んだんだ劇場2012年12月号 vol.167

No78−不況の大先輩−

街を歩くと新しい風が吹いてくる

11月3日 夕方のローカルテレビニュースで「朝ごはんは、ご飯かパンか」という高校生へのインタビューを流していた。農協のコメキャンペーンの一環のようだが、かわいい女高生にけっこうご飯派が多いのは驚いた。でもこれってスポンサー(農協)を意識したTV局側のチョイスなのかも。最後にむさくるしい男の高校生が出てきて、「ハタハタのしょっつる」とぶっきらぼうに答えたのには夕飯を吹き出すほど笑ってしまった。オイオイ、それって昨晩の残りめしだろ。高校生の「本当のことを言ったまで」というふてぶてしさが、無性におかしい。

11月4日 暑いだけで静かだったあの夏の日々に比べると、さすがに秋。来客は多くなり、各地から個展やらイベントの便り、飲み会、出版依頼などが雑多に届くようになった。明日からは2日間東京に出張。ボーっとしているのも嫌いではないが、やっぱり忙しく立ち働いているほうが精神衛生上はいいのかも。昨日は雨の中、朝4時起きで岩手・青森・秋田の3県にまたがる「四角岳・中岳」へ。最初から最後まで雨の中の山行だったが、なぜか不快感はない。アプローチに往復7時間近くかかり、登るのに2時間、このアプローチの長さだけを考えれば、もう行けないかも。いろんなことが一期一会だ。個展もイベントも出版も出会いも飲食も。そんな気分にさせるのも秋のなせるわざか。

11月5日 山を歩くと決まって方向標示板や掲示板がクマに喰い荒されている。クマは人口加工物が好きなの? と、いつも不思議に思っていたのだが、疑問が氷解した。昨日、クマ研究家として有名な広島のMさんが事務所にみえたので訊いてみた。クマは石油の入った揮発系の匂いが大好きでペンキ缶までなめるし、ガソリンの匂いがするチェーンソーを盗んだりするそうだ。木工の防腐用に塗られた塗料に反応していたのだ。人間の腐乱死体の匂いも好きで、ようするに「匂いフェチ」なのだ。そうだったのか。Mさんによれば、昨今のクマ出没はブナの不作と一緒に語られるが、これは疑問で、奥山のミズナラ不作との関連のほうが重要だという。暑さにも弱く川沿いの岩に抱きついて腹を冷やしている光景をよく見かけるから、猛暑の年も里への出没は多くなるそうだ。

11月6日 またまた東京出張だ。この頃はほとんど飛行機を使うことはない。空港は事務所から15分ほどのところにあり、駐車場も1日千円以下と安いのだが、羽田から都心まで遠くて面倒。たっぷり4時間読書ができる電車移動がこのところの定番で、好き。仙台で途中下車して用事を足すこともできるし、仕事をしたり、寝たりも自由。最近は乗客に高齢者が目立つ。ケータイ電話を大声でかけ、不快なマナー違反のほとんどは若者ではなく高齢者。傍若無人という言葉がぴったりだ。本を読んでいる高齢者も少ない。現役のビジネスマンのほうが読書系は多いようだ。年金生活者って大切な社会的緊張がユルユルになってしまうのかもしれないね。

11月7日 青山や新宿の高層ビル街を何度も迷いながらウロウロ。午前中だけで歩数メーターは一万歩を越してしまった。東京ではほとんど神保町を中心に(宿があるため)1時間以内であれば歩く。そのためやたら東京の地理に詳しくなったが、渋谷や新宿といった大都会は無理だ。すぐに迷子になって、ヘロヘロになるまで歩数計のメーターをあげてしまう。歩く速度も自分では普通だと思うのだが、前の人の遅さにイライラ。都会では追い抜くタイミングにもコツがいる。4,5人広がって歩いている女子高生がいると真ん中をかき分けて前に出る。いやみだが、こうでもしないとあのバカたちは自分が他人に迷惑をかけているという意識を持たないまま大人になってしまう。やさしいオジサンのボランティアだ。

11月8日 さすがに秋田に帰ってくるとホッとする。自分のデスクの前で「移動せずに」ほとんどの仕事ができてしまう、この快適さ。ここが自分の仕事と暮しの中心だ。東京では喫茶店でも飲み屋でも本屋でも駅中でも、どこも満杯で人がはみ出している、なんていう「いつもの光景」はついぞ見られなかった。なんだか不況そのものを全身で街が表現しているような印象。その点わが秋田はこの20年、都会より何周も早く不況を経験し今もそのまっただなかで生き続けている。まあ不況の大先輩ですね。東京もいつか秋田のようになる。先輩に少しは敬意を示せよな、とつぶやきながら東京を後にしてきた。


性懲りもなく、またまたダイエット

11月9日 なんとなく冬もののズボンがきついなあ、と思っていたのだが、念のため体重を久しぶりに計ってビックリ。5キロ近く体重が増えていた。昨日から昼はリンゴ半個のダイエット開始だ。まいったね。毎週山に登っているし、散歩もちゃんと行っている。暴飲暴食はしないし、酒の量も(以前よりは)だいぶ減っている。それに甘えて「食べる制限」は全くしていないのが、どうやら裏目に出たようだ。昔のように1か月で5キロ落としたりという無理はできない。基礎代謝は落ちているので長丁場になりそうだが、ここが正念場。なんとか5,6キロは落としたい。いやぁシンコクな事態だ。

11月10日 またしても朝4時起きで5時出発の山行。せっかくの日曜日なのに、何が悲しくて真っ暗な星空の下で震えていなければならないのか。山は岩手県沢内村の奥にある高下岳(1322m)。和賀岳のおとなりの山だ。雨はなかったが最後まで曇天の往復6時間の山歩き。登山口への林道が工事中で2キロあまり歩かなければならなかった。登山とは無関係なこの「2キロ林道歩き」はかなりこたえた。一夜明けて印象に残るのは、集合場所で仰ぎ見た星空の美しさだ。三日月も北斗七星もオリオンも神々しく光り輝いていた。今年はもう4時起きの山行はない。よかった。

11月11日 発作的なダイエットから4日目。ダイエットといっても昼ご飯をリンゴ半個にして、毎晩食べていたアイスキャンディーをご法度にしただけ。運動量やお酒の問題はないから、体重増加の元凶は昼の食べ過ぎと夜の甘もの、と犯人を推定したためだ。とにかくこの2つ(昼抜きと甘もの)を徹底的に順守してみよう、と固く誓った。自分にとっては天敵のような体重計にも毎朝ちゃんと乗るようになった。デブにとって体重計ほどいやなものはない。体重測定が早く楽しみに変わるようにしなければ。とはいっても今週は最初のハードルがある。外食の機会が3度もある。ここでどのくらい自己抑制が効くか挫折するか。「わが友・体重計」という心境に早くなりたい。

11月12日 毎日が雨か曇り空。長い間、青空を見ていない。小春日和よ、どこへ行った。天気と似ているのが景気。うすうす身辺の空気から感じていたから驚かないが「本格的に」景気は後退局面に突入したという。さもありなん。東京のホテルは2年前の3分の2まで安くなり、一方で仙台のホテルは震災特需とやらで3割増し。それでも予約がとれないのだ。飲み屋はガラガラと超満員に二極分解、本の注文・出版依頼は相変わらず閑古鳥。バタバタと倒産が出てもおかしくないのに、なぜかみんな落ち着いている。確実に、大きな歯車は狂い始めているのに、注意深くディテールを分析しないと物事の核心は見えない。こんな複雑怪奇な社会と正面から向き合っていかなければならない。

11月13日 ずっといい企画が思い浮かばないまま、夏から秋が過ぎようとしている。少し焦っている。今日の新聞広告に渡辺一史著『北の無人駅から』(北海道新聞社)が出ていた。そうか、こんな本を出したかったんだオレ、と突然気がついた。北海道の6つの無人駅を入り口に、その村の抱えている問題を浮き彫りにしたノンフィクションだ。今年の数々の賞を独占しそうな本だ。あわてて注文。早く読みたい。あの名作『こんな夜更けにバナナかよ』の作者だもんね。それにしても東京の大手出版社は、この作家に対してノーマーク(無視)だ。これは怠慢というか出版不況の深刻さを物語ってはいないか。

11月14日 もうリンゴの「ふじ」の収穫が始まっている。先日、友人のリンゴ農家にお邪魔して贈答用や自宅用をたっぷり調達してきた。自分だけで行くと後々外野がうるさいので友人たちも同伴だ。リンゴ狩りの帰りは酒蔵・天の戸で仕込み蔵を見学、森谷杜氏のお話を聞く。十文字で三角ラーメンを食べ、横手では「銀の匙」でコーヒー、居酒屋「日本海」にも顔を出してきた。県南は地元みたいなもの。いろんな場所で知り合いと出くわすのが楽しい。ちょっと気になったのは選挙候補者のポスターが幹線沿いにうるさいほどだったが、ご当地の「三井マリ子」の選挙ポスターをほとんど見かけなかった。これは何か理由があるのかな。

11月15日 ダイエットをはじめて今日がちょうど1週間目。体重は1・5キロ減っていた。どこまで続くか分からないが、この数字を光明にして、しばらく頑張りたい。それはいいのだが、ダイエットをやり始めると、なぜか「飲み会のお誘い」が多くなる。こういうのにも何とかの法則なんてあるんだろうか。逆転の発想をすれば、内向きで視野狭窄に落ちいりがちなダイエット生活に、適当なお遊びを忍び込ませるのは効果も期待できるし、長続きしそうな気もする。たまには目いっぱい食べて飲んでダイエット・ストレスを発散するわけだ。でもなあ翌朝の体重測定が怖いなあ。


雨、雨、雨。そんな日は本でも読もう

11月17日 スノータイヤにはきかえた。車のことはなにからなにまでNさんという車屋さんに任せっぱなし。明日は雪山に登る予定なので少し早めのタイヤ交換してもらった。この頃、自分の下手な運転も心配だが、ケータイ運転や高齢者のわき見運転を散歩中にしばしば見かける。歩道で一時停止する車も本当に少ない。危険だなあ、と再認識しているのだが、地方では車なしで生活できない。市内にいるときはできるだけ歩くが週末は車依存が強くなる。事故を起こさないよう心するしかない。

11月18日 夜中じゅう雨。起きても雨は止まなかったが日曜登山は予定通り決行。Sさんは「暴風雨でもちょうどいい山を選びました」とでもいいたげにスイスイと先頭を登っていく。由利本荘の東光山だ。登山口ではピタリと晴れたのだが、下山はすさまじいい雷と雹。逃げるように下りてきたが、これもまた想定内の山歩きの愉しみ。びしょぬれの後の温泉の気持ちいいこと。いつも晴れより暴風雨も乙なもの。小さな危険のない山なので許される行為だが、いい子はまねしないでね。午後3時前には家に戻ったが、なんとも中途半端な時間帯で無聊をかこつ。冬の山はもうこんなのばっかり。下山後の愉しみを何か新しく作る必要がある。

11月19日 「朝照らし」という言葉をはじめて知った。「朝照らしは婿泣かせ」といったふうに使うのだが、秋田方言では「朝てっかり」もと言う。朝、晴天なのに、矢先に雨にかわる天気のことを言う。雨が降るのをわかっているのに姑が、婿に「天気がいいから働きに出ろ!」と意地悪く外に出してしまう「婿いびり」の格言のようだ。曇天の中に朝日が差し込む朝まだき、とぼとぼ路上を歩いている男は、もう確実にお婿さんである、なんてことはないか。カーナビが付いていない車を「生ナビ」と言った人もいたなあ。これも衝撃的な言で印象に残っている。

11月20日 今日は「歴史的」なアマゾン・キンドルの発売日。これで日本の読書環境に革命が起きるのか、他人事のようだが興味津津だ。ところでデジタル世代の若者たちは年をとったら、昔を懐かしんだり思い出話に花を咲かせたりするのだろうか。懐かしい曲や過去の映像や出来事もデジタルで記録されてさえいれば、いつでも瞬時にスマホでその「過去」を呼び出せる。懐かしい曲も作家も風景もへったくれもない。そんな世界に彼らは生きることになる。「ね、ね、あの曲覚えてる?」「「えっ、(検索して)こんなダサい曲知らないよ」、なんて会話を瞬時に交わすのだから、コミニュケーションの継穂がない。なんだかすごい世界だね。でもこれは近未来の現実だ。

11月21日 夏の猛暑と水不足を詫びるように毎日雨が降り続いている。いまごろ謝られても困るんだけど。小春日和が懐かしい。澄み渡った青空に飢えている。そんなものあったけ、というのが正直な、今の心境である。そんななか捗ったのが冬の愛読者DM用の原稿。散歩はできないし外出も億劫。これでは仕事でもするしかない。いつもならグズグズ一週間近くかかるのに(チラシ数種と通信)、今回は3日間でやっつけてしまった。悪天候に感謝である。もうDMは終わったから、いつでも晴れていいですよ、お天道様。

11月22日 寝る前に渡辺一史著『北の無人駅から』(北海道新聞社)を1篇だけ読む。800ページ原稿用紙1600枚の大作で、7つの北海道の無人駅の物語がおさめられている。もう3篇を読了。1篇だけでも100ページある。いきなり両足のない漁師が登場し、狼と暮らす夫婦がさりげなく語り出す。こうした濃すぎる登場人物も、渡辺の冷静で抑制のきいた文章で、ちょうどいい味わいを醸し出している。今夜はどんな北海道人に出会えるのか楽しみだ。それにしても北海道のどこにでもある無人駅を取材しただけの本が地元新聞社から発売され、一年間で4刷。800ページ2500円の本ですよ。サントリー学芸賞や早稲田ジャーナリズム賞を受賞しているが、たぶんこれからも長く広く読み継がれていくのだろう。本も捨てたもんじゃない。

11月23日 いい気になって雷と雹のなかを由利本荘市にある東光山に登ったのは18日の日曜日。その同じ日、森吉山では青森の男性が谷斜面に足を滑らせ滑落死していた。まったく知らなかった。低山は少しぐらい冒険的要素がないとね、などと嘯いていたた自分が恥ずかしい。やはり山はどんな低山でも危険なのだ。亡くなった青森の人は「NPO法人コウモリの保護を考える会」の代表者で生態調査に入ったぐらいだから、少なくても山の素人ではない。ガイドしていたのも知り合いの森吉山のプロ中のプロ。これでも事故は起こる。ショックだ。これを自らの戒めにして山に行かなければ。


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