秋田県

看板資料館「桃源塾」
東北おもしろ博物館(加藤貞仁著)より
 おもしろ博物館秋田県秋田市 
正面に清酒「雄物川」の金看板が鎮座する展示室。看板の多様さと数に圧倒される
●開館時間=午前10時〜午後5時
●休館日=月曜日
●入館料=大人300円
●交通=JR秋田駅からタクシー15分


秋田市外旭川梶の目808の2
問い合わせ= 「イサオ・サイン」
         018・868・1303

<現在は見学できません>
 我々には日常的なことでも、外国人の目には面白いことと映ることがあるらしい。東京・品川の大森貝塚を発見したことで知られるアメリカ人、エドワード・S・モースが興味を示したのは、日本の商家には当たり前の「看板」だった。明治時代初期の話だ。
 彼が書き残した『日本その日その日』(東洋文庫)に、こんなことが書いてある。
 「この国ではあらゆる種類の店に、何かしら大きな彫刻か、屋根のある枠の形をした看板かが出ている」(略)「私は東京をブラブラ歩きながらそれ等の写生をしたいと思っているが、それにしても、かかる各種の大きくて目につきやすい品物が、店の前面につき出ている町並みが、どんなに奇妙に見えるかは想像に難からぬ所であろう」
 秋田市で、店舗のディスプレイなど美術看板業「イサオ・サイン」を営む小野勇男さんが、古い看板を集め始めたのは、モースが持ち出した日本の看板が今でも、アメリカの博物館に展示されていることを知ったからだ。今は五十歳を過ぎた小野さんが、まだ二十代のころだ。
 以来、時々キャンピングカーで、看板収集の全国旅行に出かけるという小野さんが集めた看板は、五百種類を超えた。私設博物館である「桃源塾」には、常時二百種類の看板が展示されている。
 看板は元々、自分の商売を道行く人に知らせるための物だった。日本語を読めなかったモースが、「かかる各種の大きくて目につきやすい品物」と評したのは、そういう意味の面白さだったのだろう。しかし、ここに集められた看板からは、それ以上の意味合いが伝わって来る。商売への愛情、言い換えれば、「誇り」のようなものだ。
 例えば、小野さんご自慢の逸品の一つ、清酒「雄物川」の醸造元の看板。厚さ十センチのケヤキの一枚板で、漆仕上げ、文字は金箔押し。「全國清酒品評會優等賞受領」という文字が、「どうだ!」と言うように輝いているではないか。
 業種としては最も多い薬屋の看板にしても、「これは効く」と思わせるものばかりだ。「前大博士佐藤先生方剤」と、前置きもいかめしい「神薬」(この名前もすごい!)。歯痛、腹痛などすべての痛みを和らげる薬だそうで、「資生堂謹製」と書いてあるから、あの化粧品の資生堂の初期のころの看板なのだろうか。今は入浴剤が売り物の津村順天堂の婦人薬「中将湯」の看板もある。
今はあまり見られなくなった各種のホーローびきの看板。 大正時代に登場した
最も多いのは薬の看板。いかにも効きそうなコピーがちりばめられている
ゴルファーを描いた看板がある。だが遠景のクラブハウスは中国風の建物。珍品だが、使途不明
本来なら地元の博物館にありそうな木曽福島の関所の看板「入れカマわん」というソバ屋と筆師の看板 苦心して入手した「空襲警報発令中」の看板。長崎県で見つけた
 こうした歴史ある大企業の古い看板からは、個人経営だったころの姿が見えるようだ。
 水原弘がモデルの「ハイアース」とか、由美かおるの「アース渦巻」とか、懐かしいホーローびきの看板もたくさんある。その中に、「白玉ホワイトワイン」というのがあって、「絶対に着色せず」と書いてあった。すると、あの「赤玉……」というワインは、着色してあったのか。そんなことが、ふと思われて、笑ってしまった。
 小野さんによると、ホーロー看板を最初に作ったのは、明治四十年の森下仁丹で、次が花王石鹸なのだそうだ。
 こういう看板は、日本の企業の側面史のようなものだが、中に、首をひねる物があった。
 「空襲警報発令中 長崎県三原町」という看板だ。もちろん戦時中のものだろうが、どうしてこんな物があるのか。
 「七、八年前に、テレビにたまたま出たのを見て、すぐに商売仲間に連絡して確保してもらったんですよ」と、小野さんはこともなげに言う。
 中山道の木曽福島関所の看板も、なぜここにあるのだろう。「古い関所を解体した大工さんが保存している、という情報がありましてね……」。
 コレクターの情熱は、本当にすごい。入手までの苦労話で、時間を忘れた。
一般の民家のような「桃源塾」の入口

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