んだんだ劇場2011年3月号 vol.146

No57−2月はなかったことにして−

長い付き合いの印刷所が倒れるまで

2月に入ったとたん30年以上の付き合いがあった山形の印刷所が倒産した。いや正確には再生機構に支援要請ということのようだが杞憂が現実になった、という思いだ。
従業員375人、負債総額は36億で、ベトナムと埼玉の工場を閉鎖、リストラを進め再生を目指す、という記事が新聞に報じられていた。30年以上付き合いのある印刷所の倒産ニュースを、その関係者からではなく新聞報道で知った、というのもなんかなあ。

出版をはじめた時点から、この印刷所とは付き合いがあった。ここの手になるわが社の出版物は500点を超えるだろう。はじめの頃の無明舎の歴史はこの印刷所とともにある、といっても過言ではないほど濃い関係である。が、最近、めっきり縁遠くなった。付き合いで1年に1冊か2冊の本を出す程度で、もちろん印刷代の残債は1円もない。

20年ほども前、この印刷所にわが舎は3千万円近い未払い金があった。すべての刊行物をこの印刷所に頼っていた。印刷所の借金を返すため企画を考え、その本が売れずさらに別の企画を出すがまた売れず……といった悪循環の真っただ中でもがき苦しんでいた。印刷所に返す金のため本を出すという泥沼の危機感から脱するため10年計画でこの会社の借金を返すことに決めた。そして5年後、その目処がたった。この段階でこの印刷所をメインから外すことに決めた。2年前、細々とした仕事は継続しながらも、残債はついにゼロになった。

この印刷所、付き合い当初は100人そこそこのアットホームな若々しい元気に満ちた会社だった。が、15年ほど前から拡大路線を走り続け、先代社長からその息子にバトンタッチされると、一挙に大連やベトナム、首都圏にまで工場を作り出した。何も知らない田舎の成金バカ息子が東京のやり手企業経営コンサルタントにあの手この手でうまく言いくるめられている、という印象だった。

この2代目社長、なぜかしょっちゅうわが舎に挨拶に来た。300人を超す企業の社長が、舎員4人の仕事もほとんど出さない零細出版社に県をまたいで、わざわざ挨拶に来るという行為はどう考えても尋常ではない。それも毎月、お土産付き、イエスマンそのもののお供を数人従えて、である。最初のうちは悪い気はしなかったが、あまりに頻繁で、さらに仕事の話は一切せず、来た途端帰っていくという、目的や意味がまったく不明の訪問だった。さすがのボンクラの私も気がついた。「こいつら秋田に遊びに来ているだけなのだ」と。
ようするに地元の山形では派手に遊べないので、わざわざ秋田まで遠征して遊びに来ていたのだ。うちを訪れたのは単なるカモフラージュで、仕事もしていますよ、というポーズだったのだ。

この挨拶訪問は実は最近まで続いていた。ピタリと来なくなったのは去年の夏ごろからだろうか。この時点で会社を揺るがす大きな出来事が起きているのは、こちらにもわかった。いや当の社長にすれば2年近く前から会社の内情がのっぴきならないことは知っていたはずだ。それでもなおかつ秋田に遠征して遊び呆けていたのだから、ご立派としかいいようがない。やけくそになっていたのだろうか。

しかし、この会社がダメになった一番の要因は、このノーテンキな世間知らずの若社長のせいばかりではない。この社長に対して批判も提言もせず黙々としたがった社員たちの体質にも大いに問題がある。
そばで見ているとよくわかるのだが、この会社の社長と社員の関係は、ほとんどあの金正日とその側近の関係そっくりなのである。イエスマンだけで幹部を固め、平社員は社長が秋田に来るというだけで前日から不眠不休で歓迎準備をする。この間、本業はすべてストップである。

こんな状態なので、いつか必ずほころびが出ると予想は出来た。予想しなかったのは当の社員たちだけだ。甘い汁を吸い続けた側近の罪も大きい。
まあ長い付き合いだったが、この会社から反面教師としていろんなことを学んだ。そんな意味ではおおいなる謝意を送りたいところだが、こんな事態になっても何の連絡もない、というこの会社の体質にはやはり猛烈に腹が立つ。


津波のようにいろんなことが押し寄せて

新しい年がやってきたなどと浮かれているうちに、いつの間にか2月も終盤に。いつもより3,4日短いだけの月なのに2月が過ぎ去るのは本当に早い。いつも不思議に思うほどだ。

2月が終わると当たり前だが3月。この3月というやつが日本では大きな1年の区切りになる。国の仕組みがそうなっているからだ。お役所とは無縁の人生なのでピンとこなかったのだが、仕事を窓口にして、世間では「3月」が特別な区切りの月である、ことをたびたび認識させられてきた。いや認識しただけでなく、この国の大きな流れの「区切り」にうちのような「はじかれもの」までが組み込まれるようになってしまった、と言ったほうが正確かもしれない。

これまでは私どもも例外ではなく、他の商売同様1,2月は「ヒマ」というのが通り相場だった。が、ここ数年、あきらかに変わってきた。年間を通した傾向をみてみると、1年を通して最も忙しいのがこの時期、というふうに変わってきているのだ。なぜなのかはよく分からない。うちだけの特殊な事情なのだろうか。

気持ちも新たにする新年と同時に、忙しさも伴ってやってくるというのは悪いことではない。今年は特に去年の暮れから新刊がこみ合い、手元には10数本の新刊予定原稿やゲラが雪の壁のように立ち塞がり、行く手を阻んでいる。嫌な障害物ではないから、やる気も増そうというものだ。

その一方で、仕事先の印刷所や書店がどんどん消えつつある。抗いがたい大きな時代の流れだとわかってはいるのだが心境はいささか複雑である。
とくに40年近い付き合いの印刷所が2月初旬に倒産したのは、いろんな意味でショックだった。数年前から危ないとわかっていたのだが、さまざまな圧力や影響を考慮ギリギリまで倒産の事実は隠されていた。事実を隠ぺいして平然としていた経営陣の厚顔や銀行やその周辺の不可解な行動。社長などというのは単なる飾りもの、その上で経営を差配する者たちの傲慢な判断ひとつで、何百人もの働く人たちの人生が左右される。資本主義の冷徹さを目の当たりにした印象が強い。

こうしていろんなことが津波のように押し寄せて、新年度ですべてがリセットされる。その新年度がもう1ヶ月ちょっとでやってくる。


呼吸を整えて3月を迎える

ウロチョロしている間に2月は終わってしまいました。
何度もいいますが、ミジケーッ、という感じです。
長い付き合いのあった山形の印刷所の倒産からスタートし、バタバタゴンゴン、舎屋の電気やペンキ塗り、書架の組み立てやら資料廃棄の改修工事が続き、来客がやたら多く、山は房住山ひとつのみ。
さらに肝心の仕事は「ありがとう浦和レッズ」の増刷だけ。
新刊はただの1冊も出ていないのに、このあわただしさって……。

ということは3月が恐ろしい。すべてが先送りにされてしまったのです。
ついさっき、印刷所の社長と3月の進行工程の打ち合わせ。まともにいくと(いま鋭意作業中の本を順番に出して行くと、という意味です)3月中に7冊の本が出る計算になってしまう。こんななりゆき任せの本づくりを印刷所が許してくれるはずがありません。
「オイオイ3月って年度末だよ。印刷所が一番忙しい時期に、お前のところの本ばっかり、面倒見ていられんよ」
といわれるのはわかっていました。そこをなんとかと平身低頭、どうにか折衷案をとり、3月に5本だけ出してもらい、それ以外は4月回しということになりました。まずは一安心といったところです。

3月は春のダイレクト・メールの時期でもあります。愛読者のみなさんに年4回出している新刊案内通信です。
今回はこのほかに「執筆者アンケート」なる通信も出します。これまでお世話になった著者の方々を中心に「これから出す予定の本」をアンケートで答えてもらうもので年1回か、2年に1回のスペシヤル企画。うちのような零細地方出版社ではとても手の出ない企画も書かれているのですが、このアンケートで年間単位の出版企画の目安を立てることはできます。そういった意味ではけっこう重要なアンケートです。ましてや、うちは来年、創業40周年になります。今年から来年いっぱい、そのアニバーサリーを意識した本をつくっていく予定なので、なおさら今回のアンケートは力が入っています。

まあ、そんなわけで、2月はとりあえず「なかったこと」にしてもらい、正念場の3月にむけて呼吸を整えている昨今でした。


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