んだんだ劇場2004年12月号 vol.72
No25
山形で大学生だったころ

 11月20日・21日に、大阪・舞洲で開かれた「第5回日本障害者卓球選手権大会」に参加しました。卓球大会のことは、別の機会に書きます。毎年、この大会に参加して、大阪にいる山形大学で知り合った友だちと会います。その度に、4年間の大学生活を振り返ります。

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「後で、ノートを見せて」
 このことが僕の口癖でした。高校までは教科書と参考書がありました。教科書や参考書に書いてあることをまとめるので、大切な箇所に線を引いていました。大学では、著書やプリントを使って講義を進める先生の場合は助かりましたが、板書して進める先生の講義は、ノートをとることが困難で、字を書くことができるが、大学の先生が板書するスピードで書き写すことができませんでした。授業の始めは良いけれども、自分のペースでノートをとっていると、急に黒板を消されてしまい、授業内容の理解不足につながると思い、友だちのノートを見せてもらいました。大学入学した頃、頼むことのできる友だちはいなく、隣に座った人に頼みました。
「僕は両手に障害があり、先生の板書内容をノートに書き写すことができない。もし良かったら、君のノートを見せてほしい」
 講義後、僕はノートを貸してもらっていました。「すぐ、返す?」と聞くと「来週の講義のときでいいよ」と言う人もいれば、「コピーをしてくれる」という人もいました。一週間かけて、ゆっくりと書き写すことができました。書き写すことで、講義内容をフィードバックできました。しかし、以外と時間がかかりました。1週間で平均して、10コマの講義を受講していたので、書き写す量は、かなりのものでした。毎時間の講義のノートを同じ人に頼むのでなく、僕の席の隣に座った人に頼みました。ノートを貸してくれた人が毎時間、講義に出席するとは限らないからです。ノートを借りて、当たり前なことですが、"人によってノートの取り方が違う"ことを実感しました。ノートは、講義の単位習得に大切なものでした。人によって、丁寧に書く人と大雑把に書く人がいました。一人ひとりが違って良いけど、そのノ―トを見て講義の試験に備える僕にとって、その個性は成績に大きく影響すると思っていました。男性・女性を問わず、先生の板書通りに書き写す人もいれば、先生が口頭で言った説明もノートに書き写している人もいました。ノートの取り方や字から、その人の性格が分かります。女子学生は全体的に読みやすく、色ペンなどを使って見やすく、まとめられていました。
 こんな感じで、1つの講義が終わると、凄いバライティーに富んだノートができました。1つの講義が12時間くらいなので、多いときで1つの講義ノートに、10人分の学生のノートが僕の講義ノートになりました。単位を取ることに、たくさんの人の協力を得ていると思うと、テスト前、単位を絶対に取ろうと思いました。
 僕の専門は数学で、問題を解くという演習形式の講義がありました。演習の講義は解いてきた問題を黒板に書き、それをみんなの前で説明し、先生がチェックする授業形式。僕は黒板に字が書くことが困難で、いつも同じ専攻の数学科の友だちに書いてもらっていました。
 ある先生は、「三戸君は前にでて、説明することが大変なので、説明しなくてもいいですよ」と講義中に言いました。大学の先生の中でも、このようなことを言う先生もいるのか…と憤りました。その先生に大学2年の前期から大学3年の後期まで、習いました。他の学生は自分が解いてきた問題を前に出て、その解き方を説明していました。「人前で解き方を説明することを通して、数学的な論理力を培うことができる」とその先生は説明をしていました。「だから、ただ問題を解くのでなく、人に分かり易く説明できることが大切なのだ」と。その話を聞いて、(僕の数学的な論理力の育成は、どのように考えているのだろう)と疑問に思いました。数学科の友だちは「オマエは良いよなァ。黒板に解答を書けば良いんだモンな」との言葉に、「いいだろう」と強がってみせました。だけど、他の学生と同じように説明をしたかった…先生は、脳性マヒで言語に障害のある僕に対する配慮、または先生の優しさと思います。しかし、黒板に出て説明することを免除されて、単位を取ったとしても全然面白くなかった…
 他の学生は、
「この証明問題は、この定理を使いました。すると、この式が導き出されて…よって、この問題を証明できました」
と、先生は学生の説明を聞きながら、
「どうして、この式から○○のことを言うことができるのだろう。もし少し、説明を加えてくれないと…」と学生と議論をして、数学的な論理力を養うのであろう。僕の場合は、
「この問題は、ここにこの式を付け加えると完璧ですね」と言って終わりでした。
 この先生の授業は、いつもモヤモヤしていました。大学3年の後期の講義で、長年の思いを先生にぶつけました。ちょうど僕が解いた問題を先生がチェックするとき、
「先生。僕も前に出て、みんなと一緒に説明したいです」
「その必要はありません。あなたは大変だから、良いですよ。それに黒板にも誰かに書いてもらっているんでしょ」
 一瞬、その場の雰囲気が凍りつきました。すると、一緒に講義を受けていたS君。
「彼に説明させてください。彼はやりたいと言っているんです」
先生の気持ちは変わらなく、講義が終わった後、S君と先生の研究室に行きました。僕はしつこいような気もしますが、もう一度自分の気持ちを話しました。忙しいことを理由にして、話し合おうとしませんでした。そういう先生の態度を見て、S君と顔を見合わせ、思わず笑ってしまいました。先生のお墨付きをもらったような気がして、気持ちがとても楽になりました。
 単位修得のために、レポート提出と時間内に行うテストがありました。レポート提出には障害があるための配慮事項は、ありませんでした。時間内に行うテストに、配慮してほしいことがありました。高校までは特別な配慮が必要なく、僕はテストを受験してきました。それは1問1答形式がほとんどで、記述量が少なかったことが理由です。大学では、自分の考えを問う問題ばかり。先生が与えた課題に対して、自分の考えを記述するので、ある程度の文量を求められました。大学1年の初めのテスト。何も知らない僕は"大学のテストは、どのようなテストだろう"と期待していました。
『○○に対して、あなたの考えをまとめなさい』という論述形式でした。B41枚表裏、横線が引いてあるだけでした。その横線の間隔が狭く、1行に納まらなくて、2行に書きました。
 "テストの配慮をお願いしよう"
 高校まで、他の生徒と一緒にテストを受けて、国立大学に現役で入学できる成績を修めてきた僕にとって、テストで配慮を受けることは、1つの決断でした。テスト時間を延長してもらわなければ、僕の考えをしっかりと記述できない…時間が足りなく、書くことができないことは、正当に評価をされていないような気がしました。また、解答用紙も一般的なものは使えなく、白紙の答案用紙に自分の字で書くことを希望しました。1行の間隔が狭いと、その行に字を書こうとするあまり、脳性マヒ特有の不随意運動が激しくなり、僕の書いた字は読みずらくなります。
 テスト前になると、その先生の研究室へ相談に行きました。
「先生、今度のテスト、書くことが困難で…配慮をしてほしいので。試験時間は通常の1.3倍にして下さい。解答用紙は白紙のザラ紙で…」
 ほとんどの先生は「その基準は何ですか」と聞きました。「時間が1.3倍は、大学入試センター試験の身体障害者への配慮事項を基にしている」と言うと、先生は納得してくれました。「よし、その条件でやろう」という先生もいれば、「5つ問題があるけど、こことここを答えたら良い」と言う先生もいました。
 テストのとき、配慮を受ける僕は必ず単位を取らなければという気持ちになりました。僕が真面目とかじゃなくて、様々な配慮を受けて、もし仮に単位が取れなかったら、その先生に申し訳ないという気持ちになりました。当時の山形大学教育学部は4年間で卒業単位を取れば良いことになっていました。だからと言って、何度も同じ講義の試験に対する配慮のことを相談するために研究室を訪れることは、気が引けました。充分に条件を整えてもらって、単位を取れなかったとしたら…しっかりとテスト勉強をしました。講義の先生に【人に配慮を頼んでおいて、なんだアイツは】と言われないように…無言のプレッシャーを感じていたから。
 友だちは、不思議なもの。友だちを作りたいと求めても作ることができるわけでないと思います。もちろん、友だちを作りたい…友だちが欲しいという気持ちは大切だけど、ときにはその気持ちが邪魔するときもあります。友だち関係は自然な成り行きで…振り返ってみて、「あれがきっかけだった」「あそこで、出会ったことが始まりだったんだ」と思い出して、「あれがきっかけなんだね」とお互いに笑い合える関係が友だち関係と思っています。
 大学で、よき相談者の一人のN君と出会いは、今でも覚えています。
 大学に入学して、1ヶ月が過ぎた頃、弁当屋に弁当を買いに行きました。「ハンバーグ弁当」を注文して、椅子に座って待っていると、靴の紐が解けていることに気づきました。誰かに結んでもらおうと思っていたとき、ちょうどN君も弁当を買いにきました。N君に「スミマセン。靴の紐が解けたから、結んでくれませんか」と頼むと、頷いて靴の紐を結んでくれました。そのとき、不思議とN君に運命的な出会いを感じて、何故か分からないけど「明日のお昼休みに、教育学部三号館の六階の部屋に来れる?」と尋ねました。N君はとても律儀な人のようで、手帳に書き込んでくれました。
 次の日。約束した場所に行くと、N君は待っていました。「昨日。靴の紐を結んでくれて、サンキュー」この一言をかわきりに、N君と次の授業が一緒に昼食を食べました。これがN君と友だちになったきっかけです。
 N君と会うたびに、「靴の紐だよなァ。あの紐、赤い紐でなかったよな」と話をしています。
 僕は障害を持っているので、人にサポートしてもらわなければならない。大学生活を通して、これは僕の弱さでもあり、強さであると思うようになりました。人は、それぞれの弱さを持っています。自分の弱い部分に卑屈になるか、あるいは弱い部分を助けてもらおうと考えるかで、その人の生き方が随分と変わってくるように思います。
 【大学】は、まさに天国でした。キャンパスには、僕の不便なところをサポートしてくれそうな人は山のようにいました。初め、僕のシンドイところを人に頼むことに抵抗がありました。
「爪を切って下さい」
なかなか言えなかった…だけど、大学内で爪を切ってもらわないと、誰も切ってくれる人はいなかった。講義ノートと同じように、講義の席が隣に座った人から声をかけていきました。もちろん、人によって、対応が全く違いました。快く受け入れてくれる人、無視する人、一見快く受け入れているように見えても義務感でやっている人など…「次の授業があるので…」「バイトの時間なので、すみません」と僕の頼み事をできない理由を言ってくれたのなら、不愉快な気持ちになりません。でも、無視をすると、意地悪かもしれませんが、また頼んだりしました。しつこいのかなぁと思いましたが、頼み事を無視する方が僕に対して、失礼なことと思っていました。始めの頃、<人に頼んで、サポートしてもらう>ことに終始していました。大学生活に慣れてくると<頼んでいくことによって、多くの人たちと関わることができる>ことに気づきました。そして、<自分の不便さをサポートしてくれるように、働きかけることで生まれる人との触れ合いが自分の最大の楽しみ、または喜び>と実感しました。
 爪を切ってくれたとしても、接し方で相手の気持ちが伝わってきました。ただ爪を切る人、緊張しているのか、逆上せているのか、僕に惚れているのか分からないけど、赤面して爪を切る人、楽しい会話を弾ませながら爪を切る人、人の爪を切りながらついでに自分の爪を切る厚かましい人など…人によって、様々でした。人への接し方も痛烈に考えました。同じ内容でも言い方によって、人の反応が変わりました。効率良くサポートをしてもらうためには、その人に合った適切な言い方を考える必要がありました。例えば、「爪を切ってよ!」と気軽に頼んで良い人と、「生まれつき脳性マヒの障害があるため、爪を自分で切れないため…」と説明をして納得をしてから、サポートしてくれた人…僕の話を聞いて、身の危険を感じたらしく、断る人もいました。
 できることは自分でやり、できないことは億劫がらず、怖がらず、人に頼んでいくことが大切なような気がします。そうすることで、自分を知ってもらい、結果的に友だちもできました。また、何事も人に感謝することが大切。態度はどうであれ、サポートをしてくれたら、「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えることがその後の人間関係において、どれほど効いてくるのか身をもって体験しました。「ありがとう」と言うと、次も気に留めてくれ「何か困ったことがない?」と聞いてくれました。「ありがとう」と言う感謝の気持ちを伝えないと、僕を見ても素通りするだけでした。


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