んだんだ劇場2012年1月号 vol.156

No67−事務所宴会−

本と山のまわりをウロウロ

12月3日 今日の朝日社会面のトップにはちょっと驚いた。「被災書店への支援は勇み足」という記事。「返本の損害、出版社に全額要請は〈違法〉」というのだ。私たちも何の深い考えもなしに返本を「承諾」していた。「支援」の気持ちに偽りはない。つもりだったが、公取委は取次側に撤回を指導したという。そうか、これが大手取次による独禁法の禁じる「優越的地位の乱用」にあたるのか。うかつだったなあ。普段偉そうなことを言っていても、そこまで頭が回らなかった。「支援」という甘い言葉には魔力がある。その「正義」にはだれも逆らえない。反省。

12月4日 日曜登山の予定だったが、天気予報は「雨」。中止を決める。だから、好きな日曜出勤です(笑)。日曜仕事で最も適している作業は「長考」だろう。ひとつのことをグダグダ、ネチネチとひたすら考え続ける。具体的に言うと本の企画だ。目の前の忙しさにかまけて、中長期的な企画立案を怠ってしまうのが常だ。それを丸一日、何にも邪魔されずじっくり考でることのできるいいチャンス。なのだが、これがけっこう雑用もあって、うまく長考ゾーンに身を浸すのが難しい。

12月5日 そろそろ「恒例ひとり委員会」が選ぶ「今年読んだベスト本」を決める季節だ。って勝手に一人で決めるだけなのだが、今年は何にするか悩んでいる。最近びっくりした本は『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎×大澤真幸)、いま読んでるミステリー『二流小説家』(ディヴィド・ゴードン)はどこまで順位を上げられるか……などニヤニヤ楽しんでいる。前からほめ続けわが委員会では2,3年前トップワンに立ったこともある平安寿子『あなたがパラダイス』が、ここにきて急に売れ出し、文庫も好調らしい。ジュリーの追っかけおばさんたちの物語だ。新刊が出た当時の評価だったので、少し早かった。独りよがりの委員会だがまだ何が起こるか分からない。決まったら迷惑でしょうが紹介しますね。

12月6日 何の検証もなしに「格差社会の若者はかわいそうだ」と思っていた。どうやらそれは「妄信」の類らしい。古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』には、現代の若者の生活満足度や幸福度は、様々な調査からここ40年で一番高いことがレポートされている。彼らにバブルの青春を謳歌した80年代や「ALWAYS」の世界への幻想はまったくない。不安もあるが、お金がなくとも工夫次第で「それなりの日々」を送れる今に、若者たちは満足しているという。私たち(祖父)はいま彼ら(孫)のクレジットカードを勝手に使い1億円近い負債を残して逃げしようとしている。これを「ワシワシ詐欺」というのだそうだ。なんだかひたすら申し訳ない気分にもなってくる。

12月7日 かなり確証の高い天気予報で、今週は今日(水)だけが雨の降らない日。そのため週末の予定を変えた。代休を取り山行を企てた。が、なんと朝からどしゃ降りではないか。天気予報はあてにできない。代休を取ったてまえ無理やり登ってきた。山頂は雪だった。雨のブナ林も風情があり、それなりに楽しい山行だった。冬山は寒いが、そのぶん温泉の楽しみが倍増する。午後2時には仕事場に帰還、もう仕事をしている。夜は毎月恒例のモモヒキーズの宴会がある。三梨牛のA5最高肉が手に入ったというので豪華に「すきやき」飲み会。その準備もホストの役目だ。ああぁ忙しい。

12月8日 読みたい本が積まれている。仕事も一段落したのになかなか本に手が伸びない。なぜ? 中途半端な時間しか取れないからだ。時間が許すなら温泉宿にでもこもって思うぞんぶん読書三昧したい。とは思うのだが、想像力の翼を広げると、結末までが見えてしまい、面倒くささが先に立つ。けっきょくは家で細切れの時間をつなぎ合わせ、「日常的」な読書をするのが最も効率的で健康的で経済的なことに答えは行きついてしまうのだ。年をとるというのは、こういうことなの?

12月9日 冬の通信(愛読者DM)は今日あたりから読者に届きはじめる。DMを見た方から注文が入りはじめると数日間は猫の手も借りたいほど忙しくなる。昔はこれが2,3週間続いたのだが、今は数日間でパタリと注文が途絶えてしまう。「忙しさ」の期間が年々短くなっているのだ。本は確実に衰退期に入っている。そのことを実感させられる日々でもある。クラシックの名曲を聴くのが高尚で贅沢な趣味といわれるように、読書も同じ領域に入ってきたのかもしれない。「知」を専門家だけの聖域にしてしまうのは、避けたい。 明日は男鹿・真山登山。これが今年最後の山行になるかもしれないなあ。


ハタハタ・師走・事務所宴会

12月10日 友人と2人で男鹿の真山登山。新雪を踏みしめて登る静かな雪山はとにかく気持ちがいい。雪山を怖がる人もいるが、意外な事に逆に登りやすい。初心者向きの登山である。山を下りてから、ハタハタが接岸しているとの噂を聞きつけ北浦港へ。が、まだ早かったようで漁師の姿はチラホラ。ハタハタ以外の水揚げがあった漁師に頼んで、ヒラメやイワシ、ヤリイカやメバル、コハダなどの小物を1000円で分けてもらう。事務所に帰って友人はたちどころに5品目ほどの魚料理を作ってくれた。いやはや実に鮮やかな包丁さばきで、うっとりと見とれてしまった。その包丁も、魚が小さいので「100均」で買ってきた安物。なのに、ほとんどの魚をさばき終わるのに1時間もかからなかった。こんなことができたら、かっこいいよなあ。

12月11日 さすが師走というべきか、事務所での宴会が連チャンである。シャチョー室は思い立ったら即宴会ができる。食材や料理用具がひととおりそろっているからだ。まずい飲食店のお世話にならなくなって、大助かり。困るのは宴の後の「匂い」。換気は十分にするが翌朝、仕事場にうっすら宴会の残り香が漂ってしまう。これまで特にひどかったのは「すきやき」。なぜかこの甘ったるい独特の匂いだけは、どんな換気をしても3日間消えなかった。どうしてなんだろう。逆に、食器や台所、テーブルは使えば使うほど磨かれてきれいになっていくから得した気分になる。面白いもんですね。

12月12日 ひとつのことを長くコツコツ続けることには、少しだけだが自信がある。同じ作業を延々と続ける単純作業も、嫌いではない。そのへんは自分の利点だと自惚れている。逆に弱点は、からっきしプレッシャーに弱いこと。ちょっとした「気がかり」があっても、そこに引っ張られ集中力が失せ、ウジウジと考え込んでしまう。小心者なのだ。それは母親を見ているとよくわかる。どんどん物事を悪く考えていく典型的な心配性で、ああ、これが俺の遺伝子なんだ、と何度か納得したことがある。これは治りませんな。

12月13日 昼の散歩の途中、大柄な妙齢の美女に話しかけられた。そばに寄られただけでドキドキするほどの美女だ。よく見たら昔エアロビ・ダンスのクラスで一緒の方だった。それだけのことだが、なんだか得した気分。そこでハタと気がついた。「被災地に元気をあたえたい」などという芸能人の思い上がりを冷笑していたのだが、あれもそれなりの「効果」はあったのだ。数分間、美女と話しただけで気分が高揚してしまった自分を客観視して、そんな風に思えてしまった。美しいとか、突出した技能を持っているとか、一流のスポーツ選手とか、他者を高揚させ、気分良く感じさせてくれる「才能」というのは、確か存在する。うらやましい。

12月14日 誰より早く朝一番に出舎する。コーヒーを淹れ、新聞を読み、メールをチェックしてブログを書き、週に1度は掃除機をかける。2時間ほどの、だれにも邪魔されない好きな時間帯だ。が最近このルーチンが乱れがち。義母の病院送迎やカミサンの私用に付き合わされ、家や家具備品の老朽化トラブル、業者、営業マンの来訪などが、その原因だ。人は年を取る。ものは老朽化する。穏やかで抑制のきいた質素な日常ですら板子一枚下は「危険」や「暗黒」や「不安」が海のように満ちている。あたりまえの日々を送れることに感謝しなければならない年になったということか。

12月15日 女優の檀れいが、うわっぱりを空中に放り投げ、袖を通すビールのテレビCMをみて「オッ、フランキー堺か」などとつぶやくご同輩は、もういないか。あれは名作・川島雄三監督『幕末太陽傳』でフランキー堺が何度もやるトレードマークだ。浴衣でも羽織でも合羽でも空中に放り投げ、さっと袖を通す。もう50年前も映画だが、石原裕次郎や小林明が、小沢昭一や殿山泰司、二谷英明等の共演者に比べ、いかに「大根」かが一目でわかる映画でもある。南田洋子が最も美しい時代の主演映画といってもいい。品川女郎屋宿の舞台裏と幕末の志士たちの関係も面白い。


不調と冬至とパーティと

12月18日 散歩の途中、2人の老婆に声をかけられた。軽自動車のライトがつきっぱなしなので消してほしい、という。運転手のおじいちゃんは、どこかへ出かけて帰ってこないという。オートマチックではない古い軽自動車で、操作がよくわからない。とりあえずドアを開け、乗らずに外からキーをさしこむとボンッと突然車が走り出した。あわててサイドブレーキを引いたが、5メートルほど走り、道路の乗り出し隣の家の塀の直前で止まった。冷や汗が出た。これで事故が起きれば責任は私だ。つくづく余計なおせっかいを反省。でも無碍に断ったら後味悪かったろうし……。

12月19日 あいもかわらず週末は雪山。五城目町の森山は里山だが鎖場の連続でほとんどアドベンチャーコース。汗だくだくで温泉は大潟村「ボルダー潟の湯」。設備も泉質も申し分ない。身体があったまり隣の食堂でラーメン。が、塩素の臭いでラーメンの味がわからない。わが全身からあのハイター臭が立ちのぼってくる。友人も「これぁひどい」と自らの体臭に鼻をしかめる。フロントにそのことをやんわりと抗議すると、言われ慣れてるのか「あっそうですか、係に言っておきます」と木で鼻をくくった対応。県内の温泉はほとんど入湯しているが、これだけ塩素まみれの温泉は初めてだ。

12月20日 仕事も一段落したし、山ももう今年は無理。夜はビデオ映画を見て寝床に早めに入り本を読む。このところ松岡正剛「連塾」シリーズに夢中。そういえば邦画でも面白いのがあったなあ。何気なくレンタルした「アフタースクール」。エンディングのキャステング・ロール(っていうのかしら)の出演者名にまで仕掛けがある。それが終わると最後の種明かしがワンシーン挿入され、ジエンドになる。キャステングの字幕が終わる前に消してしまうと肝心の物語の「キモ」がわからなくなる、という凝ったつくり。最後にキャステング(俳優の名前)を明かすのは、その順番をみて誰が主役かわかってしまうからだ。主役が誰なのか、それが物語の謎を解く「カギ」なのである。

12月21日 夜は事務所の片づけで4時間ほど集中。カミさんが風邪気味なので家でうつされるよりはと、事務所での仕事だったのだが、寝る直前に吐き気がして眠られなくなった。カミサンと同じ症状だ。カミさんは義母からうつされた。熱もないし寒気もない。ただただムカついて吐き気がする。夜はまったく眠られなかった。そのため今朝の出舎は10時。リンゴ一個食べただけ。今夜は南米の研修生、留学生3名を招いて事務所パーティ。シェフのSさんや気のきくFさんが参加してくれるので、おれはグッタリしても大丈夫だろう。

12月22日 昨夜のパーティは予想通り酒も肴も一切口にできず、ソファーにぐったりしながら、みんなの楽しそうな会話を聞いていた。お開きになる寸前から身体が動くようになり食欲も出てきたが、時すでに遅し。夜は昨夜の分もぐっすり眠れた。この1日半の「だるさ」はなんだったんだろう。昨日はリンゴ1個しか口にしていない。若いころならそれを取り戻そうと暴飲暴食に走っただろうが、ジジイの今はそうはいかない。まだ仕事に立ち向かう気力が湧いてこないのをみても完全復調には遠い。ゆっくり復調にむかって身体を慣らしていくよりない。

12月23日 今日も吹雪。かすかな希望は冬至を超えたこと。太陽の南中高度が最も低く、昼間が最も短いといわれる12月22日は雪国に住む私たちの「希望のメルクマール」。午後4時には暗くなってしまう日々が、昨日を境に逆転、昼が徐々に長くなっていく。明るさに向かって時間が過ぎていく。こんな単純なことがうれしい。暦上だけのことかもしれないが、こうした希望でもなければ、この寒さと暗さと寂しさには耐えられない。冬至のおかげで、冬なんてあっという間さと強がりを言うことができる。

12月24日 もともと地盤のいい場所ではないのだが、大きな車が通るたび事務所2階のわがシャチョー室は地震のように揺れる。特にひどいのが冬だ。冬になると揺れがひどくなる。雪と関係があるのだろうか、とボンヤリ考えていたのだが、友人が「道路斜面に雪の凸凹ができるため」と解説してくれた。道路の凹凸で振動が倍加するのだそうだ。そうか、そうだったのか。何にも知らないまま年を取ってしまったなあ。今日は朝から新しい車が来ることになっている。車に興味はない。いろんな手続きが発生しそうなことが、うっとうしい。


無明舎Top ◆ んだんだ劇場目次