んだんだ劇場2011年6月号 vol.149

No60−ぬかるみ−

ここがターニングポイントかもしれない

今週はほとんど事務所にいなかった。いい傾向だ。7日に仙台に行き1泊、11日は酒田で1泊、14日は岩手に行く。東北各地をへめぐっているわけだが、仙台以外は山行、ようするに遊び。遊びたい、という意欲が出てきたのも進歩のうちだろう。知らず知らず「抗えない大きな流れ」に身を任せ、勝手に「自粛」モードに入っていた。そんな自分自身に反省のカツを入れよう、と思った。「NO MORE 自粛」である。来週もこの傾向は維持したい。来週の中日には、恒例の月一無明舎事務所飲み会があるし、そのあとは久しぶりに東京へ行く予定を立てている。出版業界がどうなっているのか、秋田からは見えない渦の中心をじかに見てくるつもり。
震災の最も大きな教訓は、
「まだ起きてもいない未来のことをクヨクヨとり越し苦労してもはじまらない」
ということ。この教訓を前向きに身体にしみ込ませれば、自分にとって大きなターニングポイントになる可能性がある。


5月7日(土)GWはカレンダー通り。だから昨日は仕事。GW谷間の出勤である。また翌日からは週末休みに入る。昨夜は、休日前夜に比べるとあれこれ考えて寝つきが遅かった。やっぱり明日が仕事って、けっこうなストレスなのである。でも零細企業のオヤジにとって休日はちっとも楽しい事じゃない。できれば年中休みなし、で仕事をしていたいぐらいだ。ずっとそう思って仕事をしてきたのだが、その「楽しい」はずの仕事前夜に、無意識に身体や心は嫌がっている。昔に比べれば体力も負荷への抵抗力もガクンと落ちてしまった、ということか。

5月8日(日) 印刷所の営業がひっきりなしに訪ねてくる。これも震災後の時期的特徴なのだろう。紙やインクの物流上の問題から資金繰りまで、思っている以上に印刷所の経営は大変のようだ。というか地震の被害をもろに受けてしまった、といっていいかもしれない。こちらは自分のペースを崩すわけにいかないから、いままで通りやるしかない。無理やり彼らの期待にこたえて仕事を増やすことなんてできっこない。周辺の環境は厳しさは増すばかりだ。油断するとその波に巻き込まれてしまうから用心しないと。経営戦略を抜本から替える必要を感じている企業もあるようだ。売り上げが2倍になっても2分の一になっても、そのどちらにも順応していけるのが「いい会社」と思っている身としては、これからが正念場だなあ。

5月9日(月) 週末は仙台。復興作業の邪魔にならないよう、誰にも連絡せず、行ってかえってきた。仙台でよく立ち寄る「立ち食い寿司屋」が被災、仮店舗で営業していた。信じられないのだが、味も接客も雰囲気も以前とまるで違っていた。不味くなっていたのである。店内に流れるリズムが変ってしまい、どこにでもあるフツーの店になっていた。「崩壊」するというのは内的なこういうことまでも含めてのことなのか。帰りの新幹線が雷でいきなり停車、停電したのには胆冷やした。

5月10日(火) 被災地で自分の歌を披露するシンガーソングライターという人たちがいる。善意の行為をとやかく言うつもりはないが、私にはよく意味がわからない。昨日、NHKで3人の女性演歌歌手たちの鼎談番組を観た。詞(言葉)を客に伝える難しさを語ったものだが、そのことに身を削っているプロたちの存在に、おもわず身を正してしまった。演歌をみなおした、といえば不遜だが、彼女らが一級の表現者であることだけは間違いない。

5月11日(水) 大きな都市に出かけると、大きな書店をのぞく。その場で本を買うと旅の邪魔になるのでICコーダーで書名を録音し、帰ってからアマゾンに注文する。半分はユーズドで半額以下で買える。書店の皆様にはお詫び申し上げます。そんなこんなで外に出かけると本の注文も飛躍的にまして、毎日のようにアマゾンから数冊の本が届くようになる。

5月12日(木) 突然、サボりたくなった。で、水曜日の未明に車で酒田に向かい、月山周辺の雪山をほっつき歩いてきた。まだ3メートル近くある雪とブナの新緑と沢水の轟音でしばし心洗われた。夜は友人夫妻と宴会。1泊して何事もなかったように先ほど帰ってきた。いなくてもいても事務所はいつも通り、フツーに動いている。世はこともなし、である。なんだか寂しいけど。明後日も岩手の山に行く。私の人生、これでいいのだろうか。

5月13日(金)GWが終わって仕事関係も本格的に動き出した……ような気がするが、どうだろうか。もちろん例年通りとはいかないが、ま、こんなもんだろう。「No More 自粛」である。起きてない未来を先取りしてクヨクヨするのはやめた。楽しいことだけを頭の中にイメージするようになった。ところで5月後半の日程だが面白いことに気がついた。29日(日)にカヌー、登山、鉄道イベント、古本まつり…など参加したい行事が6つも集中している。29日って何か特別な日だっけ。


5月はヒマ、本は出ないし……

5月14日(土) まだ朝の4時台だ。今日は岩手の七時雨山に登る予定で出発は6時。前に登った山で、不安も期待もないのだが、なぜか昨夜は一睡もできなかった。後ろ向きの不眠というわけではない。逆に意味のない射幸心のようなものに包まれてニヤニヤしているうちに眠られなくなった。射幸心というのは「思いがけない利益や幸運を望む心」である。悪い意味の言葉なのだが、う〜ん、これしか説明するうまい言葉が浮かばない。本当にニヤニヤしながら一晩起きていたのだ。気持ち悪い。

5月15日(日) 尾籠な話で恐縮だが、自宅のトイレには常に本が置いてある。すぐに読みたい、というわけではないが、興味ある作家の短いエッセイ本が多い。1回完結の便所本というわけである。いま置いてあるのは中野翠『小津ごのみ』(ちくま文庫)。これが無性に面白い。これは便所本にしておくのは惜しいので、即寝室本に出世させ、けっきょくは一夜で読了。知らないことをいっぱい教えてくれる本って、やっぱりいよねえ。

5月16日(月) 今日も快晴。週末以外は別に雨が降っても困らないのだが、とりあえず気分はいい。このところ夜は入念にストレッチに励んでいる。ストレッチのほかにも腕立て、腹筋、スクワットも。回数は微々たるものだが「やりたくない!」という消極性が消え、積極的に挑むようになった。ベッドに入り消灯するとき、腹筋を使って楽に起きあがれるようになったのが最大の成果だ。チョーうれしい。

5月17日(火) 朝から天気がよく、いい風が吹いている。寝室の窓を開け放ち、FMラジオの音量を上げ、音と風に身を任せて、このままソファーに寝っ転がって日がな過ごしていたい。誰が怒るわけでもない、休んでしまおうか、そんな忙しくもないし……と、窓の外に目をやると、10数メートル先に仕事場の自分の机が見える。アチャ、この一瞬で気持ちは仕事モードに切り替わってしまった。寝室から自分の仕事場が見えるって、あんまりいいことじゃないなあ。

5月18日(水) 五月も後半だが、まだ一冊の新刊も出ていない。いや今月は絶望的で「なし」と言いきっていい。こんなのは最近では珍しいのだが六,七月はちょっと忙しくなる予定だ。比較的ひまなこの時期に「将来のためになる何か」をやっておきたいのだが、どうも今ひとつその気にならない。何でもかんでも震災や自粛と結びつけるのも問題だが、けっこう世の中のムードに精神が支配されてしまうことに自分自身驚いている。若いころのように「五月危機」なんてものはなくなったが、この時期、アンニュイな心性に陥りやすい季節であるのはまちがいない。

5月19日(木) 一昨日飲んだ豆乳が悪かった。買ってしばらく経つやつだ。昨日の朝から下痢気味で昼からは頭痛にだるさが襲ってきた。午後から家に帰って休ませてもらうが熱はないし寒気もない。半日で4回トイレに行ってるから間違いなく「脱水症状」だ。スポーツドリンクを1リットル飲み、寝床でもずっと「オーエスワン」という経口補水液を飲んでいた。夜になって食欲が出た。うどんをすすり、どうにかヤマ場を越した。いまもなんだかフワフワした病後特有のけだるい浮遊感がある。

5月20日(金)文春文庫で刊行されている「名作アンソロジー」にはまっている。現代の人気作家たちに感動した古今の名作短編小説を編んでもらう、という企画である。長い物語を読む気力や時間がない時には実にタイムリーで、あたりハズレがない(評価の定まった名作ばかりなので当然か)。とくに沢木耕太郎編『右か、左か』は驚くような短編作品ばかりで、堪能した。編集者的には安易な企画だが、読者としては「アンソロジー」は便利で勉強になり特効薬。もちろんあくまで選者がちゃんとした人であることが重要なのだが。


まだまだ続くぬかるみぞ

5月21日(土)  昨日の地元紙に「募金しない生徒名掲示」という小さな記事。戦争中の「非国民」をおもわせる感違いが、この震災を機に学校現場では現実のものになっている。これは全国版のニュースでもおかしくないのに、地元紙以外は報じていない。東京各紙はローカルに支局をつくる意義を失っているのでは。それにしても新聞は面白くないなあ。個人的なリテラシーで面白くなるように「努力」して読んでいるが、とてもそんな個人レベルでは追い付けないほど、つまらなさに加速度がついている。

5月22日(日)  「さまざまなことを思い出すさくらかな」――事業をたたんで再出発する遠方の友人からの便りの末尾に記された句。字余りだし、内容も凡庸だし、ひらがな多いし…と思ったのだが、なぜか脳裏に巣くって離れない。凡庸に読めて、実は奥深くシンプルにラジカルな句ではないのか。と調べたら、なんと芭蕉の句。あやうく友人に「もっとましな句をつくれよ」といいかねないところだった。

5月23日(月)  先日『ババヘラ伝説』というマンガ本を出したのだが、なぜか岩手県で売れている。これは想定外だ。調べてみると盛岡市内の書店員がツイッタ―でガンガン発信しているからのようだ。前もジュンク堂秋田店の店長が『はじめての秋田弁』というマンガ本をツイッターで全国に広めてくれたことがあった。そうか、思わぬところで書店員は善戦奮闘している。残念ながら、現在の秋田の書店員には、そういったやる気のある人はいないようだ。

5月24日(火) 風呂の温水器が壊れた。15年以上使っているので限界。近所の工務店Kさんがさっそく新しいものに取り換えてくれた。震災で在庫不足、時間がかかりそうだったが、Kさんの尽力で風呂なしの日々を回避できた。それにしてもストーブから水回り、倉庫のプレハブ手配から事務所のリフォームまで、ぜんぶうちはKさん頼み。夜討ち朝駆けにも嫌な顔をしない。欠点は酒を飲まないこと。だから、うまくお礼のしようがない。

5月25日(水) 東京の書店や新聞社に「東北を支援しよう」というムーブメントがあるようで、ブックフェア―や書評で過去の本がよく取り上げられるようになった。漁夫の利のようなこそばゆさを感じるが、ここは謙虚に感謝。あわせてインチキ・サラ金業者からのファックス勧誘も劇的に増えた。下請けのTV制作会社からは、東北をテーマにした企画案を相談されるが、ほとんど付け焼刃、火事場泥棒的発想で、うんざり。ま、いろんな人がいらっしゃる。少し静かにしてもらいたい、というのが本音だが。

5月26日(木) どうにも煮つまってしまった。仕事場に澱んだ空気が充満。集中して読まなければならない原稿があるのだが、やる気が起きない。図書館や喫茶店はうるさそうだし、旅に出るほど大ごとではない。車で20分の山中にある「山の学校」に行くことに。快晴、青い空に白い雲、新緑が目にまぶしい、絵に描いたような夏休みの木造校舎。正味2時間、ここで集中して仕事。気分転換でき心は一挙に軽くなった。調子に乗って今日も行かせてもらう予定だったが、校長先生が不在のため中止。残念。

5月27日(金) HPの調子が悪く、ご迷惑をおかけした方もいたようで、すみません。元に戻りました。昨日の日記もその不調のせいにしたかったのですが、実はサボりでした。週日にかかわらず太平山登山。登山者ほぼゼロ、花は今が盛り、ブナの若葉の透明感のある緑に声も出ません。3時間かけて登り、2時間かけて降りてきました。そのぶん、いまこうして机の前に垂れこめて仕事をしています。明日も仕事です。でもあの若葉の緑を思い起こせば、仕事なんてへっちゃら、です。

5月28日(土) 山本作兵衛の炭鉱絵巻が日本初のユネスコ記憶遺産になった。記事をみる限りこの炭鉱絵巻が半世紀前に本として刊行されていることに触れたものはない。版元が消滅し、難しいのかもしれないが再版してほしいものだ。逆に、急に売れ出して、蘇ってしまったのが元福島県知事の『知事抹殺』。刊行時に読んだのだが、まったく面白くない本だった。いまさら原発の恨み言を書いて……と失望した覚えがあるのだが、本は時代と添い寝する。


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