んだんだ劇場2012年8月号 vol.163

No74−老人とIpad−

梅雨と電子書籍と若者たち

7月7日 楽天が電子書籍の端末を7千円代で出すという。何度もここでは書いているのだが、電子書籍の普及はそう簡単ではないだろう。だが、大きな時代の流れは「紙からデジタルへ」というのはまちがいない。ようはソフトの問題をどう解決していくかなのだ。既存本はたやすく電子化、販売可能だが、新刊の電子書籍化は著者印税や著作隣接権など、クリアーしなければならない問題が少なくない。それでもこのたびのキンドルや楽天端末は「爆発的に」売れるかもしれない。でも新刊本が即電子書籍になる、というのは考えにくい。となるとネット通販大手が栄えてソフト製作者(著者)の暮らしが成り立たない、という事態になる可能性も十分に考えられる。いずれにしても紙の編集者が一朝一夕に電子書籍の編集者になれるわけではない。別の職業と考えるべきなのだ。

7月8日 昔から友人に鉱山関係者がけっこういた。秋田大学に鉱山学部があったせいだ。今、世界で話題のシュール(頁岩)オイルが、どうやら秋田で(日本初)試験生産が始まるようだ。泥岩層に含まれる石油の存在は以前からわかっていた。が採掘方法がなかった。それが水圧で岩を割る方法が開発されたことにより北米で一挙に「シェール革命」が起きた。そういえば鉱山の宝庫だった秋田県の多くの鉱山がみるみる廃坑に追い込まれ、衰退していった理由はあまり知られていない。これは技術革新で他の国でも低コストで採掘可能になった時点で、高コストの秋田県の鉱山は市場から「無視」されたという理由によるものだ。鉱物はまさにワールドビジネス最前線の「商品」なのだ。

7月9日 なぜかビミョーに楽天の電子書籍端末の発売が気になりつづけている。佐藤秀峰『漫画貧乏』(PHP)という本を読んだせいかもしれない。彼は「海猿」「ブラックジャックによろしく」などの売れっ子漫画家(私はどちらも読んでないが)。なのだが、本書ではっきりと「漫画では食えない」と断言している。これにはビックリした。とにかく面白い本なので、ぜひ多くの人に読んでほしい。大手出版社はボロクソに叩かれ、未来のない出版界は散々に罵られている。そして自らHPオンラインで漫画を売りはじめるのだが……。これまでのなんとなく胡散臭い電子書籍礼讃本などとは一味違う、自分の作品を実験台にした、孤独で壮大な挑戦の記録になっている。

7月10日 いまって梅雨だよね。6月初旬から始めた朝の筋トレ&ストレッチ散歩はもう40日を越えたが雨で休んだのは1日だけ。不思議と早朝は降りそうで降らない。心がけがいいのだろうか。いや本当に梅雨なの、今。昨日発売の「サライ」にうちの「切込焼」の書評が出た。うれしい。新刊も久しぶりに出ましたよ。ようやく周りが騒がしくなりはじめたのは、いい兆候。昨夜観た邦画「ヴィヨンの妻」で、太宰が初めて心中未遂を起こした場所が谷川岳で運ばれたのが水上市の病院だったことを知った。映画を観て、先日のあの苦しかった谷川岳登山のことを思い出してしまい映画に集中できなかった。

7月11日 朝から雨。少しぐらいの雨なら、と外に出ようと思ったが、「あまりトレーニングをやりすぎるのもなぁ」と思い直し、久しぶりにサボって朝寝。今日の夜は学生たちと事務所で飲み会。トレーニングなしの飲み会だからカロリーオーバーの1日になりそうだ。ほんと「読書」もカロリー消費対象になればいいのに。読書ダイエットとかいっちゃって夢中になるぜオレ。それより今日の雨だ。「飲み会」っていったって、おれが料理や酒を用意するホストだ。朝からメニューを考え買い物に行かなければならない。でも傘がない(うそ)。いったい、いい年して、何してるのジブン。

7月12日 なんとなく山へ行く気力がわいてこない。どうしたことだろう。トレーニングはしっかりやっているし仕事やプライヴェートに問題があるわけでもない。いつでもOKなのに気持が山に向かわない。「谷川岳の満腹感」が原因だろうか。昨夜遊びに来た大学生たちは、日付けが変わったあたりから小生のipadをつかって夢中で遊び始めた。鬼気迫る遊び方だった(ipadが欲しいのに買えなかったため、だろう)。そうか、この飢餓的情熱を失っていくというのが年をとるということなのか。若者たちは小生が半日がかりでつくった手料理をすべてきれいに平らげ、何事もなかったように帰って行った。


さびしい人生を楽しく行きたい

7月14日 ここ数日、ある秋田に関するブログをプリントアウトして読んでいる。A4コピー用紙で400ページ以上、原稿用紙(400字詰め)換算なら1500枚くらいか。友人に薦められたものだが辛辣な秋田論というかバッシングで、確かに面白いのだが、読んでいると少々辛くなる。自分の住む「ふるさと」を悪しざまに言うのは容易だ。上品でセンスのある都会の老婦人と、秋田に住む貧相な自分の母親を比べ、なんて品もセンスもないんだと親を面罵するような、なんというか後味の悪さを感じてしまう。故郷を批判するのは自分の母親をこき下ろすのに似ている。こんなふうに思うのは私だけだろうか。

7月15日 夜半からものすごい雨。今日は「谷川岳後遺症」払しょくのためにも、なんとしても山にチャレンジしたい、と「悲壮な決意」をしていたのだが……。どしゃ降りだけれど、ダメもとで、とにかく山の麓まで入ってみよう。「やめよう」とおもえばいつでもやめられる。無茶だけれども前に進もうという気持ちを、最近ははなっから手放してしまう。老化というか、そんな体たらくに自分自身うんざり。雨で泥まみれで山に登ったっていいじゃないか。そのあとの風呂は気持ちいいぞ。気持ちを奮い立たせて、これから山に行ってきます。

7月16日 やっぱり昨日の山は無理だった。森吉山に行く予定だったが変更して太平湖・小又峡の観光コース。ここも増水で滝までは行けなかった。早々と退散。帰ってきて、まだ明るいうちから駅前居酒屋で宴会。いろんなものを食い散らかして溜飲を下げた。というか憂さを晴らした。今日の朝は何となくすっきり。山はしばらくお預け、仕事に集中しよう。ところで陶芸もやるSシェフに「注文」(依頼)していた「大ぶりの猪口」ができてきた。これがなかなかいい。大きさが注文通り。いや、エラソーに「注文」などといってしまったが、Sシェフにタダで好意でつくっていただいたもの。申し訳ない。

7月17日 今週はまとまって数日間休みがとれそうだ。どこか県外に出かけようと思うのだが、無目的な旅は計画の段階で挫折が目に見えている。面倒くさくなってしまうのだ。山はとうぶん控え目、仕事も暑いうちはヒマ。旅も億劫となると、せっせと筋トレに励んで夜はいろんな人たちとの一献だけが楽しみ。夏の酒はなぜか好きだ。ナスがっこにうまき(ウナギの玉子焼き)、くじらかやきに冷ややっこ、こんな肴でやる冷たい酒は堪えられない。先日大ぶりの猪口をSシェフに依頼したのは、日本酒に氷を浮かべて飲むためだ。生のままの日本酒ではちょっときつすぎるからオンザロックなのだ。

7月18日 芥川賞と直木賞が新聞に発表されていた。知り合いや愛読している作家が獲ったのなら別だが、もうほとんど何の関心もない。先日、機会あって40年以上前の芥川賞作品『北の河』を読んだ。舞台は秋田なのだが、どこがいいのか正直よくわからなかった。それでもその後、高井有一の作品を何冊が読み続けた。そして『夜の蟻』でストンと、この作家のとりこになってしまった。もうまるで小津の映画を観ているような世界だ。それにしても、こうして過去の作品をアマゾン・ユーズドでほとんど1円で買えてしまう現実を、自分の中でどう位置付けたらいいのか、まだ折り合いを付いられないでいる。

7月19日 仕事がヒマなうちにいろんなことをしておきたい、と気持ちばかりが焦る。あそこに行きたい、この本を読んでおこう、出したい本の企画準備を、観たい映画のリストアップ、会いたい人とのアポも……で、けっきょくは何もしない。朝の筋トレ散歩に午前中のルーチンワーク、午後からはぼんやり資料を眺め、PCの前で無為の時間。夕飯後はテレビの野球観戦で、終わると本を読む気力もなくバタンキュー。この繰り返しの日々。私の1日は朝の筋トレ散歩とシャワーが終わった時点で、もう終了。起きて2時間で1日が終わりなのだ。あとは余録のようなもの。なんとさびしい人生か。

7月20日 無明舎をたちあげたのは1972年9月、「古本・企画・出版」という冠を舎名の前につけていた。古本屋がメインでアングラの呼び屋のまねごと、ミニコミ誌も発行した。それから40年経ったわけだが、出版専業の「無明舎出版」に改組したのは76年なので、これを正式な創業と考えれば、まだ35年しかたっていない。取り上げるメディアの扱いはおおむね後者の76年創業のほうだ。でも「創業72年」のほうに個人的にはこだわりがある。この年がすべてのスタートで「76年」はあくまで改組にすぎない。だから今年が創業40周年なのだが、私以外は「76年40周年」のほうに与する人が多い。創業者としては「72年説」に固執しているのだが、どっちにせよあまり意味はないか。


Ipadをいじってるうちに、人生が終わってしまうゾ

7月21日 ようやく山に行きことができた。自分の気持ちの持ち方の問題なのだが、実は谷川岳以降、「ふぬけ」状態だった。今日は快晴の土曜日、友人と二人、目指すは泥湯温泉の高松岳。下界は30度もあったのに山中は濃霧で15度以下。吐く息が白くてガタガタ震えていた。けっこうハードな山だったが、ここと真昼岳は、深い森の中を歩いているようで、好きな山だ。下山も筋トレの成果があり身体のどこにも異常は出なかった。が、全体的には「楽」とはほど遠い感じで呼吸も荒い。もっと楽に登れないものだろうか。まあ少しずつ慣れていくしかないか。

7月22日 先週はなんだかこれまで味わったことのない日々だった。ほとんど注文の電話がなかったのだ。メールやファックスも同じで、シーンと静まり返った仕事場で1週間がゆっくりと過ぎていった、という印象だ。長くこの仕事をしているが、こんなのはちょっと珍しい。もう、うちの本の賞味期限が切れかかっているのか、業界全体が「夏休み」なのか、それとも本はいよいよ斜陽から没落へと下り坂を転がり出したのか。週末になってようやくファックスやメールでぽつぽつと注文が入りはじめたが、これからは先週のようなことが日常茶飯事になるのかもしれないなあ。

7月23日 エピグラフというのは本の巻頭や章初めに載っている言葉で、その本の内容を婉曲に表している。外国の本などは必ずこれがあるが、日本ではそれほど一般的ではない。「夜の蟻迷へるものは弧を描く」(中村草田男)というエピグラフの載った高井有一の連作短編集『夜の蟻』は、エピグラフから題名をいただいた小説で、内容も、その句の意味するものとぴったりと重なっている。最初に読めば何のことかわからないが、読み終わるとそのエピグラフの意味が鮮明になって、内容の深みを確認させてくれるものが、エピグラフだ。本を読み終えてから巻頭に戻り、エピグラフを確認する。これも読書の醍醐味のひとつである。

7月24日 グーグル・アースでブラジル・アマゾンにある日本人移住地トメアス―を探すと「トメ・アス」の表記でちゃんと出てきた。アマゾン河口の大都市ベレンから南に200キロ離れた密林の中だが、PC画面にはくっきりとその小さな町並みが映っていた。この30年余で7,8回は訊ねているなじみの町だが、電話や電気が設置されたのが最近だ。昔は飛行機やバスを乗り継ぎ3日がかりでしか行けない場所だったが、今はメールで簡単にやり取りできる場所になった。そうした事態をまだよく納得できていないためもあり、PCで場所を確認してもまだ半信半疑。なにせ一昔前まで連絡をとるに手紙なら1か月、電話なら3日前から準備が必要だった場所なのだ。大きく深呼吸して、メモを読み上げるように早口で電話口でしゃべったのを、昨日のことのように思い出す。

7月25日 最近友人から聞いた話だ。親戚のおばさんがロンドンに観光旅行に行ったのだが、飛行機の中で体調を崩した。あいにく機内にお医者さんはいなかったが、ファーストクラスの客が席を譲ってくれた。その譲ってくれた人というのが指揮者の小沢征爾。興奮さめやらぬままヒュースロー空港に着いたのだが、親戚が亡くなったとの電話で彼女は入国することなく空港から秋田へとんぼ返り……と、まあこんな話なのだが、なんとなく「いい話」というか「笑える話」というか、どっちつかずの「心に残る物語」じゃありませんか。

7月26日 ipadの基本的な使い方をようやく覚えた。遅いっ。覚えたといっても舎員から手とり足とり教えてもらっただけなのだが、彼女もアップル系とは無縁で、マニュアルを読みこむのに苦労したようだ。さっそくPCからアドレスを転送し、いろんなアプリもダウンロード、メールの送受信もできるようになった。早く旅先に持っていきたい。それにしてもipadをいじっていると、あっという間に時間が過ぎていく。ヒマをつぶすには最高のツールだが、なんとなく後ろめたさもある。生産性がないからだろうか。ひとつことに熱中するタイプではないので、どのくらいで飽きが来るのか、自分事ながら、もう心配している。


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