んだんだ劇場2012年9月号 vol.164
No97
夏野菜真っ盛り

スモモが実った
 今年はなんだか、変な夏だ。梅雨の間は涼しい北風の吹くことが多かった。梅雨明けとともに猛暑となったが、春以来の積算温度が足りないらしく、我が家の畑の作物は成長が遅い。
 そんな中で、2年ぶりにスモモを食べた。2年前の冬、父親がめったやたらに枝を剪定したせいで、スモモは昨年、枝を伸ばしただけで実をつけなかった。今年は寒い梅雨の間に落ちた実が多かったものの、なんとか30個ほどが熟した。大粒で、木で熟したものは、やはりうまい。

2年ぶりに食べたスモモ
 スモモの木は10年ほど前にかみさんが植えた。実をつけ始めたのは5年くらい前からだろうか。その隣には、アンズ(杏)の木が2本ある。これも、同じ時にかみさんが植えた。が、こちらは、どんどん木は大きくなり、花もたくさん咲かせるのに、実ったことがない。開花時期に飛ぶハチが少なくて、うまく受粉しないのだろうか。父親の剪定で、たくさんの小枝が出てきて風通しも悪そうだ。今度の冬には小枝を間引きし、春に花が咲いたら人工授粉してみよう。果樹はなにかと手間がかかるが、実れば、野菜とは違ったうれしさがある。

胡瓜の白い粉
 胡瓜は今年、私が好きな品種、「四葉(スーヨウ)胡瓜」のタネをまいた。細長く育ち、表面がごつごつしていて、握ると痛いほどのキュウリである。

細長く育った四葉胡瓜

ごつごつした四葉胡瓜の表面
 さて、胡瓜の表面をアップした写真に注目してほしい。全体的に白い粉で覆われているのが見てとれるだろうか。この白い粉は「ブルーム」という。科学的にはケイ酸で、暑い日差しから身を守るために、胡瓜自身が噴き出す防護幕なのである。四葉胡瓜に限らず、昔はどんな胡瓜でも「ブルーム」がついていた。それが新鮮な証拠だからと、農家では胡瓜の両端を持って、粉がはがれないように収穫していた。
 でも、今、スーパーで売っている胡瓜に、こんな白い粉はない。緑色が鮮やかで、テカテカした胡瓜ばかりだ。「ブルームレス」(ブルームのない)胡瓜という。これは30年ほど前、奈良県でスイカの台木として栽培したカボチャの苗が大量に余ったことがあり、捨てるのはもったいないからと胡瓜を接ぎ木したら、粉を噴かない胡瓜になったという偶然の産物である。これで農家は、収穫が楽になった。白い粉に気遣うことなく、すぐに「ツヤツヤの緑」状態で出荷できる。「白い粉は農薬じゃないの?」と疑った消費者も多かったようで、洗った胡瓜が歓迎された。今、市場の99%は「ブルームレス」だ。
 では、味も「ブルームレス」が上か、というとそうではない。「ブルーム」を失った代わりに、「ブルームレス胡瓜」は日差しを防ぐために自らの皮を厚くしたのである。"面の皮が厚い"やつに、ろくなやつはいない。歴史ある漬物屋さんの中には、わざわざ「ブルーム胡瓜」を契約栽培農家から仕入れている店もある。「塩のなじみ具合が違う」という。「ブルームレス胡瓜」は皮が厚いので、塩が浸透しにくいのだ。
 昔ながらの「ブルーム胡瓜」を作るのは簡単で、接ぎ木の苗ではなく、タネから育てればいいだけだ。家庭菜園なら、収穫の気づかいなど不要だから、適当に育った胡瓜をひょいひょいと収穫して、もりもり食べている。

畑でもぎとったトマトは、うまい!
 7月下旬から、胡瓜だけでなくトマトもどんどん収穫できるようになった。トマトは4種類、かみさんが選んで苗を植えた。ミニトマトは赤と黄色、大きなトマトは「桃太郎」と……もうひとつの品種名は忘れた。
 かみさんは今年、トマトの「3本仕立て・5段づくり」に挑戦している。トマトは次々にわき芽を出す植物で、ほったらかしておくとわき芽がそれぞれどんどん伸びて、全体ではジャングルのようになる。主軸とわき芽を2本選んで育てるのが「3本仕立て」。それ以上のわき芽は見つけたら摘み取る。そして、下の枝から花芽が育ち、トマトが実るのを5段まで育てるのが「5段づくり」である。1段ずつ、上に花芽が出てくるのに合わせて、私が支柱を添えてやっている。

鈴なりのミニトマ

桃太郎が実った
 ミニトマトは、育てやすい。が、大きなトマトはうっかりすると、急に育って実が割れてしまうこともあって、毎日、様子を見なければならない。しかも今年、かみさんは、素人には栽培が難しいと言われていた「桃太郎」の苗を植えた。
 京都に本社のあるタキイ種苗が、トマトの新品種「桃太郎」を発表したのは1985(昭和60)年である。そのころ、日本のトマトは「まずい」と評判が悪かった。当時、農家では、八百屋の店頭で赤くなるよう見計らって青いうちに収穫していた。完熟させてから出荷すると、消費者の手に届くころにはへたって、最悪、腐敗しかねないのである。青いうちにもいだトマトがおいしいわけがない。
 そこへ、「完熟してから収穫しても、形が崩れない桃太郎」が登場した。しかけは簡単で、キョトキョトしたタネのゼリーを取り囲む壁を厚く、硬くしたのである。新品種誕生まではもちろん多くの困難があったが、目標がはっきりしていた品種改良だった。
 「桃太郎」は大ヒットした。それまでのトマトに比べて、消費者に届いた段階で格段にうまくなったからだ。
 その肥育試験を担当した千葉県の農家を私が訪ねたのは、1990年ごろだったと思う。評判のトマトは、どのように栽培されているのかを知りたかった。そこで聞いたのは、「品種の特性を十分に出すには、けっこう管理の難しいトマトですよ」という話だった。
 それでタキイ種苗ではその後、「桃太郎8」、「桃太郎ヨーク」、「桃太郎サニー」など、まるで「ウルトラマン太郎」とか、「ウルトラセブン」とかウルトラマンの家族のように命名した改良品種を次々に発表した。たいていが、病気に強く、盛夏の時期をずらしても収穫できる、栽培しやすい品種である。タキイ種苗のHPで見たら、家庭菜園向けの「ホーム桃太郎」という品種もあった。現在、日本の市場では、「桃太郎ファミリー」が9割を占めているそうだ。
 それはいいのだが、「赤くなってから出荷してもいいのなら、青いうちに収穫すれば流通にもっと時間をかけられる」と、変な"計画出荷"をしている農家もあると、風のうわさに聞いている。それじゃあ、「桃太郎」登場以前と同じじゃないか。
 かみさんの植えた苗が、どんな品種の「桃太郎」かわからないけれど、畑で熟したトマトは間違いなく、うまい。自分で栽培している「ごほうび」の味だ。

胡瓜で簡単料理3品
 8月4日の土曜日、弟夫婦が、昨年暮れに他界した父親の新盆の打ち合わせに来てくれた。帰る時に胡瓜、トマト、茄子、オクラなどを収穫して、お土産に手渡した。8月になってから、毎日、これくらいの野菜は収穫できる。

8月4日の収穫
 NEXCO中日本(中日本高速道路)広報部にいて社内報を編集していたころ、「単身赴任者のための料理教室」を3年以上連載していたが、生で食べられる胡瓜は手軽な食材だった。例えば2007年の夏には、「キュウリで2品+1品」を書いた。

「キュウリで2品+1品」の材料
 材料は胡瓜、トマト、味付きクラゲ(たいていのスーパーで売っている)、鶏皮の焼き鳥、はるさめ、それに醤油とわさび。
 まず、胡瓜をせん切りにする。斜めに薄切りにして、端から切っていくだけだから、不器用な人でも落ち着いてやればできる。できあがりは不ぞろいでもかまわない。

胡瓜を斜めに切る

さらにせん切りに

できあがりは不ぞろいでもかまわない

鶏皮もせん切りに
 さて1品目は、せん切りの胡瓜と、味付きクラゲを混ぜるだけ。クラゲに塩味があるので、混ぜ合わせてしばらく置くと、胡瓜がしんなりして来る。味が物足りないとおもったら、酢をかけるといい。さっぱりした、まさに夏の味だ。
 2品目は、せん切りの胡瓜と鶏皮をざっと混ぜ、上に「多いかな」と思うくらいにわさびを乗せ、醤油をかけて、食べる直前に思いっきり全体をかき混ぜるというだけ。わさびが鼻にツンと抜けて、胡瓜がシャキシャキして、それに鶏皮が不思議なコクを与えてくれる。そのハーモニーが口中に残っているうちに流し込む冷や酒が、うまい。
 これは昔、2年半ほど住んだ東急東横線・新丸子駅前の、釜めしが看板の居酒屋の人気メニューだ。本来は生の鶏皮をゆでて、刻むのだが、単身赴任者では面倒だろうから、スーパーでも売っている鶏皮の焼き鳥を材料にした。
 これで「2品」。「+1品」は、胡瓜とクラゲだけでは芸がないので、これにはるさめを混ぜ合わせ、周囲にスライスしたトマトをあしらってみた。来客にも出せる盛り付けにした。これだけ材料の分量が増えると、味付けクラゲだけでは全体の味をカバーしきれないので、取り分けてから中華味のドレッシングを適宜かけるといい。

簡単な胡瓜料理のできあがり
 どれも簡単料理だけれど、もりもり食べられる。夏の家庭菜園は同じ野菜が大量に収穫できるので、「もりもり食べられる」のが料理のポイント。食べきれなくて捨てるようなことは、したくないからね。

レイ・ブラッドベリ死す
 また1人、私にとって大事な人が亡くなった。アメリカのSF作家、レイ・ブラッドベリである。6月5日に91歳で没したと、新聞で知った。私はなんだか、心の中に穴があいたような気がした。
 私が小学生の頃は、SF(サイエンスフィクション)という言葉はあまり一般的ではなく、子供向けに翻訳された『海底二万マイル』(ジュール・ヴェルヌ)とか、『モロー博士の島』(H・G・ウェルズ)などは「空想科学小説」と呼ばれていた。
 中学生になって、食人植物が人類を危機に陥れる『トリフィド時代』(ジョン・ウィンダム)を読み、SFという言葉を知った。早川書房から出ていた「SFマガジン」を毎月買うようになり、アーサー・C・クラーク、ロバート・A・ハインライン、アイザック・アシモフ、フレドリック・ブラウンらの作家を知った。「SFマガジン」の裏表紙には毎回、星新一のショートショートが載っていて、筒井康隆、光瀬龍、小松左京、眉村卓など日本のSF草創期の作家たちが目次に名を連ねていた。
 とにかく、面白かった。SFという小説ジャンル自体が、若々しい力に満ちていたからだろう。
 しかしブラッドベリは、そうしたSFとはまったく違っていた。
 最初に読んだのは『刺青の男』(原題はThe Illustrated Man)だった。旅の途中で野宿することになった男が、体中に刺青をした男に出会うプロローグと、その男が眠っている間に逃げ出すエピローグにはさまれた、18篇の短編集である。
 男の刺青は、その一つを見つめていると動き出し、小さな物語になる。宇宙旅行が日常的になった未来世界を舞台にしているにもかかわらず幻想的であり、家族愛や少年の心理をテーマに、現代の人間を洞察した話ばかりだった。
 それを読んだのは中学3年生だったが、今回、ブラッドベリの死を知って読み返した。目次には、気に入った小説に●印がつけてあり、中でも「万華鏡」、「ロケット」の2篇は赤鉛筆で題名を囲んであった。当時の私の評価である。が、読み返して、それから45年経っているのに、赤鉛筆の2篇には、やはり感動した。
 だからと言って、すぐブラッドベリの大ファンになったわけでもなく、彼の代表作『火星年代記』を読んだのは高校1年のときだ。これでブラッドベリに夢中になり、日本で翻訳出版された本はできる限り買い求めて読んだ。英語の原書まで買うようになったのは東京の大学に入ってからだが、それは、故郷の福島市では洋書を買うのが大変だったからだ。が、英語は大嫌いなので、今まで、1冊も原書を読み通したことがないのは情けない。その中の1冊(戯曲)が、いまだに翻訳されていないようなので、私が訳そうかという気持ちは今でもあるのだが……。

本棚にあった30冊を超えるブラッドベリの著作

最初に読んだ『刺青の男』と、その原書
 高校生の時に、アメリカ映画『刺青の男』が公開された。私は日曜日に「映画、見に行ってくる」と家を飛び出そうとしたら、母親に「なんの映画?」ときかれた。「刺青の男」と大声で答え、びっくりした母親に、「お前、やくざ映画を見に行くのかい」と言われた。説明するのが面倒なので、「違うよ」とだけ言って出かけたが、映画はストーリーをなぞるだけのような内容で、ちっとも面白くなかった。
 ブラッドベリの「SF」は、「サイエンス・ファンタジー」だと言われている。読者に豊かな想像力を求める小説であり、映像化は困難なのだろう。そして私に、「文学の香り」を初めて運んで来た作家でもある。
 (6月に「房総半島スローフード日記」を更新できなかったのは、ブラッドベリを何冊か読み返し、どう書こうかと悩んでいるうちに、時間ばかりが経過したからです。すみません)。
(2012年8月15日)


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