んだんだ劇場2011年4月号 vol.147

No58−大地震−

雪山に夢中!

昨日(5日)、冬師山のスノーハイクで、はじめてワカンジキをはいた。スノーシューより軽くて扱いやすく、すっかり気に入ってしまった。
冬師山は、山というか鳥海山麓にある高原である。ほとんど登りのない平坦なハイキングコースだが、なんといっても「冬師」という言葉が、素敵だ。秋田らしくないハイブローな感じで、語源は何なんだろう。知ってる人がいたら教えて。

今年に入って雪山ハイクは何回目になるだろうか。もしかしたら夏場の山登りもよりも回数的には多いのでは、っていうことはないか。元旦の筑紫森にはじまり翌日の太平山・前岳、河辺・岩見ダムハイクに観音森、1月は毎週のように登っているなあ。2月は房住山ひとつ。3月に入って先日の冬師山だが、来週は観音森に再チャレンジする予定だ。

4月に入ると男鹿三山に花が咲く。春山のスタートの合図だ。その前にひとつでも多く雪山にチェレンジしたい。雪山には土の山にない魅力がある。スノーシューをはいてガシガシと登っても運動量の割には汗をかかない。この汗をかかないというのが私にとっては冬山の魅力の一つといえるかもしれない。ものすごい汗っかきだからだ。というわけでスノーシューで登る雪山を年々好きになっている。

ところが先日の房住山で、「ばば落とし」と呼ばれる急登を登った。ここでスノーシューが急登の山登りにはまったく向いていないツールであることに気がついた。仲間たちのほとんどがワカンジキですいすい登っていくのに、私の長いスノーシューは雪に埋まり、重くてにっちもさっちもいかない。小ぶりで軽いワカンジキが、うらやましかった。

翌日、スポーツ店にかけ込みワカンジキを入手。木製でなくアルミ製のやつである。軽くて扱いやすい。そしてさっそく先日の冬師山ハイクとなった。足慣らしの意味もあったのだが、ここは坂がほとんどないのでスノーシューのほうが歩きやすかった、のかもしれない。でもワカンジキ・デビュー、はやく自家薬籠中のものにしたいものだ。


私たちは大丈夫、何の問題もありません

いろんな方から自身のお見舞いをいただき感謝しています。
秋田の被害は太平洋側の被災地に比べれば「軽微」です。私の周辺では、ほとんど被害はありません。「東北(関東)大震災」という名前が世界中を駆け巡っているせいか外国とくに友人の多いブラジルから沢山のお見舞いメールをいただきました。外国の方々から見ると「東北大震災」ですから、その一部である秋田にも大きな被害にあったのでは、と考えるのも当然です。
が、いまのところ秋田の被害は軽微です。ご心配なく。

11日昼過ぎ、いつものように昼食がてら外に出ました。駅まで歩いて昼をとり、また歩いて帰ってくる途中、大きな揺れにであいました。ゆっくりと目の前の世界が右左に揺れていました。走行中の車は停まり、家から飛び出してきた人たちは固まって茫然と突っ立っていました。地面だけが大きくゆれ動いて、それ以外の人間や車は停まったまま。映画をみているようでした。
これは経験のしたことのない大地震だ、と直感し、ほぼ道路の真ん中を走るように事務所に向かって歩きました。身体が左右に揺れて、うまく走れませんでした。

停電はまる1日半、続きました。情報が途絶えてしまったのは予想外の出来事でしたが、水もガスも供給されていたので夜はカンテラやヘッドランプでしのぎました。山小屋泊りで何度も暗闇は経験済みでしたので寒さも食べ物にも、不自由することはありませんでした。慣れというか、それ用の装備が豊富にあったので、あせらなかったのがよかったのかもしれません。
困ったのは情報が遮断されてしまったことです。電話もメールもテレビもダメ。ずっとラジオを聞いていました。「何とか町、全滅」というラジオニュースを聞いて、「全滅ってなんだ、それは」と意味がわかりませんでした。電気が通り、テレビを見て、はじめて津波が町を呑みこんでいく映像に、戦慄を覚えました。

こうした映像をみていた方々からの「お見舞い」だったのですね。
それにしても心配なのは「原発」です。これからは原発が地震報道の主役になっていくのでしょうが、誰一人「答えを持っていない」問題と私たちはこれから直面しなければならないわけです。憂鬱になりますが、いつか誰かが乗り越えなければならない問題でもあります。13日お昼の友人からの最新メールで、東京は輪番停電が実施された、という情報が入りました。強制的に3時間づつ地域毎に停電になる状況です。これからの被害報道は「原発」とともに「東京」がメーンになっていくのではないでしょうか。

そんなわけで、秋田は、私たちは、ほとんど被害を受けていません。だいじょうぶです。14日(月)からは通常通りに仕事をします。


大地震――この1週間の日記から

「今日の出来事」に書いたこの1週間の日記を若干補足して、採録します。この震災をどのように自分で考えるか、まだまとまっていません。被災地の一刻も早い復興を願っています。

3月10日 朝、地震で目覚めた。外は小雪、というか時々吹雪。こんなときに大きな地震で外に放り出されたら凍死が一番の問題、などとボンヤリ考えた。頭はパニックで熱くなっているのに身体は寒さでガタガタ、不安と恐怖でまともな判断ができない。こんなときこそ危機管理のシュミレーションをしっかりやっておくべきなのに、頭の中には何も浮かばない。寝床から飛び出して、ありったけの衣服を身につけ、まずは防寒して、それから行動に移る。それだな。

3月11日 外は銀世界。冬に舞い戻ったような景色。でも身体に感じる気温からは寒さを感じない。冬の中にかなりの確率で春が紛れ込んでいるからだろうか。屋根から溶けた雪の滴が落ちる音は、身近に春を感じさせてくれる最高の効果音。空は晴れているのに小雪がちらついている。雪がやむとすかさず屋根から雪の滴が落ちる音。やっぱり春ですね雪国も。

3月12日 いま電気がつきました。12日午後6時です。散歩をしていたら、とつぜん自販機の電気がついたので、停電解除を知りました。テレビがついて、はじめて太平洋側の被害の甚大さに驚いています。テレビは1日半ぶり。地震発生からまったく情報が途絶。改めてよく確認してみると、停電だけで何も壊れていないし、倒壊もなし。本も崩れてないし、事務所の破損もなし。月曜から普通に仕事をします。ご心配いただき深謝します。

3月13日 いろんな方からお見舞いの電話やメールをいただく。ありがとうございます。秋田は他の被災地に比べれば周辺被害は軽微、いやほとんどないと言い切っていいぐらい。水も電気もガスもちゃんと通っています。それより太平洋側の甚大な被害地域が心配です。それと原発。停電で情報が遮断されていましたが、電気がついて他の被害地の惨状をはじめて知り、驚いているのが現状です。

3月14日 同じ東北といっても太平洋側と接している国々を昔は「陸奥(みちのく)」といい、日本海側に面した2つの国は「出羽」と呼び、区別していました。今回の地震は「陸奥」で起こったもの。秋田、山形の「出羽」は被害軽微、東京よりもずっと被害は少ないと思います。それよりも日本の心臓部である東京に輪番停電が及べば国土全部を巻き込んだ深刻な問題になる可能性がありますね。

3月15日 私の住む広面地区は大学病院のある街。地震後、救急車のサイレンの鳴りややむときがない。まるで被災地のど真ん中にいるようだ。さらに周辺に大きなガソリンスタンドが5つほど集中している。ここに車が群がっている。それ以外は平穏な光景なのだが、目の前でサイレンが鳴り続け、ガソリンを求める車が路上に溢れている。

3月16日 今日は秋田地裁で元鷹巣町長の選挙違反事件の判決がある日だ。朝から傍聴券を手に入れるため準備をしていたのだが新聞社に確認の電話をいれると、地震のため4月に延期とのこと。昨日発表されたものらしい。30万円の選挙買収で逮捕され、なんと368日間勾留されるという村木厚子さん以上のすさまじい「事件」である。詳しくは今週の週刊朝日にジャーナリストの大熊一夫さんが「冤罪事件」としてレポートしている。

3月17日 1年前に出した「ミラクルガール」という本が2,3日前から急に売れ出した。なぜ? 著者は石巻赤十字病院勤務の若い女性。秋田に帰省中だったので地震の被害には合わなかったが、石巻のアパートは水没した。津波で石巻赤十字病院への検索が多くなり、そこで本のことを知り買い求める人が増えたのでは、というのが著者の推測だ。あるいはツイッターなのか、真相はまったくわからない。今朝、モロッコで働いている日本人の友人から「心配している」というメール。山に入っていたので(鉱山師である)まったく知らなかったそうだ。

3月18日 事務所の電波時計がくるってしまった。地震の影響だろうか、と調べてみると電波塔は福島にあり、原発の近くである。そうか、それならしょうがない。周波の違う電波時計は正常に動いているのでメーカーによって福島から電波受信しているものだけがダメになったようだ。話は違うが、食料を買い溜めすれば復旧後、田舎の飲食店はほとんどつぶれるような気がするのだが、うがちすぎだろうか。


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