンのベトナムへの導入は今真剣に検討され始めた。来年末までには1歳から14歳までの子供たち全てを対象にしたワクチンの全国キャンペーンが検討されている。風疹流行の原因を絶ち、速やかな定期予防接種への導入のためにさらに議論と準備が積み重ねられていく。 それは、まるで選べない人生へのささやかな抵抗、そして選べなかった子供たちへの小さな贈り物ででもあるかのように。 がんばりましょう。
病院に置き去りにされた心疾患のある先天性風疹症候群の赤ちゃん
孤児院のスタッフが置き去りにされた先天性風疹症候群とダウン症の赤ちゃんの世話をしている。


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