んだんだ劇場2009年11月号 vol.131
No37
甥のカール(5)

 作品一二五交響曲第九番ニ短調「合唱」、この作品は現在、過去、未来という時間が一つに収斂する作品である。時が一方通行に流れるのではなく、過去の憧憬を未来に託し、その未来から遡った現在に時空を融合しながら、現実の時間を超えた一つの場を提供する。この作品は現在を生きながら、未来や過去にまたがって共に生きる次元を開いたのである。
 ベートーヴェンの交響曲は第一番から飛び立ち、第二番で交響曲作家としての手応えを得た。そして第三番で提出された問題は、英雄の登場によって解決されるはずだったが、その期待は裏切られ、かえって問題の深刻さを浮かび上がらせてしまったのである。だがベートーヴェンがそこから見い出したものは、未来への希望の光りであった。そのことを発見したベートーヴェンは、交響曲第三番に残されたパンドラの甕に希望を求めて、漂白の旅にさまよい出たのである。それは彼の実人生の闘いのなかから見つけなければならないものであった。まさしくそれは苦悩を突き抜けて歓喜にいたる険しい荊の道につながっていた。第五番から第八番にいたる四つの交響曲は、こうした試練との闘いであった。そしてようやく交響曲第七番と第八番で、歓喜の頂点に達したかにみえたベートーヴェンは、そこから一気に奈落の底に突き落とされ、以後彼は交響曲の世界から遠のいた。八つの交響曲から一〇年、創造の世界に自信と意欲を取り戻したベートーヴェンは、再びその雄姿をこの第一楽章の第一主題に現わしたのである。
 その第一楽章は、カオスのゆらぎを思わせる持続するるホルンから開始する。その陰で弦楽器がざわめきながら、ホルンの後を追いかけてくる。ピアニッシモを奏でるホルンはひとつの信号音のように、宙空を漂いながら、霧のなかを縫うようにして暗黒の世界を抜け出して来る。それは長い旅から帰還する船舶の航行を連想させる。このホルンの前に、八曲の交響曲の各々の第四楽章の終止を置いてみると、この交響曲第九番と八曲の交響曲は、このホルンの信号音に連結されて、一味一体のものに捉えることができる。何の変哲もないこのホルンの響きは、未来を過去に結び、現在に連れ戻す連結ピンの役割を果たしているのである。そしてこの一六小節の始まりが、この作品の性格を決定し、あとの三つの楽章を必然に導き出すことになる。
 このホルンの信号音に乗って、ピアニッシモで第一ヴァイオリンが五度、四度と降りてくると、ヴィオラとコントラバスが五度、四度で応答し、クラリネットが加わる。つぎに四度、五度と第一ヴァイオリンが下がり、ヴィオラとコントラバスが同じように受け、オーボエが重なる。そして今度は先回りしたフルートが合いの手を入れながら、第一ヴァイオリンが四度、五度と降りてヴィオラとコントラバスが待ち受ける。この一連の動きは、巨大なものの出現を予感させる胎動である。
 コントラバスは地の底から唸り声を上げ、運命のモチーフを思い出させるように弦楽器が閃光を発すると、バラバラだった不協和音がよじれるように絡まり合いながら高潮していく。その昂奮が頂点に達し怒涛のごとく波が押し寄せ、全管弦楽器が一斉に強奏しながら、壮大な第一主題が宙を切り裂くようにして現われる(譜例1)。それは地平線を紅に染める燃え立つ太陽であった。聴き手は、いわば一つの巨大な恒星の誕生に立ち合いながら、宇宙創生の一端を垣間見ているかのごとくである。このホルンの響きに引き寄せられるように、それまであちこちに散らばっていたベートーヴェンの作品が一同に集結すると、この作品の惑星や衛星となり一つの小宇宙を作り上げるのである。
 この第一主題はそうした永久の時空のなかで、すでにずっと前から存在していたかのように、卒然とその姿を見せるのである。まさに苦境を潜り抜けたベートーヴェンの自画像を見ているかのようだ。それは同時に彼のなかに隠し持っていた音楽の正体が何であるか、その全貌がいよいよここに立ち現われたのである。ベートーヴェンは一〇年前までに作った八曲の交響曲を、このホルンの響きが誘導し、その傘下に収めたのである。空白の一〇年は切断されて途切れたのではなく、楽音の灯火を絶やさず潜行させながら今日の再生に力を蓄えていたことを示している。こうしてこの一六小節の導入はこの曲の単なる導入部というだけではなく、これまでの創造活動のすべてを結んで第一主題に引き渡すのである。
 この第一楽章の始まりは、交響曲第三番や第五番そして第八番のように、第一主題が周りの静寂を打ち破るように突如として現われるのではない。そして交響曲第六番のように、何の屈託もなくすべるように開始するのとも違う。また交響曲第一番や二番、四番、七番のように明確な序奏部を構成して第一主題を導いているのでもない。突如として現われるものと、導かれながら形成されるものの二つを、この信号音のようなホルンの響きが結び付けているのである。この曲の実際の始まりはこの第一主題から出発するが、強奏から繰り出す壮大な第一主題の音型が、この作品全体の中心に座っているというだけではない。この第一主題が現われることによって、交響曲第九番がベートーヴェンの創造全体の中核を成すことを宣言したことになる。そういう意味では、この第一主題は単に晩年のベートーヴェンの自画像というだけではなく、彼が音楽をつうじて描こうとしたものの中心に聳え、彼の創造を一つの総合に集約する役目を果たしていることになる。
 作品五五第三楽章の三本のホルンの響きに、傑作の森に向かうベートーヴェンの颯爽とした自画像を見ることができた。その後の栄光と挫折に鍛えられたベートーヴェンの姿が、再びここに登場したのである。過去の作品は過去のまま封じ込められているのではなく、過去は現在に開かれ、現在は過去にその扉を開放している。そして過去と現在の二つの扉は未来に開放されているのである。すべての時空や彼の音楽を包含するあらゆるモチーフが、この第一主題に収斂されるのである。この第一主題はベートーヴェンの世界に在って隠れていたものが、その本体をようやく現わしたのである。したがってこの第一楽章の終結は第八番の第一楽章の密やかな終止とは違い、当然在るべきものがあるがままに、その第一主題を体言止めして堂々と終わるのである。それは内省の闘争のあとに甦る確信に満ちた一つの断定であった。
 第二楽章の冒頭は、先の交響曲第七番第三楽章や第四楽章と相似する。酩酊と熱狂の踊りを思い出させるような始まりである。スケルツォの規模は第七番の六五三小節についで大きく、五五九小節となっている。反復を含めると九五四小節におよぶが、テンポが速いために小節数の多さほど時間の長さを感じさせない。急くように畳みかけるリズムは、作品六七の運命の動機と融合する。しかしこのスケルツォは、かつてのような熱狂する忘我のスケルツォではない。楽曲の規模はこれまでのスケルツォにも増して、大きくダイナミックになっているにもかかわらず、情念の主観的な印象は抑制されている。
 このスケルツォには、広場に集まった人々が、祭の準備に勤しんでいるような躍動感がある。ついに見つかったパンドラの甕に残されたエルピス=希望を、祭壇に捧げる準備たけなわといった光景である。このあとの第四楽章にみる歓喜の祭典の予行演習を催しているような、浮き浮きした気分が伝わってくる。ここでは崇高なものへの憧れを、英雄に仮託する他者性におくのではなく、人々の心のなかに投影された自立する精神である。人々は狂気と放埒への爆発を抑制して、蛮性の誘惑を封印した。自我が衝突して、人間の持つあらゆる属性が争うのではなく、人々が手を携えて歩む道を築こうとしているのである。希望は一人の英雄に独占するものではなく、あらゆる人々に平等に分け与えられるものである。そして各々の希望を実現していくためには、人々の協同の力を必要としている。そのためにいま人々はこの希望の甕を祭壇に捧げ、連帯の絆を確かめ合おうとしているのである。
 この祭典の準備を整えるためには統括する指揮官は必要だが、それは支配者ではない。「誰であれ何かそれ以上になろうとする者」はここにはいない。それを侮蔑するロベスピエールもいない。人々は熱狂しているのではなく、鎮められた情念から湧き起こる情動の静かな興奮を確かめながら、連帯の絆でつながろうとしているのである。多様されるティンパニーは衝動を促進させるのではなく、行き過ぎに警告を与え適度に抑制する働きを持っている。ここでは人々が自身の手で取り戻した秩序が回復しており、それは外部の圧力から解放された自発的で自由な意思に基づいている。したがってここでの終結も交響曲第七番のリズム動機を想起させながら、断定のうちに締めくくるのである。それはつぎの第三楽章の美と節度に融合されるイデアの世界へと聴き手を導くのである。
 第三楽章冒頭ファゴットとクラリネットが手を携えながら、めくり上げるように上向して重なり合い、すばやく旋律をヴァイオリンに受け渡すと、場面は瞑想と祷りの世界の扉を開き、穏やかな回想に転ずる。この旋律(譜例2)は過去に聴いた「悲愴」ソナタ第二楽章を思い起こさせる。若き日の憧憬を思い出させるなつかしい記憶が、再びここに甦るのである。それは母なる胎内への回帰であった。そこには溢れて余る希望に満たされた若きベートーヴェンがいて、取り戻しの仕様もない耳の病に我を見失って絶望するベートーヴェンがいた。母なる胎内は追憶のゆりかごであり、そこに帰った魂は再び未来への復活をめざすのである。
 深い瞑想にたゆたいながら、ベートーヴェンはいま辿ってきた道のりを振り返っていた。「悲愴」ソナタ第二楽章の悲傷は、三〇年にまたがる星霜を経ると、感傷的な心の疼きは跡形もなく消えて、夕映えのやわらかな秋の日差しをいとおしむように、夢の世界に私たちを誘う。激昂した情念の迸りは、ここに敬虔な祈りを捧げるのである。それは作品六一ヴァイオリン協奏曲ニ長調の第二楽章で聴いた、心からの慈しみと感謝に満ちた至福の感情を呼び起こす。嵐のような一生を送ったベートーヴェンにも、至福に満ちた日々を回想する時の訪れがやってきたのである。
 二〇年前の怒涛のごとく押し寄せる創造への衝動は、ベートーヴェンの裡なるシュトルム&ドランクであった。あの頃は衝き動かす何ものかに抗し切れずに、つぎからつぎへと作品の数々を生み出した。なんという神がかり的な創造の時期であったことだろう。それらの充実した日々は、まるで昨日のことのような身近な出来事であり、だがそれはもう遠い過去のことでもある。すべてのことが瞑想のなかで一つに結び合わされ融合するのである。
 高らかに奏でるトランペットのファンファーレは、交響曲第五番第四楽章で勝ち誇る凱旋の響きではない。始原世界へ導く道標となるものだ。モチーフを求めて散策した田園の息吹が鮮やかによみがえってくる。闘争的な衝動は、それが闘争的な音を象徴するものであっても、ここでは祷りの世界に融合されてしまうのである。出会いと別離があり、各々が自分の糧を貢ぐことに精一杯で、気にかけながらも手が届かなかった交流の人々とのなつかしい思い出が、この瞑想の一時に明滅している。懺悔と贖罪を、ベートーヴェンは慈しみに満ちた眼差しで、この第三楽章で購っていたのである。
 第四楽章は管楽器と打楽器のフォルティッシモが、不協和音となって襲いかかる(譜例3)。そして再び冒頭のけたたましい強奏のあと、第一楽章冒頭の五度、四度のモチーフがそっと顔を出そうとするが、これをチェロとコントラバスが優しくしかし強い意志をもって低い唸りを上げて押さえ付ける。同様に第二楽章の冒頭の第一主題が走り出そうとすると、これもチェロとコントラバスに行く手を遮られる。第三楽章の瞑想の扉もまたチェロとコントラバスの前に閉じられてしまう。
 このあとコントラバスがチェロを伴って、重低音に秘めた膨大なエネルギーをピアニッシモに響かせてレシタティーブを奏でる(譜例4)。このレシタティーブの道筋に障碍となるものは何もなく、横槍を入れたり対立する声部はコントラバスによって制圧されてまったく影を潜め、その制圧したコントラバスが奏でる旋律に、他の声部も静かに耳を傾けるのである。次にチェロとビオラがこれを受け、このレシタティーブを縫うようにしてファゴットも灯火をともしながら、この旋律はヴァイオリンに引き渡される。そうして何か偉大なものの到来を告げるように、トランペットが高らかに威風堂々と凱旋行進曲を奏でる。このレシタティーブの旋律はコントラバス、チェロ、ヴァイオリン、トランペットと四回聴き手に確認されるのである。そして三たび冒頭の喧騒な雄叫びを発して、いよいよバリトンが厳かにベートーヴェンがシラーの頌歌の冒頭に追加した挿句を聴き手に呼びかける。
 O Freunde , nicht diese Tone ! sondern lasst uns angenehmere anstimmen , und freuden vollere.(おお友よ、このような調べではない。私たちはもっとこころよい喜びに満ちた歌を謳おうではないか)。この呼びかけに続いてバリトンがシラーの頌歌を先導する。私たちにはすでに先のレシタティーブを四回耳にしており、バリトンの呼びかけに応えて無意識のうちにこのレシタティーブを一緒になぞっているのである。この旋律は先の交響曲第五番のような衝撃に刻まれる記憶ではないが、二度と忘れない旋律となるのである。
 だが、O Freunde , nicht diese Tone ! ( おお友よ、このような調べではない。)と呼びかけながら、ベートーヴェンはこの旋律を過去に用いている。一七九五年頃に作られたWoO一一八「愛されぬ者の嘆息と相愛の二つの詩による歌曲」の相愛のメロディで取り上げられ、一八〇八年に完成した作品八〇「合唱幻想曲ハ短調」の歌唱でも使われている。ベートーヴェンは冒頭に付け加えた詩句で、 nicht diese Tone ! と否定しておいて、この旋律を用いているのである。またその詩もシラーが一七八五年に創作し、一八〇〇年一〇月二一日付けのケルナーに宛てた手紙で、時代思潮に迎合したものとして否定したこの「歓喜に寄す」を取り上げたのである。もっとこころよい喜びに満ちた歌を謳おうではないか、と呼びかけたにもかかわらず、それから四〇年に垂んとする今になって、その詩もメロディも新しいものに刷新するのではなく、過去に取り上げたものを採用したベートーヴェンの意図は何だったのだろうか。
 人々よ!あのシラーの頌歌「歓喜に寄す」に熱狂し、時代思潮のうねりを感じさせたあの時代を知る者は声を上げよ!理想に燃えたあの時代の希望を、安寧の裡に満足してはならぬということを、この nicht diese Tone ! に隠喩として刷り込んだのであろうか。ベートーヴェン独特のアイロニーと考えられなくもないが、この旋律の平和的で穏当な趣は、ベートーヴェンのこの時期の素直な心性がそのまま表われたものと解するのが妥当であろう。現実の世界で人との関係に齟齬をきたしてきたベートーヴェンは、ボン時代に投影したシラーの頌歌にに立ち帰ろうしているかのようである。彼にとってあの感動はそのまま未来に残された連帯の絆であった。幾百万の人々がこの頌歌を唱和し連帯の絆で結ばれたとき、この「歓喜に寄す」のように人々と分かち合う喜びを共有できるかもしれない。このシラーの頌歌は、ベートーヴェンが現実の世界で果たそうとしながら実現できなかった、当時の記憶を甦らせるものであった。
 これまでの八曲の交響曲で達成しながらなお取り残していたもの、それは歓喜に溢れた人々が紡ぐ連帯の絆であった。当時人々は自由と平等の足音を予感し、その到来が間近に迫っていることを実感していた。このシラーの「歓喜に寄す」には曲が付けられ、人々が口ずさんでいたのである。だが連帯の絆そのものは絆で結ばれる以上、干渉や束縛の囚われから逃れることはできなかった。自由と平等への願いは、それを目指した気運そのものによって粉砕され、人々から遠い過去に忘れ去られてしまった。あれから足掛け三十五年、ベートーヴェンは当時に置き去りにされた未来を、過去から救い出し現在に置き換え、再び未来に手渡そうとするのである。当時に希求しながら実現できなかった思いを、ベートーヴェンはいまだその胸にしっかりと暖めていた。この作品の冒頭で持続するホルンの響きは、過去と未来を現在進行形に表わす響きだったのである。
 紡いできたものをホルンの響きが、ボン時代の時代思潮を甦らせたのである。幼鳥が羽をいっぱいに広げ、伸び伸びと大空を滑空する世界は、当時の若きベートーヴェンの希望を隅々まで満たしていた。頌歌「歓喜に寄す」は、彼のもっとも進取に富む時期を象徴するものとして甦った。したがってベートーヴェンはこの作品を創造していくうちに、この第四楽章にシラーの頌歌を導入することは必然と考えるようになっていったのである。それは誰でもが口ずさむことのできる口伝に引き渡される。そして人々が連帯の絆を覚醒するためには、あのボン時代のように、人々が口づさんだ当時の熱狂を取り戻さねばならなかったのである。
 そのためには旋律は無限の可能性を秘めながら、簡潔で未来永劫にわたって受け継がれていくものでなければならなかった。コントラバスが奏でるレシタティーブは、他の声部にも引き継がれ永遠に循環する旋律である。この旋律はもうこれ以上発展はしない。変奏のしようもなく循環のなかで繰り返されながら、そのなかに無限の可能性が秘められている。まるでメビウスの輪のように循環するこの旋律は、交響曲第三番第四楽章の希望の旋律を受け継いで、人々に差し出したのである。当時期待に膨らませた未来は、いまだ未来のままであった。人々が忘れてもベートーヴェンは忘れなかった。忘れてはいけないものだったからである。彼はそれを「歓喜に寄す」の旋律に刻み込んだのである。希望はすべての人々に等しく分け与えられるものでなければならなかった。そして実感できるものでなければならなかった。
 平生はバラバラな行動をとる個人だが、みずからの内発的な働きにしたがって一つの共感に結ばれるためには、旋律に始めからそうした性質が具わっていなければならない。その旋律は、それが高らかに響いたとき、おのずから心性の一体化に集合するものでなければならなかった。そして希望は一〇〇万人の人々が分かち合い、歓喜となって口ずさむものでなければならなかったのである。その旋律は追憶に止めてはならず、循環のなかに謳い継がれていくものであった。また交響曲第五番の運命のモチーフのように一瞬にして記憶に残るとしても、人々を威嚇する要素を含んではならなかった。聴き手に緊張を強いるものであってはいけなかった。まさしく一〇〇万人の人々が、心を開き誰でも口ずさむことのできる単純だが心に響く旋律でなければならなかった。そこでまず悪戦苦闘しながら出来上がったこの旋律を、コントラバスのレシタティーブに語らせたのである。こうして彼の八曲の交響曲には見られない、器楽によるレシタティーブという独創的なやり方になったのである。ベートーヴェンはこの旋律に行き着くまでに何度も推敲を重ね呻吟している痕が、その草稿やスケッチに残されている。天才の閃きで出来上がった旋律ではない。
 雌伏一〇年、ベートーヴェンは奈落の底から這い上がり、未完に終わった共感の場をこの交響曲第九番で復原しようとしたのである。これまでのベートーヴェンは、彼の前に立ち現われていた大理石の塊を、みずからの創造の裡になかば強引に削り取ることであった。苦心惨憺しながらも、彼の創造に現われたものは、自由意志の主体的な印象となって、ベートーヴェンという作曲家の個性が全面に押し出てきていた。大理石の塊と対峙し、聴き手を当事者に引っぱり込むものであった。だが苦衷の数年をくぐり抜けてベートーヴェンに見えたものは、大理石の塊に映る生きとし生ける人々の生き活きとした生成であった。第五章で紹介したベートーヴェンの肖像に見るするどい眼差しは、ついに水平に連なる隣人たちを捉えたのである。その視線は彼の魂によって観照されながら、人々と対立するものではなく、人々を受け入れ、共に歩み、寄り添うものに変わっていた。
 生物的環境を突き破り、二足歩行に立ち上がった人間は、生きとし生成するみずからの裡に存在を意味付けようとする。それは人間社会という制約に塞がれていた始原世界への再帰に通じる道であり、未到の荒野を切り開く独創の道につながるものであった。ベートーヴェンの場合、自己実現の欲求は近代的自我と理性に捉えられるだけではなく、人間の根源に迫り始原世界への憧憬と結び付いていた。だがそれは過去に確かめながら、未来へ向かうものでなければならなかった。芸術は人間の裡に潜む自己実現の欲求に外から力を貸すと同時に、内側から覚醒させるものである。ベートーヴェンは虚栄やプライドといった外から被せて取り繕う皮相的な仮面を剥ぎ取り、人間性の内部から湧き起こる原初的なプリンシプルを呈示しようとしたのである。自由や平等を権利として意識せずとも、自然の摂理に従ってたくましく生き抜く生命原理を、ベートーヴェンは人間の身体的律動のなかから捉えたのである。ベートーヴェンはそうした対象を彼の心で穿ち、耳に翻訳して、いわば感性の深みから形而上に起こる心性の奥深くをその音楽に映し出していた。
 自己を実現させるということは、みずからのそうありたい自分に、自分を適応させる努力であっても、創造にそれを展開させるには、そこに生成する人間の営みが反映していなければならない。そしてそれは隣人である他者との応答のなかに確認できるものだ。ベートーヴェンにとって創造は徳と芸術に生きることと同義であったが、その創造は自己実現を達成して完成されるものではなかった。それを受け取る人々がそこにいなければならず、共通の価値原理を確認できる共感の場が必要であった。そのためには創造それ自体を、目に見える人間の存在として表わさなければならなかったのである。それが人々の集う歓喜の合唱であった。こうしてベートーヴェンの音楽から煽動や恫喝や焦燥感は消え、寛容と受容を基盤に置く根源的な空間を獲得したのである。この作品一二五交響曲第九番ニ短調「合唱」は、欲望を喚起させるものではなく、それを抑制させるものでもなく、生き物の持っている本来的な属性への再帰を想起させるものとなった。一堂に集う歓喜の合唱こそ、意識を解放させ、生き物の性向を継承する人間の理性の開放となるものでなければならなかったのである。
 ベートーヴェンはこうしてついに人々や外部世界を受け入れたのである。だがそれはベートーヴェンからの申し出であって、これを受け入れるかどうかは受け取る人々の如何にかかっていなければならない。一八二四年五月七日、作品一二五交響曲第九番ニ短調はケルントナートーア劇場で初演された。演奏が終わると人々はその喜びに熱狂的な喝采を送ったが、聴衆に背を向けていたベートーヴェンにはその熱狂は届かなかった。見かねたアルト独唱のカロリーネ・ウンガーがベートーヴェンを聴衆に向けさせると、彼の眼に飛び込んできたのは、熱狂に拍手喝采を送る人々の喜びに満ちた顔々々であった。人々はベートーヴェンの申し出を受け入れたのである。こうしてベートーヴェンの心の裡にあって、彼の宇宙の中心をなす希望に輝く太陽が、人々の歓喜とともにここに誕生したのである。


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