んだんだ劇場2012年1月号 vol.156
遠田耕平

No118 うまい酒、そして怖―い女房

新年明けまして、すみません。
12月号をサボってしまいました。 

決して死ぬほど忙しいというわけではなかったのですが、気がつくとひと月が回っている。よく考えると、一年もくるりと一回りしていたというわけでして、、、。そうしてせいぜいあと20回もクルクル回ると我が命も尽きるかと思えば、ああ、短き、怠惰なわが一生。情けなや。

この一年はいろんなことが起こった年だったが、どうもわからないことが多い。何も終わっていないと思っていた原発事故の終結宣言って何? 問題だらけの原発施設の海外輸出ってマジ? 巨大な殺戮と破壊を行ったアメリカのイラク戦争終結宣言って誰に言ったの? 経済システムの中で起こる金融不安はバーチャル? 戦後65年経った今も沖縄に押し付け続ける米軍基地の県内移設はマジ? 結果不透明の事業仕分けのあとの強引な消費税増税って? 自民と民主の違いは何なんだ? 増え続ける国債による借金って誰が払うの? うーん、どうもわからないことが多すぎる。。。。

11月、12月はやたらと会議が多く、まともにフィールドで仕事ができなかったので、がっくり。 ワクチンの国家検定のアジアでのネットワーク作りのための会議がソウルであり、その後WHO の専門家をベトナムに招いて一週間にわたり国内のワクチン製造会社3箇所を査察して回った。 ワクチンの安全性を確保し、安全なワクチンを世界の市場で安価で有効に使ってもらうことがWHOとUNICEFが各国でのワクチンの国家検定を進める背景である。 が、僕のような素人には、検定内容があまりに複雑で、2年かかってやっと門前の小僧となった感じである。ベトナム政府は過去10年にわたってWHOの支援を受けて国家検定作りに努力してきたが、実質的な財政支援はほとんどなかった。しかし、昨年暮れに20年来の僕の旧知であるティエン先生(なかなかの美人)が新しい保健大臣に就任し、僕の前で支援を表明してくれたことは大きな一歩だった。

そのティエン先生と一緒に働いた南部のパスツール研究所で、フランス植民地時代に研究所を作ってから120年の祝賀祭があるというので、女房とホーチミン市を訪ねた。 20年ほど前に家族を連れて4年近く、ポリオ根絶のために働いたパスツール研は僕らには忘れられない場所である。驚くことに、20年経っても、多くのスタッフがまだ僕らのことを覚えていてくれる。さらにたまげたことは当時、所長や室長だった人たちが退職して、80歳を越える今も一人も欠けず、元気に次から次に僕らの前に現れたことである。すごい。日本、フランス、アメリカ、カンボジア、中国との60年以上もの戦争を生き抜いてきた人たちは、どうやら死神と一線を画しているようだ。


落合の流儀

M先生からこんなメールが届いた。「サルトルを3回目読んでいるのですが、まださっぱりわかりません。しかしこの時代の哲学者は実際に脳で行なわれている認識というものを真剣に考えていた事はわかります。どうも僕たちが世界だといっているその世界は自分の脳の中のVertualな世界のようですよ。人間の数だけ世界があることになります。この脳たちが互いにあたかも一つの世界かの如くしているようです。……」

僕も普段から人の数だけ世界があると感じているが、M先生の深い思索から出る言葉はまったく別な力で僕を惹き付ける。 そんな時、ふとNHKのインタビューに出ている落合元中日監督をテレビで見た。

僕は別に彼が好きだというわけじゃない。むしろ、あの鼻持ちならない態度じゃなんだか選手が可哀相だなあと思っていた。それなのに勝つ。なんでだろうなあ? すると開口早々、
「選手はみんな一人一人違う。それぞれが自分の世界を持っている。だから自分で考えないと強くならない。」だから自分で考えろと言っている。もっといえば「自分の世界の中で考えるのを止めるな。」と言っている。「強くなりたいなら、自分の世界で考えて、考えて、考え続けて、それを止めるな。思考を停止するな。」と言っている。

彼が一番頭に来るのは、うまくなったと錯覚して思考を停止する選手だ。彼はこれが一番我慢できない。その例としてあげたのが、ゴールデングラブ賞を取り続ける2塁手の荒木だ。 落合は、荒木の遊撃手(ショート)へ配置換え(井端とのコンバート)することを指示した。ショートへ配置換えすることを突然言われた荒木は、その時落合を恨んだという。守備では何のミスもしていない。名選手の評価も高い、練習をしないでもやり方はもうわかっている。 そこを落合に見抜かれた。 もっと強くなれるのに思考を停止した荒木を見抜いた。そして落合がやったのはショートへの配置転換である。荒木は仕方なく新たなポジションで一から練習をしなおす。そして、練習をサボってきた自分に気づく、つまり「自覚する」のである。その後、彼は低調だった打撃ももどってくる。 そして荒木は再び自分の世界で強くなる思考を始める。 弱点を自覚する時、自らは強くなる。落合はただそれを自覚させてやっただけである。

落合監督は選手一人一人をベンチからただじっと見ている。選手一人一人の世界を感じようとする。そして一人一人が自覚し、強くなろうとする思考を読み取ろうとしている。 監督の仕事は、一人一人の世界に向き合うように選手に気づかせるだけである。 あとは何も言わない。何もしない。 彼が、この選手はダメだなと感じる時がある。それは、マウンドに立っても、ブルペンを気にし、ベンチの監督の顔色をうかがう奴だと言う。自分の世界と向き合うのを止めたらもう何もなくなるとでも言っているかのようだ。

落合は仲良しチームなんてどうでもいいと思っている。もっと言えばチームワークなんかは付随的なものなのである。8年間中日の監督をやって4回しかリーグ優勝できなかったのが残念だともらす。彼の頭の中では8回優勝できたと鼻持ちならない言い方で付け加える。その意味は明快だ。 選手一人一人が自分の世界で自分と向き合い、考えることを止めず、弱さを自覚し、強くなる工夫を続ければ負ける訳がないと言っているのである。 中日の練習量はどこの球団よりも多い。これは監督にやらされているのではなくて、選手一人一人が自分で決めてやっているらしい。

かくて僕の中での落合監督の株はかなり上昇したのである。選手を育てる一つの理論をそこに見た感じだ。落合自身がそうして成長してきたのだろう。が、それでも、好きになった訳ではない。この監督の下で働いたら疲れるだろうなあと感じる。どうしてそう感じるのかなあと思って、女房に聞くと、女房曰く、
「落合監督はやっぱり虫が好かないわ。」と一蹴。 確かに的確な表現。
つまり、皆がみんな、自分を見つめ、自分の世界を持ち、能力を高められるというわけじゃないわよ、という。わかっていても思うように能力が発揮できない人もいれば、努力をしようとしても、なんともうまく出来ない人もいる。そういう人がいる、多分たくさんいるのがわかっていないから"虫が好かない"。なるほど。。。選手を育てるには別のアプローチもあるのだろう。寄り添うように支えるようなアプローチもある。抱き合ったり、激励したり、一緒に泣いたりしながら育てる方法もある。 

落合の流儀がいつも通用するわけではないということ自体も、一人一人が認識する世界が一つ一つ異なるという現れであるのかもしれない。 女房の世界はどうやら随分と違うようだ。 ただ、一つ言えることは、落合は一人一人が認識する一つ一つの個別な世界が存在することを明確に自覚しているということだ。この点で彼は他者を明確に認識する。世界は一つじゃない。人の数だけある。 だから訳のわからない根性とか、辛抱とか、しごきなんていうのが大嫌いだったんだろうなあ。 でも、世の中の人がみんな落合みたいだったら大変だわと、女房は思っている。もっと言えば、
「世の中がみんなあんたみたいだったら大変なのと同じことよ。」と言いたかったのかな? とすると、虫が好かないのは僕?・・・・。



うまい酒、そして怖―い女房

クリスマスの東京で連日飲んだくれた。 特にNGOの「シェア」を主催するH先生(本田徹先生のことである。あ、言っちゃった…。)と二人、刺しで日本酒を心いくまで飲んだのは何よりも楽しかった。本田先生のことは、ここで、気仙沼に行ってお世話になった保健師さんたちのくだりでも紹介したので覚えておられる読者もいると思います。新宿の東口の高野の前で待ち合わせをしたのであるが、二人ともフルーツパーラーだと思っていたところは今やグッチか何かの高級ファッションのお店で、待ち合わせ場所を間違えたと思った。すると突然、闇の中からアフガンの帽子をかぶって現れた小柄のちょび髭オヤジが、わが尊敬する本田先生だ。高級ファッションの店の前で、ぱっと見ると一瞬ホームレスのおじさんのような風体だが、アフガンの部族長か長老のようにも見える。会うなり抱き合って再会を喜ぶ。 この辺もすでに日本的でない。

飲み屋に入るなり、並々と注がれた冷酒のコップを2杯をあっという間に飲み干して、話は先日デヴィッドワーナー氏(名著"Where there is no doctor"の作者)を連れてアフガンに行ったくだりから始まる。そこで彼の旧知のアフガンの医師から巨大な卵巣のう腫の診断の22歳の女性と面会し、日本でパッと手術してアフガンに帰してくれないかと頼まれる。 手術は難しいものではないし、未来のある若い女性だし、2週間で帰すことで、引き受けた。 数日前に日本に到着したその女性を本田先生は知人の病院に入院させ術前検査をしてみると、なんと卵巣のう腫ではない。脊椎カリエス、つまり脊椎の結核で、脊椎が腰から胸の背骨の一部が溶けてなくなっている。(坂の上の雲にでてくる正岡子規も脊椎カリエスでした。)よく麻痺症状が出ていないと思うのだが、なんとか動けているらしい。さらに結核の膿がどっぷりと腎臓の周りにまで溜まっているのである。その卵巣と癒着した結核の膿の溜まりを卵巣のう腫と見誤ったらしい。

本田先生は頭を抱えた。シェアの仕事ではない、自分が個人的に引き受けた患者だ。しかし、このまま返すわけには行かない。どうしたものか。手術は困難を極める。術後も6ヶ月は絶対安静、リハビリで一年はかかるだろう。自費では一千万以上の治療費がかかるかもしれない。結核菌を排菌していないので、結核予防法の緊急入院の対象にはならない。ビザも格安チケットの期限もすぐに切れる。なんかの縁だ。頭のいい優秀な女性だという。ただ体が弱いために十分働けなかった。 このまま返せば、寝たきりになり、命も危ないのは見えている。彼は悩む。 冷酒を次々に飲み干しながら知人たちと連絡を取り、僕と話しながら、なんとか方策を考えている。 その先生を見ながら僕は申し訳ないが久しぶりに熱い感情に包まれ、うまい酒を飲んだ。 

僕よりもはるかに先輩の熟練の臨床医の先生が一人のアフガンの女性の患者のために心を砕き、頭を掻きむしっている。この不器用さこそ、僕が尊敬する先生で、僕の考えている医者の姿である。不器用な医者になりたい。 本田先生は僕に真直ぐそう感じさせてくれる。


うまい酒に酔いつぶれながら新幹線に乗って、雪深い秋田に帰った。 今年の秋田は雪が多い。 秋田に一足先に帰って、連日雪かきでへとへとになっている女房の機嫌がすこぶる悪い。そりゃ悪いだろうなあ。頼りの旦那は東京で飲んだくれていたのだから。そこに間が悪いことに、秋田に戻るなりすぐさまスキー仲間からのお誘い。(いや本当は僕から誘ったのだけど。。) ご機嫌取りに、家の周りの雪かきに外に出たところ、お向かいの腰の曲がったおばあちゃんが凍って硬くなった雪に悪戦苦闘している。ついおばあちゃんの手伝いをしているうちに汗だくになっておばあちゃんの家の前の雪かきを全部やってしまった。 気がついたら自分の家の雪かきが中途半端。。。、でも、もう疲れて動けない。ああ情けない。。結局自分の家の雪かきは途中で止めた。夜になるともっと情けない。なんと腰が痛くなってうまく体が動かない。 それでも腰をさすりながら、翌朝のスキーのために、ボロスキーにワックスをかけていると、僕を横目に女房がつぶやいた。 
「あんたはやっぱり雪かきと縁のない南国で、すっ裸で暮らしているのがお似合いよねえ。アッハハハ…。」
顔は笑っていない。。。。。。。寒くてこわーい秋田です。

みなさま、今年もよいお年を。


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