んだんだ劇場2007年8月号 vol.104
No10
未来への宣言、ハイリゲンシュタットの「遺書」(3)

 バッハの音楽は、ベートーヴェンのように内面の発露や感情の衝動を覚醒させ、重厚で威圧的と感じさせるものとは違う。ベートーヴェンは精神が突き動かす衝動を形象化しようとして苦闘した。勿論ベートーヴェンは情動を生のまま書きなぐったわけではなく、推敲を重ねながら吟味し、掴み取った内なる混沌をどのような構築物にしようかと腐心している。ところがバッハは技法を受け継ぎながら、身につけた職匠的な技量を駆使して音楽様式に持つ形式の本質に迫り、そのなかから普遍の真理を導き出した。それが目的だったとは必ずしも云えないということもできるが、バッハの真摯な態度が技法に磨きをかけ追及した結果である。
 こうして遺されたバッハの作品は、その音楽は巨大な構築物として迫ってくるのである。仮に職業としての矜持がそのような音楽を生み出したにしても、私はバッハがみずからの内性を神へ捧げる光景を想像してしまう。それは情動の迸りではない。静謐だが途方もない強い意志を感得させるものである。そのためにバッハの音楽は、私には神と向かい合う二人称の音楽に聴こえてくるのである。私には両者の間へ分け入っていく余地はない。神と向かい合っているバッハの姿を、まんじりともせずに眺めている第三者である私は、両者の前に佇立してその拮抗する精神に圧倒されるばかりである。
 バッハには自分や聴衆を意識して、音楽に訴えようという意図はまったくない。作品の持つ怜悧な倫理観は、自我を超克した清冽な音楽を奏でる。バッハはその職務の要請に応え、教会のために作曲した。そのことをつうじて神との二人称の境地に達する音楽を持つことができたのである。これに較べてベートーヴェンは、強引に聴き手を一方の当事者に引きずり込む。バッハに人間の苦悩に寄り道している余裕がなかったのではない。バッハは神の前に平等な人間が、人間社会のなかで階層を作り差別を生み、争いに発展する不条理を無視していたのでもない。そうした人間の属性を引き受けたとき、神の前に贖罪をあがなう祷りを書き、バッハを神との二人称の位置に付けたのである。こうした神への接近は、ルターの信仰に共通する態度が見られるように思う。
 私は声楽曲よりも、その器楽曲に特にそうしたバッハの姿勢をより感じ取ることができる。それも合奏曲ではなく単一楽器で奏される作品のほうが一層直截的である。聴き手を意識したり、人間の心に持つ闇を表象する必然性はバッハの作品から消えている。無伴奏チェロソナタや無伴奏ヴァイオリンソナタなどはその典型だろう。オルガン曲やチェンバロの独奏曲などもそうだ。こもごもの煩わしさを突き抜けて、世俗から免れたところに位置しているのがバッハの音楽なのである。
 しかし日常の瑣末なことの端々に煩う、取るに足らぬようにみえる生活のなかで、バッハに悩みがなかったわけではない。二人の妻との間に二〇人の子をもうけて生活に追われながら、金銭への執着を離れて生活の実際は築けぬだろう。仕事上でも日常生活のことでも、人間関係に諍いが生じないわけはない。バッハにも悩みや苦しみや憤りがあって当然で、信仰心によって世俗の生き方から超然としていたというのではないだろう。人間関係や生活のために、バッハも職場を替えている。しかし煩わしく面倒な時々刻々の無聊をかこつ日々と、彼の作り出す音楽に命脈として流れる信仰の間に、直接の因果を聴き取ることはできない。職業としての職匠的な態度と、私生活上の心情が画然と隔てられている。
 バッハには理念や構想を将来に描き、それに向かって今日を準備するような、時間への顧慮というものが念頭にあるのではない。明日への備えのために今日を吝嗇にする態度ではなく、かといって今日の欲望を貪婪に貪る生き方とは違う。今日に要請されることは今日に応え、瑣事の雑務に取り紛れずに万事に油断なく対処する態度である。ひたすら今日の充実にひたむきに努力する態度である。日々の要請に黙々として応え、弱音を吐かずに邁進する態度がバッハにはある。聴こえてくるのはそうしたバッハの人生にたいする真摯な態度なのかもしれない。
 バッハの音楽は、教会の空間に静謐を奏でるに相応しい清冽な音楽である。太陽と地球の関係のように、バッハの時間には宇宙という時空が単位となるような、計り知れない大きな力が漲っている。しかしそれはあくまで底流であって、彼の音楽は毅然としながら、敬虔な祷りが響きわたる。そのことがバッハの音楽が悠久なる時の前で、時間というものの意識を取り払い、静動の力の均衡を保ち、神と共に動きながら静止しているように聴こえてくるのだ。バッハにとっての時間は、過去、現在、未来にまたがって洞察する時間というようなものではなく、神の前に静止する現在がつねに延々と続く。すべてのことが創造主、神との一点に照射されているのである。こうしたバッハの音楽を聴いたあとでは、ベートーヴェンの音楽はいかにも血の気が多いように聴こえてくるのである。
 ベートーヴェンは、一八〇二年五月から一〇月にかけての約半年間をハイリゲンシュタットで過ごした。この間、彼は通俗的な時間を超えたみずからの時間と向かい合うことができたのではないだろうか。じっと己を見つめみずからの時と対峙していたのではないだろうか。みずからの芸術を過去から現在、現在から未来へと連ね、そうした時間を横断的に捉えてみたときに現れてきたものは、生活を刻む毎日の時間ではない。外部からの介入のないみずからが獲得した時間であり、己の発意によって使うことのできる絶対的時間であった。それは内向する時間といってよいかもしれない。これこそが彼にとって自由の扉を開くものであった。音を失うかもしれないことを覚悟したとき、ベートーヴェンは生涯にわたって広がる時空を獲得したのである。このみずからが獲得した「時空」のなかでは、生活時間に拘束されない精神の解放がある。宙空に放つ全き精神の舞踏である。
 二十世紀が生んだ哲学者として評価の高いハイデガー(1889〜1976)は、ナチスとの関係を黙して語らなかったが、「存在と時間」のなかで時間というものを通俗的な時間と根源的な時間に分けて思索しているという。これをハイデガーの研究に造詣の深い木田元氏に敷衍していただくとつぎのようになる。「人間以外の動物は、そこに多少の幅、多少の厚みはあるにしても、いわば・現在・だけを生きている。動物にとっては現在与えられている環境だけがすべてであり、それにだけ適応して生きているのである。人間はその・現在・のうちにあるズレ、その差異化を惹き起こして、通常・未来・とか・過去・とか呼ばれている次元を開き、その・現在・・未来・・過去・のあいだに複雑なフィードバック・システムを設定し、そこにまたがって生きることができるようになった。つまりは、おのれを時間として展開して生きることができるようになったのである。人間は現在を生きるとき、未来や過去をも共に生きている」のである。
 そして「人間が自分にとっての究極の可能性である自分自身の死まで先駆けてゆき、それにある覚悟をさだめるという仕方で開かれてくる未来から出発しておのれを時間化するような、そうした時間化作用に時間の根源的現象を」見ている。したがって「人間にとって自分自身の死は、誰にも代わってもらうことのできない『もっとも自己的な』、『他人との関わりのない』、『確実な』、だがそれでいていつ襲ってくるか『不定な』、しかも『追い越すことのできない』、つまりその先にはいかなる可能性も残されていない、究極の可能性である。この究極の可能性である自分自身の死にまで先駆してそれに覚悟をさだめることによって、人間は真の自己に到来するのだが、それは・既に在りつづけてきた・がままの自己に立ちかえり、それを引き受けなおし、反復することであり、そのようにして自分の置かれている状況を能動的に・現前せしめ・、それを直視する」ことでもある(「偶然性と運命」木田元著岩波新書)。
 ハイデガーの思索は、個というものの主体的な思惟を究極の個に仮託させ、現在、過去、未来にまたがって生きる自己を想定する。はからずもそのことがナチスの人為淘汰による優生的な民族の選別というイデオロギーと重なり、優越する人間の適者生存というコースにハイデガーも乗ったのではないだろうか。ナチス的システムを利用して、究極の個人で構成する理想社会を建設しようとしたハイデガーは、その野望をナチスに投影したことになる。
 こうしたハイデガーの時間概念を、ベートーヴェンは閑静なハイリゲンシュタットで過ごすうちに、究極の可能性である死にまで先駆して、みずからの時間に思いを馳せたのである。そしてベートーヴェンは未来から遡及した現在と、反復する過去から導かれる現在を結びながら、みずからの存在と芸術の関わりを更めて引き受け直したのであった。ベートーヴェンは、衆が徒党を組み何かに荷担することから身を引いていた。芸術を創造するということは、バッハの神との関係のように彼には二人称の問題だったのである。彼にとっての未来は不確実で未知な世界ではなく、みずから生きとし生ける時空を想定しており、そうした時間化した現在に、いまだその創造が到達点に達していないことを知った。
 平生、私たちは周りの人々や事物のなかに埋没して、自分というものをそうした外部との関わりから理解しているつもりでいる。いわば自分とは何かという本質的な問いを問う必要のない、ありふれていながら大切で苦労の多い日常性のなかで、当面の関心事や移り変わりに自分というものを散逸して日常に埋没している。ハイデガーにすればそれは本来的自己の喪失状態にあるのだが、何かをきっかけに死への自覚が生じて、取り繕われた日常性が破られ、その先には何の可能性も残されていない自己を発見し、そこから主体的に生きようという本来的な自己というものが浮かび上がってくるのである。こうした本来的な人間存在の意味を時間性に捉えたハイデガーであった。ベートーヴェンはハイデガーのような哲学的思索からの出発ではなかったが、本来的自己というものを、創造を通じて根源的に捉えた芸術家だったのである。
 さてこの交響曲第二番は、遺書が書かれる前にほぼ完成されていたという。第一楽章の冒頭から、自信に満ちたベートーヴェンの堂々とした勇姿が浮かぶだけである。二つの和音が高鳴り、この強奏によって叩き付ける二つの和音は活動の合図である。三三小節に及ぶ序奏部で始業点検が終わるといよいよ行動開始である。段取り八分が成功の秘訣と言われるが、まさしく周到な準備による計算されたメカニズムは一分の狂いも生じさせない。役割分担が細目にわたって指示され行き届いているために、音符を無駄に浪費しない。作業は停滞することなく、整然と運んでいく。序奏部は先の第一交響曲を拡大していて、主題に到達したあとは例によって軽快なリズムに乗って颯爽と走り出す。私たちはベートーヴェンの聴覚の障害や「ハイリゲンシュタットの遺書」に見られる深刻な気分などを忘れて、この爽快な気分に浴するだけで満足である。ベートーヴェンは先の交響曲第一番とこの第二番で、ソナタ形式による交響曲様式を自家薬籠中のものとして手に入れた。ハイドンとモーツァルトの手で確立された交響曲の様式は、ベートーヴェンの手によって、概念をともなった形式に変貌を遂げるのである。
 ベートーヴェンの音楽は、一つの観念が情動となって爆発を起こしているように聴こえてくる。爆発するエネルギーの勢いを借りて、一気呵成に作品が出来上がったように考えてしまう。思いのたけを五線紙に轟然と叩き付けて作品にした印象が残る。筆跡がまるで殴り書きなのである。曲を聴いた印象はそうである。ところが彼は膨大なスケッチを残しており、歴代の研究者の研究や分析によって、各々の作品の創作過程が明らかになると、推敲をかさねて彫琢しながら作品の一つ一つを吟味して、論理的で合理的に構成されていることが判っている。
 一つのものを表現し伝えるという方法や手段だけを捉えても、音楽は楽想を記号化して表現するという多くの約束事で出来上がっている。他の表現手段よりも形式を整えるための制約はずっと込み入っていて複雑である。記号や符号や指示が作品の性格を決定するうえでたいへん重要になるし、一小節に含まれる音符の数とか速度の指定は数理的に決められなければならない。こうした具体的な表記がなされているにもかかわらず、スコアに表わされた作品自体は抽象的である。譜面を読めない私には、譜面を見ただけでは演奏をイメージすることはできない。一つの作品をスコアで見せられて、これは後世に残る名曲だと言われても、少なくとも私には想像することすら不可能である。文字で表わす作品や、視覚を通して訴える作品のように、感動したり評価したりすることはできない。演奏として音に表現されなければ一般には全く伝わらない芸術である。その演奏も目に見える具体的な形に表わすことはできない。奏でられた音は一瞬のうちに消えていく。
 またその演奏には演奏者の演奏技術と解釈が伴う。仮に作曲者が意図したところを正確に譜面に著しても、それを解釈して表現すること自体に、演奏者と作曲者の間に乖離が生ずることがある。絶対者である譜面は、演奏行為をとおしてその絶対性を相対的に立証させなければならないのである。スコアや解釈上の問題からはじまり、演奏技術と解釈上の組み合わせが百人百様の演奏を生む。演奏者の数だけ作品解釈が生まれるのである。演奏に、譜面をとおして表現することの絶対的な基準がないことを、わざわざ演奏をとおして証明してしまうことになる。
 ベートーヴェンはヴィーンに出て来た当初、ハイドンのほか数人に師事して当時の一流の音楽理論を学んでいた。彼の意図するものを表現するためには、既存の形式枠からは逸脱する広がりを必要とするようになっていた。既成服が合わなくなったのである。彼はハイドンに内緒で、ヨハン・ゲオルグ・アルブレヒツベルガー(1736〜1809)に師事していた時期があった。一七九四年の年初から一七九五年春頃のことである。そのアルブレヒツベルガーはベートーヴェンの学習について、音楽にたいして全く自由な精神の持ち主で、既存の理論から何も学び取ることはなく、秩序立てて何かをすることもないといった主旨のことを知人に語っている。
 従来の音楽理論に基づく様式が、彼の目的とするものを窮屈にしていた。澄んだ和音の響きのほかにも音楽に表現する音があるし、個々の楽器の音も各々に表情を持っている。それまでの音楽理論からは窺い知れない人間の情念を音楽のなかに表現するために、ベートーヴェンは創意工夫していくのである。この作品では第三楽章をそれまでのメヌエットからスケルツォに変えたのも、彼の既成に囚われない天分が奔放にはばたくために必要だった。音の響きの重厚さを底流にしながら各楽器の軽妙な変化や、音色と強弱のコントラストなど、この作品の全曲をつうじてベートーヴェンは独自なものに表現するのである。
 芸術は日常の概念ではとても想像できないような、未知の世界を提起することがある。損得を離れて犠牲を求め、禁欲を促すような道徳的価値観を投げつけてきたり、逆にエロス的欲求の解放を唆したりする。安寧のうちに重ねられたエートスと、芸術の創造から生まれた価値観が緊張関係として対照される。過去に受け入れられてきた芸術作品にしても、あるものはその前衛性を拒まれながら、時代の淘汰を潜り抜けて生き延びてきた。現実からかけ離れ時代に先行する作品は、同時代からの否定的な評価とつぎの世代の見直しによって復活し定着していく。
 芸術作品は、人間の理性や感情と、身体の不即不離な関係から生まれてくると私は先に述べたが、それにしてはこの作品にはこれまで述べてきたような苦悩の痕のかけらもない。どこをどう聴いてもそんな痕跡を発見することができない。この作品はミステリーである。「ただ彼女が、芸術が、僕をひきとめてくれた」と遺書に述べたベートーヴェンの未来への積極的な志向が反映されていて、この作品の持つ明るさはあまりに楽天的に過ぎるのである。
 この作品の初演当時の評判は、さして芳ばしいものではなかったようである。そのなかで「一般音楽時報」は次のように評している。「この交響曲こそは熱血漢の作品であり、凡百の当今世にはびこっている流行作品が、やがてこの世から姿を消す時代になっても、おそらく残るものであろう。ベートーヴェンは一つのよい予言をしているが、これは正しいと思う」。
 この予言はつぎの作品五五で、予言以上の壮大な創造となって姿を現わすのである。


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