んだんだ劇場2010年9月号 vol.140

No51−秋に向かってゴー−

この秋の新刊ラインナップが固まった

この秋の新刊ラインアップがほぼ固まった。「読書の秋」はもう形骸化している、という人もいますが、本をつくっている立場から言わせてもらうと、やっぱり1年でいちばん本が動く季節、かきいれどきです。
だから張り切って、この時期に話題になりそうな新刊をぶつけようという気にもなるのです。新聞広告の出稿量も他の季節の2,3倍はかけますからも意気込みは違います。秋田の夜長は、やっぱり、読書ですよ。

8月中旬 伊藤孝博著『イザベラ・バード紀行――「日本奥地紀行」の謎を読む』(A5版上製・460頁・定価4410円)
大冊です。これ一冊でバードのすべてがわかります。彼女が歩いた明治初期の日本を、著者とうちの編集長が数カ月かけてくまなく踏破した記録でもあるいます。2段組みの4千円台の分厚い本ですが、原稿枚数1千枚を超す労作です。

8月下旬 伊藤孝博著『イザベラ・バードみちくさ道中記』(A5版並製ブックレット・110頁・定価1470円)
前記「紀行」のメイキング・ブックです。取材の舞台裏や人物、現在もバードを基軸に町おこしやイベント活動に従事するゆかりの人々と町を訪ねた「バードと現代」がテーマのブックレットです。

9月初旬 高島真著『天領・出羽長瀞村質地騒動顛末記』(46判並製・280頁・定価2100円)
徳川吉宗の時代、幕府の出した〈質流れ地禁止令〉をめぐって出羽村山郡の貧富層の葛藤と確執を史実に沿って描いた歴史ドキュメントです。山形市在住の郷土史家・高島さんの本はこれでわが舎から5冊目になります。

9月中旬 蒔田明史著『じゃんごは宝箱――秋田の自然と文化を考える』(46判並製本・200頁・予価1785円)
植物生態学が専門で文化庁の文化財調査官(天然記念物担当)をつとめた秋田県立大学生物資源学部教授が、地元紙に連載した「自然と文化」に関するコラムを1冊にまとめました。地元民にとっては当たり前にみえることも、視点を変えると貴重で稀有な宝物、ということを教えてくれる1冊です。

9月中旬 三戸学著『なぜ僕は結婚できないの』(46判並製・220頁・定価1680円)
生まれながらの脳性まひの中学教師が、自分自身が受けた差別体験、障がい者として見える現代社会、教師として、婚活中の若者として、喜怒哀楽たっぷりに社会と世間に異議あり。笑える、泣ける、勇気がわいてくる1冊。

9月中旬 ダースコ安田著『教師をやめて、ちんどん屋になった!』(46判並製・250頁・定価1785円)
長年勤めた中学の音楽教師を捨て、夫婦ともどもちんどん屋稼業に転身!
ちんどん屋の仕事、収入、日常から好きな映画や音楽まで、自由で面白くて切ない、ロマンあふれる脱サラ奮戦記。エンターテインメントも地産地消の時代ですよ。

とまあ、こんなラインナップです。いかがでしょうか。
早く秋が来ればいいですね。


お盆は折り返し点

決算期は9月、だからこの時期に「前半を振り返る」というのもナンナンダが、まあ、お盆は1年の大きな「折り返し点」、前半を振り返りたい。

ここ数年、静かに緩やかに本の売れ行きは下降線を描いている。時代環境を考えれば、このぐらいの緩やかさなら想定内、とある程度はあきらめていたのだが今年の前半期はちょっと様子が違った展開で、当事者の自分自身が驚いている。

最初の本は2月に出した「ミラクルガール」。今年の先発投手。エース級の本、という意識はあったので、かなりの部数がいくのではと予想していたのだが、書名が「ドハデ」(笑)だったせいか、メディアにかなり警戒心をもたれてしまった。そこから這い出したのは著者の自助努力だ。こちらはへこんで営業活動が鈍って行きそうになったが、著者自身が積極的にめげることなくマスコミに働き掛け、体制をまっすぐに立て直してくれた。けっきょく本は発売3カ月で5千部を突破。いまも売れ続けている。こういう本(先発投手)があると中継ぎ投手も波に乗る。2番手の「秋田――ふるさとの文学」も好調に売れてくれた。これは市販の本ではなく県内高校の副読本として出したもの。やはり発売1カ月で高校からの注文は5千部を突破。こうなるとイケイケドンドン。アキバ系萌えマンガ「はじめての秋田弁」も勢いにのり、書店のいたるところで平積みになり若い読者を獲得。ジュンク堂秋田駅前店で2カ月連続ベストワンになった。その後も「鳥海山花図鑑」、「写真帖 40年前の仙台」の2冊が、前記3冊の勢いを殺さず、山形や宮城で売れ……と書いてくると出す本がみんな売れたような印象を与えるが、まあ、打率は5割強といったところ。やはり近年になく高いアベレージだったことはまちがいない。

こんな高いアベレージを残したのだが、実は決算の数字は去年と大差なく終わりそうだ。本が売れているのに数字はなんで上がらないのか。本は書店に委託配本して、売り上げとして入金になるまで、半年ほどかかってしまうからだ。2月の「ミラクルガール」の売り上げが今頃入ってくるのである。因果な商売である。

今年の秋は「イザベラ・バード」を中心に話題になりそうな本が何冊か出るが、それも売り上げに反映されるのは来年の話なのである。あ〜あ。


何も起きない日々

お盆前後から人と会う回数が増えている。来客が多いし、打ち合わせもある。ずっと誰とも会わず、事務所の2階で2,3週間過ごすことも珍しくない身には、なんだか緊張を強いられるような、毎日が特別日のような、ちょっとへんな気分だ。もしかすると、これからはこうした日常が「常態化」するのかも。仕事の仕方というかコミュニケーションの在り方が、どうやらこれまでとは微妙に違ってきているのを実感している。

わかりやすく仕事の仕方で考えてみると、以前なら「このぐらいで、ま、いいだろう」と勝手に納得、ケリをつけていた仕事を最近は、「面倒だけど、やれるところまで粘ってみよう」といった心境から、妙にしつこく粘るようになった。これから先、そう多くの本をつくれるわけではない。あまり後悔しないものをつくろう、あとあとの人たちに笑われたくない、といった殊勝な心持になっている。

仕事以外の、個人的な衣食住にも、ある種の傾向がくっきりと表れている。例えば時計。もう何十年も使っているものばかりだが、新しいものを買う気にならない。いくらお金がかかっても修理して同じものを使いたい。こうした欲求が年々強くなっている。服も同じ。気にいったものは徹底的にシミ抜きやクリーニングで再生させ、ヨレヨレでも捨てない。暮らしの中に何かを新しく加える、という発想は薄く、どうしようもないもんはすぐ捨てるが、めったに補充はしない。ないままのほうが豊かな気分になる。凝った料理や、特別のレシピ、稀少な酒、なんてものにもまったく食指が動かない。

1冊1冊の本を丁寧に、自分なりに納得のいくものにしたい。いまあるものは何度も使いまわしたい。身の丈に合った、なじんだものが、愛おしい。新しいものに置き換えたり補充はしたくない。どうにもならなくなったら、そく捨てる。できるだけ昨日と違わない今日を送りたい。非日常より日常のほうが大切だ。寸分たがわぬ繰り返しの日々のなかに、神経を研ぎ澄まして新鮮な喜びや感動を見つけ出したい……。

ま、ただ単に年をとった、ということなんでしょうけどね。


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