んだんだ劇場2011年1月号 vol.143
No15 神学論争

 神が存在しない証拠なんてゴマンとある。一方で、かつても今も、神が存在した直接証拠なんて一個もない。帰納的に考えれば、神が存在しないことなんて、自明のことだ。いまさら深刻ぶって神の不在を嘆かれた日にゃ、ケツで笑ってしまう。
 それなのに、多くの人は神の存在を疑わない。神の否定が、証明されたものでないから、納得できないのだ。存在しないことの証明なんて、土台無理な話なんだけど。それに多分、人々の頭は、もともと神を創り出すようになっているのだろう。

 八百万やおよろずの神がまします国では、神さんの一人や二人、いなくなろうが増えようが、たいした騒ぎにはならない。しかし、神さんはひとりだけというところでは一大事だ。
 神は一人いちにんのみ、と心に決めているのに、そのひとりがいなくなるなんて論外だし、ふたりに増えるなんてのもとんでもない話だ。
 日本ならば神社のひとつも造れば、人間も立派な神さんになるが、キリスト教ではそんなわけにはいかない。
 そもそもキリストは神の子だ。あの方のてて親は神様だ。じゃあキリストは人間なのか、神なのか。人間だったら、人間が奇蹟を行い人間が死んでから復活した、ってことになる。神だったら、神が父と子でふたりいる、ってことになる。
 どっちにしたって困った話だ。もとより存在しないものを実在するものとしているから、無理がたたってほころびる。取り繕うにも、土台が無理な話なのだから、辻褄を合わせるのに苦労する。
 神の子が、人間の夫婦和合の結果では都合がよくない、ってんで処女で身ごもったことにする。亭主は形無しだ。
 父と子、それに子の代理人みたいな聖霊は、みんな神様ということにするが、三者三様では具合が悪い、ってんで三つ一からげにして、実は一体なんだ、てなことにしてしまう。父なる神が吐いた言葉が子で、言葉が伝える愛が聖霊なんだと。なんのこっちゃ。
 しかしこの伝でいけば、政治家の吐いた言葉が嘘で、言葉が伝える裏はカネである。政治家と嘘とカネは三位一体ということだ。こりゃ新聞が喜びそうだ。天使もゼニも羽が生えている、なんてのは気が利いている。
 斯くの如く神学論争盛んにして、世界中の天使は、針の上でダンスを踊ることになる。

 英郎は金時屋から逃げ出した。馬小屋から一頭失敬して、山向こうの実家に帰ってしまったようだ。乗り逃げした馬は場借も借りたがらない駄馬で、悪気があってのトンズラではない。金時屋の婿にされてはたまらないという、止むに止まれぬ事情からだ。
 親方もそのへんは納得している。娘が他の馬喰を指名していたら問題なかった。金時屋を婿に継がせ自分はしっかり後見し、あとは孫が盛り返してくれるのを楽しみにしていればいいはずだった。それなのに娘は英郎を指名した。見込みのある奴だったが、あれは同業の跡取り息子で、無理強いできなかった。
 しかし、そう悠長にも構えていられない。馬商いは先細りなのに、娘の腹はどんどんふくれてきている。こうなっては馬を牛に乗り換えなくてはならない。
 もともとそのつもりだったのだから、生まれてくる子の顔を見た上で、あらためて残った馬喰のうちから婿を選ぶことにした。
 ところが今度は、馬喰連中の方がいい顔をしない。なにしろ娘から面と向かって、見飽きた、と言われたのだ。おいそれと、婿になります、なんて言えない。まして子の種が自分のものとは限らない。こんな娘の婿になった日にゃ、いつ追ん出されるか分かったものでない。

 そうこうするうち、年の瀬も押しつまった頃、娘が男の子を出産した。親方は一目見て、きっとこの子が金時屋を救ってくれると確信した。さっそく赤子を連れ、馬喰連中の品定めならぬ婿定めに向かった。
 名伯楽だ。親方は馬の具合だけでなく、馬喰の気持ちだって察しがつく。みな奉公人だから、英郎のようにトンズラはしないだろうが、異を唱える者が出るかも知れない。そうなったら示しがつかない。一言釘をさしておくことにした。
「お前ら、夜這っておきながら、食い逃げみでえなごどはしねべな。きっちり後始末はつけてもらうど」
 馬喰連中は親方が抱える赤子をのぞき込んで、ひとりが、
「でも親方、この赤ん坊は英郎にそっくりだど。英郎が不在でねば、奴に決まりだべどもな」
「いね奴を嘆ぐな。それに娘は、英郎の顔は一度も見だごどねえど言ってる。お前らは、娘が見飽ぎるほど、何度も通ったのど違うか」
 一同、ぐうの音も出ない。親方はみなを睨みまわし、赤子と見比べながら順に、
「オメはどうだ」
「オラは、ただ、ちょっと、部屋を覗いただけで後はなんにも……」
「オメはどうだ」
「オラは、ただ、ちょっと、横で添い寝をしただけで他はなんにも……」
「オメは」
「オラは……」
 やったことをやっていないと証明することはできない。せいぜい言い逃れをするだけだ。それも追い詰めれば、次第に真実に近づいていく。
「オメは」
「オラは、ただ、ちょっと、言葉を吐いただけで……」
「オメは」
「オラは、ただ、ちょっと、愛を語っただけで……」
 なんのこっちゃ。最後にひとり残るだけだ。こいつらの言い逃れにいいかげん頭にきている親方は、
「マリア様じゃあるめえし、したなことで子供ができるか。オメは」
 こう強く言われて、気の弱い最後の一人は、
「オラは、ただ、ちょっと、サオを入れただけで……」
「じゃあオメだ。オメがてて親に決まりだ。……あ、どごさ行ぐ、逃げる気が」
「いや、馬小屋さ、飼い葉桶探しに」
 救世主の誕生だ。


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