んだんだ劇場2005年9月号 vol.81
No1
はじめに
 2005年8月20日、高校で開催する大手予備校の模擬試験を控えている。模試と聞くだけで胃が痛くなる。私だけでなく試験の好きな高校生なんているのだろうか。
 その試験(高校受験)で、わざわざ北海道まで出かけたことがあった。

 2005年2月、札幌から4時間もかかる北海道の北東にある「網走」にいた。
その時期は「さっぽろ雪まつり」とも重なり、網走は流氷を一目見ようという観光客でごったがえしていた。
 前年、私はある高校の受験に失敗した。やけくそになりながらも予備校に通い、スーパーでバイトをしながら「浪人生活」を送っていた。
 そんな私に目標が出来た。せっかく浪人したんだし、ここで一念発起して、有名私立高校を受けてみよう! と突然ひらめいたのだ。
 その目標を実行するために吹雪の中、猛勉強……ではなく、逆に冬期講習も出ないで、スーパーでのバイトに精を出した。その某有名私立高校のある場所が北海道なので、秋田市からの旅費を工面するためである。

 バイトでためた14万の大金で北海道行きの切符を買った。
 受験の前にとりあえず網走、釧路、稚内を観光した。旭川では氷点下10度の中、事前に情報誌でチェックしていた有名ラーメン店の「醤油ラーメン」に舌鼓、うまかった。
 これが翌日、受験を控えている少年のやることだろうか、と内心、自分自身に突っ込みも入れてみるのだが、空腹にはかなわない。
 試験は……予想どおり散々な出来だった。帰ってくると、予備校の講師からキツいお灸を据えられた。

 有名私立高校というのなら、明らかに東京の方が充実している。が、私は北海道を選んだ。それには理由があった。
 私は歴史が好きだ。それも世界史や日本史といった大所高所の高みから見る「古い時間」の歴史ではなく、私自身の身体の中に流れる血のルーツを知りたい、という「等身大の時間」の歴史である。歴史の中でも「中世」が特に好きだ。その理由はオイオイ述べていくが、私の先祖が、この「北海道」という土地と深く関係をもっていた、というのが北海道への関心の最大の理由だった。

 先祖――あまりにも漠然としているが、私が自分の先祖に興味をもったのは中学生の時である。
「私の先祖はどんな人だったのだろうか。武田信玄や上杉謙信みたいに大人物だったらいいなあぁ」
と夢みる中学生だったのだが、それが一挙に歴史の「深み」にはまり込むことになったのは、数年前に私の親族が書き残した先祖に関する『諏訪家系類項』という小冊子の存在だった。
 この小冊子には、諏訪姓の発祥や家系を考証するための資料や先祖に関連のある寺社の紹介が掲載されていた。
 はじめ、「諏訪」という名前から長野県諏訪に関係のある人物なのだろうかと、調べていくうちに、諏訪氏の子孫ではなく、なんと藤原氏の子孫だということが分かった。資料の中に、
「藤原房前大臣五代後裔 従五位下工藤伊豆守為憲是工藤氏出遠津相也」
という記述を見つけたのである。
「自分の先祖が、歴史の教科書にも載っている、〈大化の改新〉で有名な藤原鎌足の子孫だなんて……」
 歴史好きの中学生にとって、この事実は驚愕に価する事実だった。

 この家系考証資料を書き残した私の先祖は「諏訪与一郎祀脩(すわよいちろうとしのぶ)」という人だった。
 「諏訪家系類項」によると、トシノブは1844年(弘化元年)、由利郡岩谷村大谷(現・由利本荘市大内字大谷)の工藤家に生まれている。
 そして漢学、国学を修学し、北海道に渡って祭教両道に従事しながら切磋琢磨、歌道にも秀れた業績を残し、その後秋田に帰ってくる。
 帰県後は地域の門下生を通してその学の普及に当たり、さらに「諏訪教会講社」の教会長として地方先代に神道の顕揚に尽くした、と記されていた。
 トシノブは秋田の歴史の研究家でもある。由利郡の歴史について詳細に記し、「羽顕誌」や「中山実記」などの書物も残している。
 北海道でトシノブは石狩郡厚田村(現在は厚田郡)に住み、神道教育に携わっていたと言われている。
 トシノブが渡ったであろう、北海道。
 その土地をぜひともこの目で見てみたい。
 それが私を北海道に駆り立てた一番の理由であった。

 現在、私は秋田市内の公立高校の高校生である。
 中学時代は図書館に通いつめ、歴史の本を読みあさり、自身のホームページで「北出羽物語」(http://www.geocities.jp/kitadewa/)という秋田の中世史に関するつたない論考を発表し、自己満足していた。
 さらに過度の旅好きがたたり、東日本の歴史に関連のある場所を一人で訪れては寺社、旧跡を訪ねて、中学生の本分からはかなりはずれ続けていた。
 歴史と同様に自転車が好きで、ママチャリ愛好者でもある。チャリ旅についての「チャリ旅オンライン」(http://tyaritabi.fc2web.com/)というホームページも運営している。秋田県内であればほぼこのママチャリで、どこにでも出かけていく。深夜、どうにも気になり秋田市から約50キロ離れた能代市へ走ったこともあったほどで、その性癖は今も変わっていない。

 こんな中学生だったので「高校受験失敗」という現実も、それほど周囲に衝撃を与えたわけではなかった。(私自身はかなりのショックだったが)
 両親は、高校に落ち打ちひしがれているだろう我が子を慮ってか、「傷心旅行」に出してくれた。行き先は私のたっての希望で、甲信越、伊豆方面への旅に出かけることにした。

 今から15年前、高原といで湯の町「静岡県伊東市」で、私は生まれた。
 といってもこの地は生まれた病院があるだけであり、育った街でもないから、街そのものに馴染みはない。親戚もこの地にはなく、秋田からこの地に漂流した両親が住んでいるだけの街に過ぎなかった。
 だが、先祖に興味を持ち調べていくと、「諏訪家系類項」には偶然というにはできすぎた目を疑うような記述があった。
 平安末期の伊東の領主、伊東祐親(いとうすけちか)が私の先祖であるというのだ。
 当初、私は祐親どころか家系考証資料に登場する先祖の名前についてまったく知識がなかった。
 インターネットの検索サイトに先祖の名前を数名打ちこんでみて、はじめてそれらの人物が歴史の表舞台にも登場する「大物」たちであることを知ったのである。
 大河ドラマや歴史小説にも登場する「伊東祐親」――この人物が、どうやら私の先祖と深く関わっているらしいのだ。

 この伊東祐家の後継として生まれた祐親は、東国の平家方として平清盛の信頼を得た人物である。
「平家にあらずは人にあらず」
 源義朝が平家に破れた後、西国を中心に日本全国に平家の名は轟いた。
 祐親もその旗の下で伊東一円を治めていた。
 その後、祐親は配流された、義朝の嫡男、頼朝の監視役を任される。
 ところが祐親が在京の際、頼朝は祐親の娘、八重との間に子供を作ってしまう。これに激怒した祐親は平家への忠節のために孫である八重の子を殺害。頼朝は祐親に追われ命からがら韮山(現・静岡県伊豆の国市)の北条時政の屋形に逃げ込んだ。
 北条時政の仲介もあってか、祐親と頼朝はその後、和睦をした。
 祐親はその帰途ある事件に遭遇する。
 伊東の赤沢で工藤祐経の放った矢が祐親の後継、河津祐泰にあたり祐泰は死亡する。工藤祐経はかねてより親戚の祐親と領土問題でいさかいがあり、祐親を殺害しようと企てていたのである。
 ところが祐経の放った矢は、祐親ではなくその後継の祐泰にあたってしまったのである。
 祐泰の遺児はその後、曽我兄弟となり富士裾野で繰り広げられる仇討ちを成功させるのである。
 嫡男を失った祐親の苦しみは頼朝への憎しみとなった。
 その後、祐親は大庭景親とともに伊豆の石橋山で挙兵した頼朝と戦い勝利した。源頼朝は北条時政の娘、政子と婚姻して、北条の力を盾に必死に祐親に抵抗する。
 世の中では、貴族化した平家に愛想をつかした武士たちが頼朝のもとに集結し、頼朝の力は増すばかり、東国の祐親は孤立化した。
 富士川の戦いで伊東祐親は敗退。その後、伊豆鯉名浜で捕らえられ、自害する。

 インターネットや小説から、祐親という男の概要はどうにか捕まえることができた。会うことのかなわぬ歴史上の人物が生きた「場所」への憧憬は深まるばかりだった。
 祐親の活躍から1000年後、その子孫として伊東に生まれた私……。

――こうして始った傷心旅行の伊東行きは秋田から東京まで新幹線の立ち乗りだった。
 さらに東京から軽井沢、上田、長野を訪ね、史跡を堪能した。妙高山を越えて直江津へ。特急で新潟へ向かい。そこから夜行で新宿へ。目を覚ますと越後湯沢だった。大清水トンネル(国境の長いトンネル)を抜けると、そこは関東平野であった。

 関東は武士の国である。
 熊谷などの歴史を感じさせる駅を通過するたびに、祐親が近くなっていくような感じがした。
 さらに、後で分かったことだが、伊東市民にとって馴染みの深い「祐親公祭り」の開催地、新宿から品川へ抜け、茅ヶ崎を過ぎたあたりから視界に相模湾が入ってきた。
 伊東の駅から東海バスに乗り、物見塚公園で下車。ここはかつて伊東一族居館のあったところだ。近代的な市役所の隣にある平安武者の一騎の銅像。騎乗姿の伊東祐親はライトブルーの海を見つめていた。

 狩野、河津、宇佐美……子供の頃に馴染みの深かった地名が伊東一族の所領であったことも驚きだった。
 祐親亡き後の平家は衰退し、壇ノ浦の戦いで平家は滅びた。
 世の中は「中世」という新たな時代へと舵を切っていく。

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参考文献
・『諏訪家系類項』(諏訪兄弟会)
・『修羅の巨鯨 伊東祐親』(永井秀尚・叢文社刊)


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