んだんだ劇場2004年7月号 vol.67
No21
土手から落ちた!

 6月19日〜21日、「秋田市中学校総合体育大会」があります。そのため、秋田西中は、6月7日から2週間、部活動強化期間。通常6時間の授業を午前中の4時間で終わり、午後を部活動の練習に当てます。吹奏楽部や美術部などの文化部の生徒や部活動に入っていない生徒は、応援練習をします。校歌や「フレーフレー西中」のエールが校内から聞こえてきました。
 今年度、卓球部の部長になりました。今、一番夢中になっている卓球の部長です。飛び跳ねたくなりました。男子卓球部・女子卓球部にそれぞれ監督がいます。そして、コーチの方がいます。卓球部の部員の掌握や練習試合を組むことは監督の仕事、練習メニューや選手への技術指導はコーチの仕事。部長はその名の通り、部長です。全体を統括する役割です。
 7日、男子卓球部監督から「1年生の生徒、練習の前に土手を走らせるので、先生見てくれませんか」と頼まれました。早速、ワイシャツ・ネクタイからTシャツ・トレパンに着替え。自分一人で着替えることができないので、必ず男性の先生に「着替えをサポートしてくれませんか」と頼みんでから、更衣室へ行きます。ネクタイを取り外すことはできますが、ワイシャツのボタンができません。だから、ワイシャツのボタンを外すことを手伝ってもらっています。ワイシャツを脱ぐことができたら、一人で全部できます。手伝ってもらいながら「毎日、ワイシャツなど、どうしているの?」と聞いてきます。「ヘルパーさん、母さんに手伝ってもらっています」僕の生活を知ってもらえる機会です。着替えが終わって、更衣室から出ると、待ち伏せしていたかのように1年生の卓球部の生徒が立っていました。「グラウンドへ行きましょう」と生徒の言葉に足取りが軽く、玄関へ向かいました。
 玄関で靴を履き替えたら、電動車椅子に乗りました。「先生、押しますよ」と生徒。グラウンドに着くと、運動部の生徒が土手をランニングしていました。5人の1年生部員に「監督が言ったように、土手ランを4周しなさい。後ろから、電動車椅子で付いて行くからな」と指示を出しました。青空の下、6月の風に吹かれながら、心地よさを感じていました。電動車椅子の最高速度6q。最高速度を出しても、段々と生徒の背中が遠のいていきました。(早いな…)と思いながら、生徒の背中を追っていました。
 「三戸先生、土手(グラウンドの外周)を走ろうよ」
卓球部1年生の男子生徒が近寄ってきました。僕は『走ろう』という言葉の響きに新鮮な気持ちになりました。記憶を辿ってみても、「走ろうよ」と声をかけられたことは、高校生まで遡ります。最近、ほとんど聞かなくなった言葉。そして、考えてみると、自分から「走ろうよ」と呼びかけなくなったことに気づきました。数学の質問をするように、「走ろうよ」と言う生徒に吸い込まれるように、「いいよ」と答えました。
 生徒は3周を走り終わっていたので、残りの1周を僕と一緒に走りました。暫く走っていないので、走ることができるかナァ…しかし、考えてみれば、中学生のとき体育の時間で走ったコース。不思議と、走れるような気がしました。「先生、ゆっくり走ろう」と生徒。僕は走り始めました。電動車椅子に乗っているより、気持ちの良い風が吹き抜けました。"中学生のとき、仲間と走ることで自分のことを知ってもらったな"と思い出し、教師になった今でも同じ感覚で走っている自分がいました。「先生、あそこまで行ったら休もう」と生徒。1周600mのコースを7分くらいかけて、走りました。
生徒「先生、走るの早いよ!」
僕 「どうして、決して早くないと思うよ」
生徒「先生と僕との身長差は、20pあるんだよ。歩幅が全然違うじゃん」
 8日。生徒の間で、僕が走ったことは話題となっていました。「先生、昨日、土手ランしていたでしょ。かっこよかったよ」という生徒に、思わず苦笑い。
「私、先生が走っている姿を見ていました」
「先生、今度一緒に走りましょう」
予想外の生徒の反応に、すっかりと気を良くしていました。僕のモットー『ありのままの姿を生徒に伝えていきたい』が実感できたような気がしました。4月に赴任したばかりの学校で、生徒との距離が近くなったような気がしました。
 9日。試合に出場する選手は、グラウンドで行進練習をしていました。その周りを走ることに少し恥ずかしい気持ちがありました。だけど、1年生の生徒が「一緒に走ろう」と言うので、それを拒む理由はどこにもありません。土手ラン4周を走りました。"小学生の頃から"最後まで、成し遂げたい"という見えないプレッシャーが感じていました。走り始めたら、完走することしか頭にありませんでした。冷静に考えると、卓球部の生徒に「一緒に走ろう」と言われ、走っているだけのこと。完走を課せられたわけでなく、まして、走ることも課せられたわけでありません。1度やり始めたら最後まで"という性格は今も変わりありません。生徒は僕の伴走者となっていました。どちらの練習なのか良く分かりません。「先生、パラリンピックを目指していますよね」と生徒。僕は「ウウウ〜」と返すのが精一杯。「いつですか?応援していますので、がんばってくださいよ」と生徒。4月当初の自己紹介で、【パラリンピックに出場の目標があることを話して、一人ひとりの目標を持って学校生活を送るように】と結んだ内容でした。生徒の中で、かなり飛躍しているナァと思いながらも、受け止めている生徒に手応えを感じました。「走る→歩く」を繰り返しました。走っていると横腹が少しずつ痛くなり、呼吸も激しくなります。歩くと、身体が楽な状態になるため、足取りが重くなります。走り出すために、"走るぞ!"と強い意志が必要になります。走ると、元々不安定な歩き格好がさらに不安定になります。バランスが悪くなります。転倒しないように、砂利道は歩くなど気を付けながら走っていました。1周走ると、電動車椅子に座って休むことを繰り返して、4周を走りました。走り終わったとき、崩れるように芝生に寝転びました。太陽の光が眩しく、顔を横に向けました。起き上がろうとしても、仰向けの状態から起き上がることができなく、生徒に手を引いてもらいました。背中に付いた芝生を生徒はほろってくれました。
 職員室で休んでいると、行進練習をしていた卓球部1年の生徒が「身体が訛るので、僕も土手ランしたいです。先生、一緒に走りましょう」と話してきました。たった今走り切ったばかりで、さらに走り切る余力はありませんでした。その気持ちを伝えると、「いいですよ。先生は電動車椅子で走って下さいよ」と生徒。(それなら…)と思い、重い腰をあげました。電動車椅子で土手を歩いていました。1周目を過ぎて、桜並木に面した道路を歩いていたとき、対向車が来ました。よけようと電動車椅子を土手の草むらに止めようとしました。すると、電動車椅子ごと、土手から落ちました。土手に草むらが生い茂っていました。(草むらだから、痛くない。大丈夫だな)と思いながら転げ落ちていきました。電動車椅子の重さは80s。電動車椅子が身体の上に乗ることさえ、避けようと思っていました。幸い、電動車椅子は僕の脇を転がっていました。しかし、 約3m下には、グラウンドの側溝がありました。草むらが生い茂って、見えませんでした。側溝に頭部と左手首を打ちました。「ゴ〜ン」と頭部を打つ音がしました。その音にビックリして、思わず頭部を触ると、手に血が付きました。血を見て、さらにビックリしました。これは、ただ事ではないなぁと思いました。グラウンドで部活動をしていた野球部・陸上部・サッカー部の生徒が駆け寄ってきました。
「先生、大丈夫ですか」
「大丈夫だよ。意識はあるよ」と応えても、頭部から軽い出血を見て、生徒の1人は職員室へ走っていきました。他の生徒は各部で使用している救急箱を持ってきました。


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