秋田県

増田町まんが美術館
東北おもしろ博物館(加藤貞仁著)より
 おもしろ博物館秋田県増田町 
複合文化施設「増田町ふれあいプラザ」。
この中にまんが美術館がある
●開館時間=午前9時〜午後5時
●休館日=月曜日
●入館料=無料
●交通=JR奥羽本線十文字駅から、増田町
      方面行きバスで関ノ口下車徒歩5分


増田町増田新町285
問い合わせ=増田町ふれあいプラザ
         0182・45・5556
 奥羽山脈に分け入ると、「夜泣谷」と呼ばれる渓谷があり、片目をつぶした巨大イワナがいるという。釣りの趣味はない私でも、このイワナを釣り上げる「釣りキチ三平」は、ワクワクしながら読んだ覚えがある。
 このマンガは、三平三平(みひら・さんぺい)少年が、工夫を凝らしてイワナ、ヤマメ、タナゴなどを釣り上げる物語だ。少年は、作者の矢口高雄さん自身の投影でもある。
 矢口さんのふるさと、増田町に「まんが美術館」が開館したのは、一九九五年。「増田町ふれあいプラザ」という複合文化施設の中にある。町起こし事業「釣りキチ三平の里づくり」の拠点として、この美術館が企画されたという。
 一階から二階へ長々と続くスロープギャラリーには、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、川崎のぼる、小島剛夕、さいとう・たかを、里中満智子、白土三平、田河水泡、ちばてつや、手塚治虫、弘兼憲史、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、松本零士、水木しげる、水島新司、本宮ひろ志、やなせたかし、横山隆一……と、国内外百人の漫画家の原画が展示されていた。この豪華メンバーの絵を見ただけでも、マンガファンの私としては時間がアッという間に過ぎてしまった。おまけに、彼らの代表作の単行本までそろっているのだから、床に座って読みふける人がいても不思議ではない。
 今では当たり前のマンガ週刊誌の最初は、昭和三十四年三月創刊の『少年マガジン』。翌月に『少年サンデー』が発売された。当時、小学生だった私も、「伊賀の影丸」(三十六年からサンデーに連載)が読みたくて、定期講読しているお金持ち≠フ友達の家へ毎週行ったものだ。
 それ以前の、「鉄腕アトム」や「鉄人28号」などが載っていた月刊誌時代からマンガに夢中で育ち、「このごろの大学生はマンガばかり読んでいる」と、大人たちのひんしゅくを買った我らの世代としては、「美術館ができるくらい、マンガが一つの文化として認められたのか」と、別の感慨も浮かぶ。
 ところで、マンガ週刊誌が登場したころ、矢口さんは地元の銀行に勤めていた。集団就職が決まっていた矢口さんを「ぜひ高校へ進ませてほしい」と、中学の先生が矢口さんの親を説得してくれた。そのおかげで矢口さんは高校を卒業、十二年間を銀行マンとして過ごした。しかし手塚治虫に傾倒し、漫画家になる夢を抑えきれなかった矢口さんは、三十歳で銀行を辞め、上京した。『少年マガジン』で「釣りキチ三平」の連載が始まったのは四年後だった。以後、連載は『月刊少年マガジン』も含めて十四年に及んだ。
矢口高雄の年譜とまん
が作品の展示コーナー
100人の漫画家の原画が
並ぶスロープギャラリー
美術館の一角には矢口さん
のアトリエが再現されている
手塚治虫や松本零士、渡辺まさこな
どまんが家多士済々の原画が並ぶ
代表作の原画を展示した
「矢口高雄まんが工房」
スロープギャラリーの中心は
吹き抜けの休憩所。奥の本棚
のマンガを自由に閲覧できる
 「まんが美術館」には、この町に生息する魚や昆虫の情報コーナーがある。例えば、体長十八ミリという、日本最小のハッチョウトンボ。こんなトンボがいたのかと驚かされるが、矢口さんにとっては、おなじみのトンボだ。もちろん「釣りキチ三平」にも登場する。ふるさとの山や川、そしてそこに息づく生き物たちについて、「子どもの頃から五体にしみついた素材であり、誰にもマネの出来ない、ボクだけの世界だから、これ以上の武器はない」(まんが美術館図録)と、矢口さんは語る。少年時代の矢口さんの家は貧しかったかもしれないが、今となっては金では得られない豊かさが、その作品の土台となっていたことに気づかされる。
 子どものマンガには、夢があふれている。現実には起こり得ないことも、簡単に実現させてくれる。それは、ここに原画が展示されている漫画家のだれもが同じだ。
 増田町まんが美術館の初代館長は、矢口さんの高校進学を勧めてくれた恩師である。立派に成長してほしいと、教え子に託した恩師の夢が実現したのが、この美術館かもしれない。
 泣かせる話じゃないか。
ミュージアムショップもある1階ホール

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