んだんだ劇場2011年7月号 vol.150

No61−がんばろう、は敵だ−

政治のカヤの外で

いつまで「地震日記」を続ける気だ、とおしかりを受けそうですが、しばらくはこの日記(「今日の出来事」)採録の形を続けていくつもりですので、よろしく。毎日書く「今日の出来事」で書くべきことは書きつくしているつもりなので週単位での総括は必要ない、ともいえます。しかし、時間がたつにつれて風化しそうな震災被害やその精神に与える苦痛やダメージを、その中心にいる人たちでなく周辺で普段通りに暮らしている自分のような視点から書いておくのもムダではない、とも思っています。テレビなどで報道される「おいしく味付けされた悲劇や激励」のニュースにうんざりしていることもあります。私の周辺でしか報道されていない、小さな震災の波紋を、たとえばそれは、学校現場の「義援金無理強い事件」、誰も注目しない零細企業の連鎖倒産、人知れぬ「夜逃げ」や「自殺」、といった事件も出来るだけ紹介していきたいと思っています。


5月31日(火) ついに1冊の新刊も出ないまま5月も終わり。それでも目の前のスケジュール表をみると、新聞全3広告3回、仙台や山形出張、県内にもいろいろ出かけている。新刊のちょうど谷間の時期だった。長いGW休みが入ると仕事が中途半端になるから例年こんな感じのペースだ。昔のように仕事がヒマになっても「とりこしくろう」で落ち込んだりしない。そのせいか5月の読書量はけっこうな数になった。それもまた収穫。

6月1日(水) 新聞の死亡欄に「清水昶」の名前が。学生時代に夢中で読んだ唯一ともいえる詩人だ。まだ70歳、そうか、あの頃の自分と10歳も違わなかったんだ。もう、ひとことの詩句すら記憶していないが、時代の生硬い空気をすくい取った抒情的な言葉の数々に当時はふるえた。長髪、痩躯の容貌も時代そのものを具現していた詩人だった。晩年はどのようにして食べていたのだろう。カッコいい人ほど「その後」は辛い。合掌。

6月2日(木) 著者や来客用にタクシー券を毎年買っているのだが、去年は1年で5枚、今年はまだ1枚しか使っていない。それも個人用に使ったもの。来年からタクシー券購入はやめるつもりだ。タクシーに乗るという発想が暮らしの中から消滅しつつある。市内ならほとんど歩くか自転車。車は週末の遊び用で車庫に眠りっぱなし。ときには自転車を使うのすら躊躇する「歩き好き」だ。通勤に10秒しかかからない職住近接が生んだ生活習慣だから、そんなに自慢することではないが。

6月3日(金) 第五福竜丸の被ばくで知られるアメリカの水爆実験でハワイが停電、核戦争が起きれば通信が途絶することを知ったアメリカが急いで構築、開発したのがITネットワークだった、と精神科医・中井久夫さんが書いている。長崎原爆の汚染はカナダにまで到達していたし、意外にも被災者の気持ちを最も癒すのは「ぜいたくな食べ物」だそうだ。北関東以北の県名を全部言える神戸の同僚医師は珍しく、東北とそれ以外の日本にひどい賃金格差があることをはじめて知った、と素直に驚いている。阪神淡路大震災の最前線で身体を張った医師の言うことだから一言一言がこちら側にしみ込んでくる。

6月4日(土) 大館市にある田代岳登山。親しい山友達3人のパーティで小生以外は「たけのこモード」で頭がいっぱい。私が「たけのこ」に興味ないのは採っても自分で全部調理しなければならないから。面倒くさいだけでカミさんもあまり喜ばない。山は近辺の集落の車がすべて終結したようなラッシュ。入山料1000円を払ったタケノコ採りでごった返していた。8合目で雨のため引き返す。というか頂上に行く時間がもったいないので、早めに下りてヤブに入りタケノコ探し。けっきょくほとんど採れず、プロ達から安く買ってしまう。もちろん「家には自分で採ったことにしよう」というコンセンサンス。


ちょっぴり虚しい日々

6月6日(月) 田代岳で採ったコシアブラを天ぷらではなく乾煎り、塩で食べたら思いのほかうまかった。ワラビにはたっぷりの鰹節、アイコのおひたしにタケノコの味噌汁……書いているだけで、また、よだれが出る。数年前まで山菜をうまそうに食べる人の気がしれなかった。うまいものなら他にいくらでもあるのに、と内心ふしぎでかつバカにしていたことを、いまは痛烈に反省している。山菜は本当においしい。蕎麦屋の酒の肴に匹敵する「粗末さの気品」のようなものがある。こちらが老いたのだろうか。

6月7日(火)死と隣あわあせの修行といわれている千日回峰行を2回も満行したS僧侶の法話を聴きに行ったある作家が、あまりにくだらない説法にあきれ席を立って帰ってきた、と本に書いていた。そういえば昔、この僧侶の本や写真集を買ったことがあった。やはり叡智の欠片もない容貌や言動の軽さに失望した覚えがある。とても人様のことを言えた義理ではないが、容貌に品格がないのが致命的だ。この辛らつな批判をした作家とは、伊集院静。彼は片岡鶴太郎らしきタレント絵描きも、インチキくさいと弾劾している。なかなかここまで勇気あることは言えないもの。

6月8日(水) 病気で亡くなった遺族をお見舞いに行き、「アイムソーリー」と「お悔やみ」をのべるシーンを洋画で観るたび、当事者でないのにどうして自分が悪いみたいに謝るの、と不思議だった。何か宗教的な決まりなのかな、と思っていたが、「アイムソーリー」というのは別にお詫びの言葉ではなく、「遺憾に思う」ぐらいの無念さを表す表現であることを、最近はじめて知った。そうだったのか。悪事をしても簡単には謝らない外国人が「アイムソーリー」だけは軽々と口にする理由が、ようやくわかった。

6月9日(木) 久しぶりに山王の官庁街にあるホテルで昼食。サラリーマンたちの背広姿がまぶしい。なんだか別世界にきたみたいでオドオドしていると、友人に「ここは秋田市の丸の内だからね」と言われた。っていうことは広面は奥多摩か? 「いやあの…世田谷」とフォローしてくれたが、よくよく観察するとサラリーマンたちのマナーや挙動は、やっぱりそのへんにいるジャンゴのオヤジたち。りゅうとした背広で七難隠しているが出はあらそえない。サラリーマンだけでなくひとを外面で判断するのはホント難しい時代になった。

6月10日(金)昨夜は山仲間の有志モモヒキーズの特別宴会「中華を食べる会」。ふだん中華を食べたいなあと思っても、この料理だけは多人数がいないと無理。そこで5人のメンバーが、いろんなメニューを片っ端から注文して、チョピットずつ食べよう、という無意味プラン。場所は前に下見した山王官庁街ホテル1階。昔ながらの田舎くさい中華で、なかなかだった。年1回は続けたい企画だなあ。

6月11日(土)ふと立ち止まって「これから」のことを振り返ったりすることが、めっきり少なくなった。もうどうでもいいや、という虚無感に襲われるほうがおおいのだ。震災以降は特にそうだ。もう「とりこし苦労」は止めよう、とマインド・コントロールしているところもある。戦争中のことは知らないが、「がんばろうニッポン」というお題目は、「ぜいたくは敵だ」という戦時中のスローガンとそっくりではないのか、と思いはじめたあたりから虚しさに拍車がかかったような気がするのだが。


芝居・靴磨き・皿洗い

6月18日(土) 弘前劇場「家には高い木があった」(長谷川孝治作・演出)を弘前まで行って観てきた。素晴らしい舞台だった。身近な場所にこれだけの才能がいる。その幸せにうっとりした。小津の映画やウディ・アレン主演の「結婚記念日」(作はアレンではないが)観た時と同じようなインパクトすら覚えた。津軽の、ある老人の葬儀後の親族のひとときを描いた一幕の芝居。テーマは「田舎」とは何か? といってもいいだろう。いやぁみごとに「カッコいい」芝居だった。「がんばろう、ナントか」などという空疎なおためごかしのスローガンがどこにも見当たらないのも、いい。芝居や映画やコンサートをするのに「被災地支援」などという文字をわざわざ、どうして入れなければならないのか、私にはよくわからない。戦時中、「ぜいたくは敵だ」というコピーをまき散らした世相と似たような「危険なにおい」をこのコピーからは感じてしまう。久しぶりに見た芝居だったが演劇ってこんなに力があったんだ、と再認識。隣のお客は後半ずっと鼻水をすすりあげ泣いていた。私も邪気なくずっと笑い転げていた。いやぁ、すごい、かっこいい。演劇をみなおした。

6月19日(日) 今日も快晴。朝からバタバタしている。日曜日は恒例の今週の仕事の段取り。でも、その工程に従って処理しようとすると、どうしてもハイペースになってしまう。水曜日あたりでペースダウンというか息切れするのが常だ。昔から仕事前に工程表をつくるのがクセなので、これだけは一朝一夕にはなおせない。ま、これが自分の仕事の流儀だから、どうしようもないか。装丁を頼んでいたデザイナーが不慮の事故で穴があき、今週は急きょデザイナー探しで時間がとられることになりそうだ(実はこの10日、仕事を頼んでいた旧知のデザイナーが突然自殺。理由はわからない。5本ぐらいの仕事を頼んでいたから、うちの仕事文はきれいに大きな袋に仕分けされ、そのなかに私宛の「もいしわけない」という遺書が入っていた)。まだ若い人だが、何といっていいか言葉がない。合掌。

6月20日(月) 日曜日が快晴だったので、ドロドロになりっぱなしの山靴を全部洗い、ワックスでピカピカに磨いた。きれいになったら気持ちもきれいになったような気がした。気をよくして今日も快晴だったので10足近くある普段靴の汚れ落としも決行した。10足といっても、ものの2時間ほどで終了。やっぱり爽快感はあった。食後の皿洗いにも似たリフレッシュ感というのかな。身の回りをきれいにするって精神的にはかなり疲労回復に効果があるのでは? 

6月21日(火) 散歩をしていて突然ハンバーガーが食べたくなった。マックによって「一番シンプルなやつ」と注文したら100円バーガーが出てきた。安い! マックに入ったのはこの10年で2回目。コーラも飲みたくなったのでコンビニでコーラも買った。コーラも半生で片手で数えられるほどしか飲んだことがない。思想信条で食べ物を選んだりはしないが、食わず嫌いだけはいや、と日ごろ思っている。ま、そんなりっぱな動機で食べたくなったわけではないが、どちらも、どうってことのない味だった。

6月22日(水) 山から帰ってくると一番にやるのは道具を元の場所に戻し、洗い物を仕分け、ケアーの必要なものを整理、補充する。それが終わってようやく「ああ、山登りが終わった」という気になる。洗濯まで山登りの行程の一部なのである。昨夜は事務所2階で7名の宴会があった。ここでも終わってから1時間ほどかけて食べ残しをタッパに入れ、皿を洗い、そうじ。終わった後のかたずけが好き、というかそのままにできない性質なのだ。これは最近自分でもはじめて気がついたこと。ものを「再生する」というイメージが好きなのだ。 ちなみにカミさんは正反対の性格で、いつもイライラする。

6月23日(木) 2階の社長室は居心地がいい。一人なので音楽の音量も冷暖房の温度も昼寝も、自由だ。でも夏は西日で室内温度が40度近くにもなる。朝から晩まで冷房漬け。これは身体によくないので西日シャットアウト作戦を考えた。今ある窓に後付けできる樹脂の窓をもう一つ、つけた。西日70パーセント以上をカットできる、という宣伝文句によろめいた。どれほどの効果があるのか楽しみだが、取り付けが終わったら連日の雨。早く夏日が来てほしい。


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